幕間 女神と王と
深夜、唐突に目が覚めた。
特に寝苦しさがあったわけではない。
昼に睡眠を取ったわけでもない。
ただ漠然とした予感だけがあって、彼はベッドから身を起こした。
50年間彼の身を包んできたベッドは、弾力性に富み素晴らしい寝心地ではあるが、いささか大きさが過ぎるとは思う。
流石に室内は暗い。とはいえ彼は夜目が利く。
寝所の内部に異常がないことは、部屋を見渡せばすぐに分かった。
電気が実用レベルに至っていないこの世界では、灯りはもっぱら魔法か火だ。灯りの魔法が使えればいいのだが、彼には残念ながらこちらの魔法の適性はなかった。
ベッドから出て立ち上がり、火を着けようか、しかし着けずとも見えることではあるし、と逡巡して――唐突に、頭に声が響いた。
『――トーマ』
「ああ――君か」
同時に、その声を聞くのは随分と久しぶりでもあった。
ややあって、彼の目の前に一人の女性が姿を現した。暗闇の中でも茫と薄く光る、非常に美しい女性である。
艶のある長く青い髪。潤んだ青い瞳。薄手の白いドレスに包まれた、豊満な身体。まさに文字通り神がかった美貌であった。
本来であればもっと光り輝いて見えるのであろうが、ホログラフのような魔法なのか夜だから気を使ったのか、月の光のような優しい光り方であった。
「随分と久しく
「そうですね。それくらいになるでしょうか。息災なようでなによりです」
「なに、外面は若く見えるかもしれないけどね。中身はとっくにジジイだよ」
最後に彼女と会話してから30年余り。ここに来てから50年。
いろいろなことがあったが、老成するには充分な年月と言えた。――彼の外見が、20代半ばの頃から一切変化がなかったとしても、だ。
「それで、急に訪ねてくるなんて珍しいじゃないか。僕に何か用があるんだろう?」
女神ルミナス。
この世界を維持している神うち、最も力が強い者の一柱。
過去、創世、闇を司る女神テネブラ。
未来、破壊、無を司る女神イネイン。
そして、現在、調和、光を司る女神ルミナス。
この三柱の女神は、そのまま世界三大宗教の信仰対象と合致する。
50年前、彼をこの地に呼び寄せたのも彼女たちであった。
そんな女神たちの一柱がわざわざ出張ってきたのだ。彼に頼みごとがあるであろうことは想像に難くない。さらに言えば、それが厄介事であろうことも、だ。
「ええ。少女を一人、保護していただきたいのです」
「少女?」
意外な要請に、思わずオウム返しする。
いるかもわからない魔王を倒せ、みたいな要請ではないのはなによりだが、少女を一人、国家権力で保護しろというのも穏やかではない。
「彼女は、転生者です」
「転生者?」
「あなたはわたしたちがこの世界に呼び出した『召喚者』。何らかの原因で世界の壁を越えてしまった者は『転移者』。そして、死して別の世界から魂が移動してきた者を『転生者』と呼びます。広義では、どの世界においても大半の魂は転生者なのですが――ここで言う転生者は、前世の記憶を引き継いだ状態で転生してきた者を指します」
「なるほど。彼女、ってことは女の子なんだろうが、その子は前世の記憶とやらを持ってこちらに生まれてきた、と。そういう理解でいいかい?」
こくり、とルミナスは頷いた。
「ただし、彼女はその上で非常にイレギュラーな存在です。転生というのは文字通り生まれ変わりなので、通常は赤ん坊として生まれます。ですが、彼女は生前と寸分違わぬ容姿でこちらに来ました」
「ん? だとするとそれは転移ってやつじゃないのかい?」
「いいえ。彼女は間違いなく一度死んでいます。死んだ上で魂を回収され、転生しているのです。つまり、この世界における母親の胎内を経由することなく、肉体はゼロから創りだされたということ」
それがどれだけ異常なことか、ようやく彼にも合点がいった。
命をゼロから創るなど、それこそ神の所業としか言いようがない。が、この様子だとこの女神様が関わっているわけでもなさそうだ。
「それは確かに異常なことのようだ。しかし、なぜそこまで彼女を気にかけるんだい? 出自こそ異常かもしれないが、君たちにとって不都合が起きているわけでもないんだろう?」
「あー……その、ちょっと愚痴っていい?」
ルミナスは大きくため息を吐くと、肩の力を抜いたように態度を一変させた。
この世界の根幹を担う三女神の一柱とは思えないぞんざいな口調であるが、これこそが彼の知るルミナスの素である。
「どうぞ」
「ありがとー。だからトーマは好きよ」
「光栄だね」
ルミナスはその絹糸のような髪を掻き上げ、憂いを帯びた表情で口を開いた。
そんな仕草もまるで絵画のように様になっている。
「その子はね、日本出身。つまりあなたとご同郷なのよ」
「ふむ」
なるほど、そうであれば彼に保護を求める理由くらいにはなるだろう。
「そして、彼女をこの世界に転生させたのは、わたしたちよりさらに位階が上の神」
「ちょっと待ってくれ。この世界で最も力が強い神は君たち三女神だろう?」
「ええ。この世界ではね」
妙に言葉を強調して、ルミナスはそう言った。
続けて曰く、神というものは基本的に意思を持った現象であると同時に、管理者であること。
ルミナスがこの世界を見守り管理しているのであれば、ルミナスが属する世界を見守り管理している神がいること。
そういう存在をもはや「神」と呼んでいいのかすら定かではないが、便宜上「神」としか形容しようがないこと。
「あなたの中にある概念を使って説明すれば、わたしたちはこの
なるほどわかった。
これは思った以上に厄介事だ。
「何の目的があってこの世界が選ばれたのかはわからないし、なぜ彼女が転生しなければならなかったのかもわからないわ。ただ言えるのは、その神を怒らせたらわたしたち諸共世界が滅びかねないってこと」
「……君が僕の所に話を持ってきた意味がわかったよ」
他の国――例えばこの女神を崇拝しているルミナス神聖国や、西に位置する大国ディノマキア帝国であれば、その少女を利用しようと干渉するだろう。具体的にどうアクションを起こすにしろ、虎の尾を踏む未来しか見えない。
「でしょう? あなたしか頼れるヒトがいないのよ」
彼であれば、異世界に飛ばされた彼女の立場になって力を貸してやることができる。
居心地のいい環境を提供し、目の届く範囲に置いておくことも――まあ不可能ではないだろう。
「ルミナス神聖国に君が出張って保護を指示するわけにもいかないだろうしねぇ」
あの国はルミナス教の総本山ではあるが、当の崇拝対象である女神がここ数百年単位で降臨していない。
それが少女一人を保護させるために降臨しようものなら、なにを置いてでもそれを完遂しようとするだろう。
他国への戦争であれ、「保護」という名の「監禁」であれ。
「そうなのよね……。わたし過去一度も『魔族は悪だ』なんて教義出したことないのよね……。あのバカげた教義のおかげでこの大陸で魔族の居場所がなくなるわ、テネブラにはぐちぐち嫌味を言われるわ……」
ずぅん、と一気に暗くなった女神を眺めつつ、彼は彼女に問いかけた。
「事情はわかった。僕に出来る範囲で協力しよう。それで、彼女の居場所はわかるのかい?」
トーマ・ゼノ・ヴィンザード・アーシュラウム。
アーシュラウム王国、当代国王。
元・日本人。
日本にいた頃の名前は、
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