第6話 月光の森

 気を取り直して自分自身を洗濯してみたが、効果はともかく洗い方は雑である、というのが感想だった。

 いやね、分かってたけども。「洗濯」ってどう考えても人間に対して使う単語じゃないよね。


「今日は森を出る前に日が落ちるだろう」

「えと、野宿になる?」

「そうだな。寝泊まりできるような小屋も記憶にない。……すまない」

「えと、うん。大丈夫」


 森の中を歩きながら、そんな言葉を交わした。

 この月光の森とやら、覚悟していたよりは歩きやすい。地面は雑草が生い茂っているわけでもなく、どちらかと言えば苔や腐葉土が多い。木々は多いが、進めないほど鬱蒼うっそうとしているわけでもない。


 近くの町まで直線距離5キロだったか。しかし直線距離=町までの距離であるとは限らない。

 森を歩き慣れているであろうシルヴァと、全く歩き慣れない希望とでは体力の消耗も違うだろうし、確かに森の中で一晩過ごすことになる可能性は高そうだ。


 そう考えると、つくづく彼が同行してくれるのはありがたい。

 道に迷う可能性、うっかり怪我をする可能性、魔物がまた襲って来る可能性……ちょっと考えただけでも1人で歩き回るにはリスクが大きい。


「魔物は、どれくらいいるの?」

「魔物か。先ほどのオックスボアのような大物は、町の近くにはあまりいない。アルミラージのような魔物であれば――ああ、そこにいるな」

「え、どこ?」


 シルヴァが指で示した先には、額から角を生やした兎の姿があった。

 草の陰から、警戒の眼差しでこちらの様子を見ている。


「あまり強い魔物ではないが、角をまともに食らえば大きな怪我になる。外見に油断しないことだ」


 角の大きさは10センチくらいだろうか。サイズとしては小出刃包丁くらいである。

 なるほど、思いっきり突進されればお腹に風穴が開くだろう。


 ……正直、またかと思わないでもない。

 どうしてこう死因を思い出させるようなものとばっかり遭遇するのだろうか。

 あのクソ神様のおぼしか。許さん。逆襲カウントを1加算しておいてやろう(理不尽)。


「それから、ゴブリン」


 シルヴァの目線の先を見ると、ボロボロの剣やら槍やらを持った小さい鬼っぽいモノが3匹ほど、武器を構えて威嚇している。なるほど確かにゴブリンだ。ゴブリンとしか言いようのない容姿である。


「1匹見かけたらだいたい30匹はいると思った方がいい」


 シルヴァが一睨みすると、ゴブリンたちは我先にと逃げ出していった。

 イニシャルGなせいなのかは分からないが、地球における暗黒生命体Gと共通する特徴があるようだ。


「ゴブリンはお前のように若い娘を捕らえて繁殖用の苗床にすることがある。1匹1匹は大したことはないが、連中はとにかく数が多い。一斉に襲われたら抵抗も難しくなるだろう」


 案の定アレやコレするやつだった! 誰だよ暗黒生命体Gと同じって言ったヤツ。アレよりタチ悪いよ。

 どっちも極力関わりたくないヤツではあるんだけども。


「シルヴァ、さん? は、平気なの?」

「シルヴァでいい。ゴブリンくらいなら、巣ごと駆除できる。心配はしなくていい」

「マジか」

「……? ああ、まじ? だ」


 マジ、という単語に聞き覚えがなかったのだろうに律儀に合わせてくれながら、シルヴァは平然と頷いた。

 パねぇっすわシルヴァさん。1匹いたら30匹いるらしい連中の巣を丸ごと駆逐できるとかマジすげえ。

 いや真面目な話、それって結構すごいことなのでは? つまり粗悪品とはいえ武器持った集団に四方八方から飛びかかられても無双できるってことだよね?


「連中の武器は劣悪だが、糞尿を混ぜた毒を塗ってある場合がある。結構な猛毒らしいが、武器自体が俺の肌を貫くには至らないのでな。どれくらい強い毒なのかはわからない」


 筋肉マッスル最強伝説、ここに。

 あとその毒絶対受けたくない。二重の意味で。


 シルヴァの魔物知識は相当なものだった。

「らしい」とか聞きかじった風な口調ではあるものの、うろ覚えのような言動は全くない。確固たる経験が感じられる。

 正直、どうのつるぎさん(本体・図鑑機能)の出番が早くもなくなりつつある。


「あの猪は、どうやって倒した、の?」

「猪……オックスボアか? お前を助けた時の」


 気になっていた事である。

 希望のコミュ障は全力全開だったが、シルヴァは言わんとしていることを察してくれた。


「大したことはしていない。ヤツの突進速度に合わせて首元に手刀を打ち込んだだけだ。毛皮も骨も頑丈なのは確かだが、関節は脆い」


 やっぱり大したことだった!

 あのバカみたいな急加速に合わせて接近できる瞬発力に、正確に首の関節を狙える動体視力に、関節部位を的確に把握できる知識に、頑丈と言わしめる毛皮を手刀でぶち抜ける攻撃力。

 希望の記憶の通りなら、オックスボアの首の関節をぶち抜いた後に、首ごともぎ取っているはずだ。


 うすうす感づいていたのだが、自己評価がやたら低いだけで、彼は強い。

 すごくつよい。なまらつよい。たいぎゃつよい。

 思わずシルヴァに向かって合掌。 


「……どうした?」

「いや、拝んでおこうかと」


 感謝を込めて。ありがたやありがたや。


「おかしな娘だ」


 どこか楽しそうに、シルヴァはそう言った。


     *


「今日はこれくらいで休むとしよう」


 森を歩くことしばし。

 変わり映えのしないというか、どこを見ても同じような景色にしか見えない状態にげんなりしてきたころで、シルヴァは足を止めた。

 希望の体感であるが、歩いた時間は2時間そこそこくらいだろう。時折休憩を挟んでいたものの、体力的にはまだ余裕がある。


「あ、わたし、まだ大丈夫」

「かもしれないが、日が落ちる前に火を起こした方がいい。それと、食べる分の肉を解体せねば」


 シルヴァの意見はもっともだった。

 野宿するなら火を起こした方がいいし、火を起こすなら木の枝のような燃料がいる。木の枝を集めるのは暗くなってからでは遅い。

 さらに、希望の空間魔法の中には先のオックスボアの肉がある。しかしまだ皮も剥いでいない。夕飯にするなら最低限の食肉加工は必要だ。


 そういえばお腹もすいてきた気がする。死んでからなにも口にしていないことだし。

 いや、普通は死んでからなにか食べるようなことはないと思うけど。死ぬとは(哲学)。


 ちなみに、火を着けるのも皮を剥ぐのも肉をジューシーに焼き上げるのも生活魔法でえいってやったらあっさり終わった。


「くそぅ、便利だこの魔法……」


 オックスボアの肉をかじりながら、希望はうめくように呟いた。

 この役立たず! とか思っていた生活魔法、実のところ応用範囲がとにかく広い。何度か試して確信したが、効果の方向性さえ明確にすれば、希望の思う通りの結果が反映される。


 ただただ攻撃力がないだけで、確かに健康的で文化的な生活が過ごせそうである。

 明日を生き抜くためという表現に誇張はなかった。


 クソ神様のドヤ顔(ネ申って書いてあるけど)が目に浮かぶ。むかつく。

 むかつくから逆襲カウントを回そう。3くらい。


「日も落ちてしまったな」


 寄ってきた羽虫を耳をぱたつかせて追い払いながら、シルヴァが言った。ちょっとかわいい。

 言葉の通り、日はとっぷりと暮れてしまっている。虫の鳴き声がちらほらと聞こえはするが、他の生き物の気配は感じない。

 当たり前の話だが、夜の森は暗い。暗い、はずだ。


「――すごい」


 今まで気にも留めなかったが、シルヴァの声がきっかけだった。

 周囲を見渡した希望は、思わず感嘆の声を上げた。


 ――月光の森。


 どこのRPGだよと思っていたが、そんな名前がつくのも納得する。

 昼間歩いていて分かったが、この森はいわゆる木漏れ日が起こりやすい木立こだちをしている。それが夜になると、今度は月明かりが木々の間から漏れるのだ。


 銀色の光が優しく森全体を包み込む荘厳そうごんさは、一言では言い表せない光景である。


 そしてなにより、月が大きい。

 ぱちぱちと燃え上がる火の明るさよりもなお明るい月の光は、その大きさに依るものだろう。


 サイズは希望の目算だと地球で見る月の10倍以上。20倍くらいあるかもしれない。当然ながら、地球で見たウサギの形をした影など見えない。

 満月、と言うには一部が妙にえぐれている。まるでその部分だけ、地表をくり抜いてあるかのようだ。


「どうした、ノゾミ」

「うん――」


 きっとシルヴァにとって、いや、この世界にとっては当たり前の光景なのだろう。

 魔物に会った。獣人に会った。魔法だって使ってみた。


 けれどそれでも――ここが異世界なのだと。

 希望わたしが知らない世界なのだと、本当の意味で実感したのは、今、この瞬間なのだと思う。


 怖くないと言えばウソになる。

 寂しくないと言えばウソになる。

 不安がないと言えばウソになる。

 けれどどうしてだろう。胸が高鳴る。


 この世界を、もっと見てみたい自分がいる。


 ――楽しんで来い、とかれは言った。

 この高鳴りを、かれは見越していたのだろうか?


 どこまでもてのひらの上で踊らされているようで、少ししゃくではある。

 でも、少しだけ。

 ほんの少しだけ、かれに感謝してやってもいい気がした。


「なんでもない。月が、大きいなって」

「月、か。……ああ、今日はいつもよりよく見える気がするな」


 少なくとも今は、希望と同じものを見てくれる人がいる。

 二人して月を見上げた端で、燃え盛る木の枝がぱちりと小さく音を立てた。


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