第18話 空間転移(強いられ)

 地下水路、というからにはいわゆる下水だろう。

 生活排水が流れ込む以上は相応に酷い臭いに違いない。


 と、覚悟して入ったものの、臭いは特に酷いものではなかった。光源に乏しいのでなんとも言えないが、循環している水も綺麗に澄んでいるように見える。


 王都アーシュラウム地下水路。

 元は王都地下に広がる古代文明由来のダンジョンであった。全30階層。

 アーシュラウム王国当代国王、トーマ・ゼノ・ウィンザード・アーシュラウムにより踏破され、ごく浅い部分を地下水路として再構築された。

 有機物を高速で分解する特殊な結界が表層から流れ込む大量の汚水をすため、地下一階層の段階でも臭気の問題をクリアしている。

 王都地下水路の主要な目的は、ダンジョンの再活性の阻止にある。表層の結界にて活性を阻止し、巨大水路により魔力を循環させる。生活排水の処理機能は後に追加されたものだが、現在は分解した有機物を魔力変換することで王都を循環する魔力量の上昇に成功している。


 どうのつるぎさんはいつでもすてきな情報をくれるね。

 というか、この地下水路めちゃめちゃ高度な技術のもとに成り立っていた!


「ふぅん。なるほどね、考えたじゃない」


 ゼクスが感心したように頷いた。

 この子をうならせるほどだ、よほど画期的な循環系なのだろう。


「そうね。基盤となる技術に、ついでだからと下水処理機能を持たせた着眼点はとてもいいわ。そこからさらに機能を発展させているところと、それを可能にした知恵は素直に感心するわね」


 べた褒めである。

 希望わたしのこともちょっとくらい褒めてくれたっていいのよ?


「希望はとても洗濯が上手だわ。褒めてあげる」

「結局それか!」


 このままでは希望=洗濯の方式が成立しちゃう。

 くそぅ、そのうち絶対なんかいい感じのことやって褒めてもらうんだからね!


「しかし、エルウィンはどこまで進んだのだろうか。そろそろ追いついてもよさそうだが」


 水路だと匂いが流されてシルヴァの鼻も利きにくいらしい。入り口からそこそこ進んだが、今のところ分岐はなく一本道だ。雑談こそしているものの、希望たちの進行速度自体は速いと思う。ジョギングよりやや早めのペースだ。


 転生時にクソ神様が体力を付けてくれたのか、今の希望は生前よりかなり身体能力が上がっているようだ。雑談しても息も切れないし速度も落ちない。

 それでも追いつかないということは、全力ダッシュで水路内を駆け回っているとでもいうのだろうか。


 ……あり得る。


「あー、結構前のめりに突っ走ってたしねー」


 改めて言うが、希望のことは全力で棚の上にぶん投げる所存である。ツッコミは聞かぬ!

 シルヴァをバカにされたから自分の身分証明とか無視して飛び出したとか、ワイバーンのブレスの前に飛び出して魔法ブッパとか、聞こえない!


「どの口が言うのかしらね」


 聞こえない!


「……む。二人とも」

「ん?」

「ああ、いたわね。まだ子供は見つけきれていないようだけど」


 シルヴァの声に、ゼクスが頷く。どうやらエルウィンを見つけたらしい。

 あれ、これ全然わかんないのわたしだけか。なにこのアウェー感。


「少し離れたところに開けた部屋がある。どうやらそこにいるようだ」

「ついでに戦闘中ね。元ダンジョンって話だし、元々はモンスターハウスでもあったんじゃないかしら?」


 それはつまり?


「控えめに言って、ピンチね彼女」


 のほほんと言い切ったよこの子!


「もう少し待てばローパーにじゅるじゅるにされるエルフが見れるわよ」


 それはある意味見てみたいけども!


「ノゾミ」

「うん」


 希望になにができるかは置いといて、ともかくすぐに助けに行かなくてはなるまい。目が合ったシルヴァへ頷きを返し、走る速度を上げようと――


「待ちなさいな」

「ぐえぇ」


 そこでホワイトロリータに首根っこを掴まれた。

 後ろへ思いっきり引っ張られたのでカエルが潰れたような声が出た。倒れる勢いで尻餅を付きそうな希望を、ゼクスは平然と片手で支えている。


 分かってはいたものの、ゼッちゃんのパワーは底知れない。

 でもね、わたし女の子。もうちょっと優しく。お願い。


「な、なにを……」

「ちまちま走っても間に合わないみたいだから、とりあえずあなたを先に飛ばすわ」


 飛ばす。なにを。希望を?

 え、転移魔法とかそんなの?


 あのクソ神様わたしにはそんな素敵魔法くれなかったのにゼッちゃんにはあるのかどういうことだアノヤロウ。


「はい、いってらっしゃい。すぐ追いつくから」

「へ」


 とん、と押されると同時。

 一瞬で周囲の光景が切り替わった。


 目の前には、肩で息をしながら短剣を構えるエルウィン。視線が絡み、目を真ん丸に見開いている。

 うん、気持ちはわかる。わたしも状況が全然わかんない。


 背後には、なんかすっごいヌメヌメしてそうな、ナメクジっぽい触手っぽいうねうねした塊が。見た目、直立して触角が大量にあるナメクジである。


 女の子が捕まってアレやコレやされるエロ漫画にでも出てきそうな、生理的嫌悪感を極限全力で刺激する肉塊だ。

 あれ、これ捕まる女の子枠わたしか?


 ……いやいやいやいや! それは! ぜったい! イヤだ!


「ノゾ――」


 エルウィンが声を上げて、希望へ手を伸ばしかけた瞬間、ナメクジフェイスがにちゃあ……と五つに分かれて開き、そのうじゅうじゅとした穴から、魔力が溢れて、収束して、光帯としてほとばしった。


 なにコイツナメクジのくせにブレスとか出すの!?

 というかこの距離でそんなの吐かれたら避けようも身の守りようもない!


「あ」


 これ、死んだかも。


  *


 クラスターローパー。スラッグローパーの上位種、もしくは変異種と想定される、Bランク相当の魔物である。

 子供たちを探すために地下水路に入ったエルウィンが最初に遭遇したのは、よりにもよって複数人での討伐が前提となる高ランクの魔物であった。


 ローパーという魔物自体は、討伐がそう難しい魔物ではない。ゴブリンと同レベルのEランク、やや上がってもDランクといったところだろう。よほど大量に出てこなければ、エルウィンでも充分に対処できた。


 もともとあったダンジョンを利用したものであるが故に、地下水路自体は魔物が湧きやすい環境ではある。しかし、階層の大半を結界で封印してあり、魔力の循環に利用している階層はごく浅いものであるため、魔物が湧いて出たとしてもランクが高いものにはなりにくい。言ってしまえば、ネズミが繁殖しているようなものだ。


 ところが、である。


 クラスターローパーは、読んで字のごとくスラッグローパーの集合体だ。共食いの果てなのか、交尾を求めた結果混じり合ったのか、それ以外の原因があるのか。真相は不明だが、ともかく複数のローパーが集合して一つの魔物になっている。


 そしてタチの悪いことに、集合して一塊となったローパーたちは個々で器官を特化させ、より強固に結びつき、不要な部分を自己の魔力として昇華して、一個の生命体として存在を確立するのである。


 結果として、クラスターローパーは粘性のある柔軟で巨大な体躯により打撃に強く、驚異的な自己再生能力により斬撃も効果が薄く、急所と言える部分もほぼないため刺突も効きにくいという、物理的衝撃への規格外な耐性を手に入れている。

 また、ローパーの性質上水や風系統の魔法にも強く、明確に効果が得られるのは火属性の魔法くらいのものだ。


「まずい――」


 エルフというものは往々にして弓矢と魔法を使うが、エルウィンもその例に漏れず弓矢を獲物にしていた。とはいえ今回は子供を連れ戻すだけと護身用の短剣くらいしか持ってきていない。


 さらに言えば、空間に限りのある地下通路では弓矢の利点も落ちるし、なにより力の強くないエルウィンの矢は

 よしんば弓を持ってきていたところで、クラスターローパーへ有効打を与えられるとは考えにくかった。


 では魔法はどうかというと、エルフが得意とする魔法の系統は風、時点で水、という時点で結果は察せようというものだ。

 幸い、巨体のせいでクラスターローパーの動きは速くない。高速で移動する触手なども持っていないことも調査済みである。


 だからと言ってエルウィン一人でアレを突破できるわけでもないし、動きが遅くとも壁際まで追い詰められたりすれば捕まってしまうだろう。その場合どうなるのか、までは調査されていないが――見た目が既に生理的に受け付けないアレに捕まることなんて想像もしたくない。


 撤退して、レオンたちの到着を待つのが最善だろう。それはわかっている。しかしそれでは、アレに子供たちが遭遇するかもしれない。

 そんなためらいが、エルウィンの足を前に動かすことも後ろに動かすことも阻んでいた。


「――――!!」


 そしてそのためらいは、クラスターローパーが動き出すための格好の隙であった。

 ふるり、と大きく身をたわませ、全身から魔力が迸る。その魔力は頭に見える部分に収束しているように見えた。


 竜種のブレス生成器官と似たような魔力回路を形成したのであろう。このまま解放されれば、多少ひらけているとはいえこの部屋全体を覆う魔力砲が来るに違いない。このタイミングでは、回避も防御も間に合わない。


 判断を見誤った我が身の迂闊さを呪う。だが、それでも。死ねない。


 ありったけの魔力を前面に展開。

 魔力切れになってもいい。これを凌いで、外へ撤退できれば――!


「へ」


 そんな時だった。

 どこか間の抜けた声と共に、長い黒髪の少女が目の前に現れたのは。


 目を見張るほどの美しさは、空間転移の魔法であろう青い光の中でなおえた。

 あれだけの美貌、やすやすと忘れようはずもない。つい先ほど別れたばかりなのだから。


 そう、彼女は、


「ノゾ――」

「あ」


 彼女を、シャクレーィ・ノゾミを助けようと手を伸ばした瞬間、クラスターローパーの魔力砲が解き放たれた。


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