第20話 そして時は動き出す

 そういえば、とふと気が付いた。

 希望とゼクスは相当込み入った話をしていたわけだが、シルヴァやエルウィン、あと瀕死のヌメヌメは放置しっぱなしで大丈夫だろうか、と。


 特にヴァッティさんはなんやかんやで希望に過保護である。

 ゼクスが希望に害をなした(ように見える)行動を取ったとあれば、即座に臨戦態勢になりかねない。


「ああ、時間止めてるわよ」


 え、なんて?

 今さらっとすごいこと言わなかったこの子。


「厳密に言うと時間を止めてるんじゃなくて、時間の流れが異なる異空間にあなたを引きずり込んだのだけど」


 言い方ぁ!


 ともあれそれはこっちでの一時間が元の時間軸だと一秒とかそれくらいになるような感じのアレ?

 マインドアンドタイムルーム(とても雑な英訳)?


「おおむね合ってるわ」

「合ってるのか……」

「とはいえ、基本的にないしょ話用と考えておきなさいな。あなたとわたししか入れないし、持続時間も長くはないわ」


 持続時間。時間の流れが違うのに持続時間とはちょっとよくわからないが、ゼッちゃんが不思議パワーでこのルームを作っているのなら納得がいく。

 時を止める能力はだいたい十秒くらいだって無駄無駄のヒトも言ってたし。


「こっちの時間感覚で、だいたい一時間くらいかしらね」


 意外と長かった!

 冒険の途中でちょっと疲れたらお昼寝できる長さである。


「え? 今から昼寝する?」

「いやしないけど」


 特に疲れたわけでも眠いわけでもないし。あとそう見えるだけとはいえシルヴァとエルウィンが固まったまんまだし。

 なぜ完全個室ではなく元の風景そのままなのか。目を凝らしたら若干セピア色に染まっている気もするけども。


 と聞くと、空間の位相をずらしてうんたらかんたらと解説してくれた。うん、わかんない。ごめん。

 ともかく、まるごと新しい空間として作るよりはエネルギー消費が少ないみたい。エコだね。


「ともかく、あなたの手札は確認が終わったわね? 戻すわよ?」

「あ、まってまって」


 えーと、お金、よし。どうのつるぎさん、よし。たびびとのふく、よし。

 言語能力、よし。生活魔法、よし。空間魔法、よし。すてきななにか巨大ロボ……まあよし。

 希望の身体能力上昇の謎も解明できたし、よしとしよう。


「うん、大丈夫」

「ええ。じゃあ戻すわ。あ、それと希望」

「なに?」

「瀕死のクラスターローパーって、獲物を吸収して元に戻ろうと全力で襲ってくるから気を付けなさい」

「ちょ」


 それ今言うこと!?


  *


「ノゾミ。なにかあったのか?」


 唐突に声をかけられ、希望は少し面食らった。

 見ればシルヴァが心配そうな顔で希望を見ている。なるほど、時間は無事動き出したらしい。

 具体的にどのタイミングで時間停止空間に引きずり込まれたのかは定かではないが、たぶん問いただそうとゼクスに声をかけた時点であっちに飛んでいたのだろう。


「あ、うん。なんでもない。わたしげんき」


 あわや触手プレイの餌食かと思ったけど、わたしはげんきです。


「とりあえず、ぎりぎりでブレスは弾き返せたみたい」

「あの、ノゾミさん。ありがとうございました」


 ぺこりとエルウィンが頭を下げた。

 そうだったそうだった、そもそもこの子を助けるための盾……もとい生けに……あー、ええと、ともかく助けるために希望は空間を飛んできたのだ。


 なお空間を飛ばされる本人の意向は無視されるものとする。

 ななな、泣いてないし!


「あ、や、ども、はい」


 そして希望のコミュ障は相変わらず絶好調である。

 おいゼッちゃんわたしを助けろ。


 あれ、ゼッちゃんといえばこっちに帰って来るときになにやら言っていたような。

 えーと、瀕死の? クラなんちゃらが全力で襲って――


 反射的に、触手塊の方を見る。

 ついさっきまで弱々しく蠢いているだけだった触手塊は、驚異的な再生速度で失った体躯を修復していた。


 肉が盛り上がっていくのが見える。

 粘液が糸を引くのが見える。

 潤沢に蓄えられていたであろう魔力が、一気に目減りしていくのがわかる。


 なるほど、そういうことか。肉体の修復は魔力でゴリ押しできるが、失った分の魔力はすぐにでも補充しないとあの体躯を維持できない。

 てっとり早く補充する方法は簡単だ。


 原理はよくわからないが、獲物の肉ごと消化吸収して魔力に変換できるのだろう。


「む――」


 希望とほぼ同時に気が付いたシルヴァが、拳を握りしめて一歩前へ出た。


「やめときなさいシルヴァ。アレ、そもそも殴って倒せるようなものじゃないわ。粘液に拳ごと捕まって捕食されるのがオチね」


「あ、ゼッちゃん」


 どこにいたやら、ゼクスが背後から現れた。


「そうなのか。だが、どうする」

「クラスターローパーには、物理的な衝撃は基本的に通用しません。有効なのは魔法、特に火属性です。風や水の属性は有効打にはなりません」


 エルウィンがあの触手について説明してくれる。そうか、クラスターローパーっていうのかアレ。

 火の魔法か。パーシーがいれば余裕なのでは?

 今から呼んでくる?


「そうね、あなたの理解は正しいわ。とはいえ、パーシーやレオンを呼びに戻っていたら時間の無駄よね」


 まあ、厄介なモンスターがいるという情報を持ち帰るという意味では決して無駄ではないのだろうが、今回地下水路に潜った目的はあくまで子供たちの保護のためである。

 時間の無駄、というのも間違ってはいない。


「希望」


 ゼクスの目が希望を射抜く。

 彼女は言った。「権能を揮える時があるとすれば、希望を守る時だけだ」と。

 それは逆に言えば、「希望を守るという大義名分があれば、能動的に力を行使できる」ということだ。


「ッ!」


 わかった。

 わかりたくなかったし覚悟も決まってないが、わかった。

 動き出した触手を視界に収めると同時、希望はシルヴァの脇を抜けてクラなんちゃらの正面に躍り出た。


「ノゾミ!」

「ノゾミさん!」


 シルヴァとエルウィンの、静止の声が背後から聞こえる。

 真正面からは大量の触手。怖気が走る光景だ。

 この触手群が希望の身体に触れることはないとわかっているのだが、だが――


「わたしこんなんばっかりかぁぁぁぁ!!」


 思わず出てしまった魂の叫び。

 それに呼応するかのように、たびびとのふくはその効力を発揮した。


 希望へ殺到する触手、触手、触手。その全てが、希望に到達する前に捻じ曲げられた空間を通過し、壁や天井に突き刺さった。


「いいわ、希望。次はわたしが――あなたを守る番」


 ささやくようなゼクスの呟きは、それでいてこの上なく鮮明に、希望の耳朶を叩いた。


 ぞくり、と。背筋に悪寒が走る。


 思わず背後を振り返って、ゼクスを見た。

 薄暗い地下水路の中にあって、爛と輝く紅い瞳。

 つい、と触手の本体へ向けて伸ばされる、細くたおやかな指先。


 その指先に集まった魔力は、その辺の感覚がまだ疎い希望にすらわかる異様な濃密さで――


 撃ち出された。


 魔力光弾は、そのまま一切の減衰もなくクラスターローパーへ突き刺さる。

 物理的な耐性や、魔力耐性など最初からなかったかのように、するりと到達し、するりと体内へ潜りこんでいった。


「な――」


 エルウィンが絶句する。

 無理もないことだろう。

 クラスターローパーには水や風の効果が薄い、と。そう言ったのは他ならぬ彼女自身なのだ。


 魔力光弾を撃ち込まれたクラスターローパーは、直後に体内から生えた無数の氷塊に全身を貫かれた。


 氷塊は瞬く間にクラスターローパーの全身を侵食し、先ほど希望を襲った触手まで完全に氷漬けにしてしまった。

 着弾から二秒と経過していまい。それだけで、あの巨大な触手塊は物言わぬ氷像と化してしまったのだ。


 ……いやまあ、もとから物は言ってなかったけども。


「はい、ちょん」


 呆然とするエルウィンとシルヴァ、希望を尻目に、ゼクスはてこてこと触手の方へ近寄ると、文字通りちょん、と触手を指で突っついた。

 途端、クラスターローパーごと氷塊に亀裂が走る。


 ビシビシと広がる亀裂は、やがて無数の小さな亀裂となり、崩壊した。

 クラスターローパー自体が相応に巨大な魔物である。それを丸ごと氷漬けにしたものだから、氷塊そのものもかなり大きい。

 にもかかわらず、氷の粒や塊、肉片は床に飛び散ることはなかった。


 床に落ちる直前に、氷塊も取り込まれたクラスターローパーも光の粒となって消えてしまうのだ。

 おそらくであるが、完全に魔力として昇華されている。

 なんというか――ケタが違う。


「水であろうと風であろうと関係ないわ。要は耐性の許容範囲を超えるだけの魔力を撃ち込めばいいのよ」


 無茶苦茶な理屈である。

 それができれば誰も苦労はしないだろう。


「あなたは、いったい」

「ただのおりよ」

「お、お守り……?」


 困惑の声を上げるエルウィンにくすりと笑みを浮かべ、ゼクスは改めて全員に言った。


「呆けてる暇はないんじゃない? 子供たちを助けるのでしょう?」


 そうだった!

 いろいろ気になることはあるが、まずは子供の安否が大事だ。

 道は開けた。希望たちは顔を見合わせ頷きあうと、誰ともなく通路の続きを進み始めた。


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