第5話 ファースト・コンタクト・アゲイン
目の前にいたのは、巨漢だった。
筋骨隆々とした、
希望がへたり込んでいるのもあるので、体感的にはものすごい大男に見えるのだが、それを差し引いても身長は2メートルくらいあるだろう。
肌の色は青味が強い黒。体毛は薄く、ヒトと大きな差異は見受けられない。髪は銀の長髪。そしてなにより、これまでの特徴を全て打ち消しかねない特徴は、イヌの顔をしていること。
つまるところ、彼は獣人などと呼ばれる種属ではなかろうか。
いや、男と決まったわけじゃないけど。
「怪我は、ないか?」
どこかためらいがちに声がかかる。見た目通り、重厚なバリトンだ。なかなかに渋めな声質である。男で確定だろう。
まあ、うん。状況的に助けてくれたんだろうけど、希望は現在血まみれである。主に返り血で。
ひょっとするとそれを気に
こくこくと希望がうなずくと、イヌの獣人らしい彼は右手に掴んでいたオックスボアの首を地面に投げ捨て、そのまま右手を伸ば――そうとしてやっぱり左手を差し出してきた。
そうだね、あなたの右手も血まみれだもんね。
どうやら引っ張り起こしてくれるらしい、と理解し、希望は素直にその手を掴む。彼の目が驚いたように見開かれた。
鍛え抜かれた
「えと、あの、あ、あり、ありが、とう」
でもめっちゃつっかえまくった恥ずかしい。
希望は人見知りする子なのである。初対面のと
結果として他人に対して無意識に心の壁が作られることになり、「高根の花」だとか「孤高」みたいな評価になってうああああいらんこと思い出した。
つまり要するに、希望にとっては「助けてもらったお礼を言う」ことがまずハードミッションである。その上で「人の町に連れてってもらう」とかできたらサイコーだがたぶん無理。マジ無理。こころがしぬ。
猪が来る前に人恋しいと言ったな、あれは嘘だ。町行ったら初対面の人めっちゃおるやん。しぬわ。
「……怪我がなくて良かった。こんな森の奥に若い娘が一人で、なにかあったのか?」
なんだコイツ。いいヒトかよ。
とはいえどう説明したものか。クソ神様に「ちょっと転生していい感じにロスタイム消化して来い」みたくほっぽり出されたと言っても信じてくれないだろう。嘘臭さがハンパないし。
「えー、あー、その、み、みちにまよって」
結局、とても無難な答えでお茶を濁すことにした。ここがどこだかわからない的な意味では十分迷子でもあることだし。
あと今さらではあるが、言語理解能力はばっちり機能しているのを認識する。とはいえ、希望的には日本語を聞いて日本語で話している感覚だ。きっと異世界の不思議言語なのだろうけど。
文章書くのも対応していると聞いたが、自動書記でもやってくれるのだろうか。
「……そうか。もしよければ、だが。俺が町の近くまで送ろう」
イヌの人はやはりどこかためらいがちに、そう申し出てくれた。
すごくありがたい申し出なのだが、同時にどこか勘ぐってしまう。
彼が希望を助けてくれたのは事実だし、いいヒト……ヒト? ではあるっぽく見えるのも事実だ。しかしすんなり信用してしまっていいものだろうか。
別に世の男性に恨みがあるわけではないが、やはりこういうシチュエーションだと警戒が先に立つのである。
前の世界では、希望が困っているところを助けるまではいいが恩着せがましく「お礼」の話をするクソ野郎どもがいたのも……またいらんこと思い出した。
「無理に、とは言わない。俺はこの見てくれのバケモノだからな。お前が俺を怖がるのは当然の話だ」
「へ?」
一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。
バケモノ。誰が? 彼が?
改めてまじまじと彼を見てみる。
希望の視線を浴びてどこか居心地の悪そうな彼は、まあ端的に言えば
肌は青味がかっているし、銀色の髪は今まで見たこともないが、ここは異世界だ。こういう色もアリなのだろう。
つまるところ、自分で言うほど彼はバケモノではない。ただの獣人ではあるまいか。
「え、あの、どこらへんがバケモノ?」
「……む」
正気かコイツ、みたいな目で見られた。
「この図体に、この顔に、この肌の色。どこからどう見てもバケモノだろう」
味方になれば頼りがいのある筋肉に、りりしくもどこか愛嬌のあるイケワン顔に、ちょっと変わった肌の色。
まあ気になる部分があるとすれば肌の色だろうが、こちとら肌の色で差別してはいけないと道徳の授業で教わってきた日本人である。
ついでに言えば、ちょっと青い肌くらいサブカルチャーを漁ればわんさか出てくるのだ。日本人の柔軟性舐めんな。
「うんまあ変わってるけど、バケモノではないよね」
「――――」
彼がバケモノかどうかの感想を、無意識に口にしていたらしい。彼は目を真ん丸に見開いて、希望をまじまじと見つめた。
えーと、これはひょっとしてアレだろうか。バケモノ(自称)であることに誇りを持っていたとか、そういうヤツだろうか。
ヤバいじゃんわたし。これやらかしたやつじゃん。
「変わった娘だな」
苦笑交じりに、それでいてどこか嬉しげに。彼はそう口にした。
良かった、特に怒ってないみたい。
「シルヴァだ」
「……え?」
唐突な言葉に一瞬思考が停止する。
そんな希望を見て、彼は改めて自分のことを指さしながらこう言った。
「あまり人に呼ばれることのない名前だが。俺の名は、シルヴァだ」
このタイミングで自己紹介である。
ちょっと心構えとかさせてほしい。名乗られたからには名乗り返さねば不義理ではないか。
待ってね。待ってね。まず深呼吸。覚悟完了。
……………………………………………………よし。
「う、え、あ、ど、ども。桜井希望っす」
どもりまくりかわたし! 我ながらクソ雑魚ナメクジ!
イヌ顔の彼――シルヴァは、希望の名前を聞いて、訝しげに眉をひそめた。え、なに、桜井希望って失礼な響き? この世界では言ってはいけない名前とか、そんなの?
「シャクレー=ノゾミス……?」
「誰がしゃくれか」
どうやら聞き慣れない響きだっただけっぽい。
正しい名前と発音矯正。
ノゾミだよわたし。サクライノゾミ。リピートアフターミー!
「桜井」
「シャク……レーィ?」
だから誰がしゃくれか。
「さ」
「サ」
「さ、く、ら、い」
「シ……サ、クラ、イ」
おいキサマまたしゃくれって言おうとしただろ。
「希望」
「ノゾミ」
ノゾミの発音に多少のぎこちなさはあるが、しゃくれより遥かにマシだ。
フルネーム、リピートアフターミー!
「桜井、希望」
「シ……サクライ、ノゾミ」
どんだけ強いのかしゃくれ!
いや大丈夫だ、きっと彼は「サ」の発音をあまり使ったことがないに違いない。まずは名前だ。名前だけ覚えてもらえばいい。
「わたしは、希望、です」
「ノゾミ、だな。……ノゾミ。うむ、覚えた」
ノゾミ、ノゾミと頷きながら
「では、ノゾミ。お前さえ良ければだが、俺が近くの町まで送ろう」
「う、え、あ、え――うん」
反射的に頷いてから、質問の意味を考える。
送ってくれる。ありがたいね。
送ってくれる。行動を共にすることになるね。
マジか。
これは難易度ルナティックもかくやでは?
いや待て。見たところシルヴァは
OK大丈夫、わたし間違ってない。全力で後ろ向きなことにはこの際目を
「そうか。ではまずは――」
無理やり自分を納得させて頷く希望を希望を眺めつつ、シルヴァは再度口を開いた。
「血を洗い流さねばな」
「あ」
獣人とのファーストコンタクトのインパクトですっかり忘れていたが、希望は顔面血塗れガールだった。
*
「ノゾミは収納持ちだったのか」
オックスボアの死体を空間魔法に収納した時、シルヴァは感心したようにそう言った。
せっかく仕留めたのだから食わねばもったいない、と日本人みたいなことを言うシルヴァが軽自動車一台分くらいある死体を持ち上げようとしたので、空間魔法の余剰スペースにぶち込んでみたのだ。
実際に可能かはやってみるまで分からなかったが、「素材」とか「食材」みたいなカテゴリで収納できたようだ。
なお空間魔法の開閉は希望が念じるだけでよく、「ひらけゴマー」みたいな言葉は特に意味がなかったことに気づかされた。説明してくださいやがれアノヤロウ。
「ひらけゴマー」と唱えた時のシルヴァの心底不思議そうな顔は二度と忘れん。おのれクソ神様、わたしの逆襲カウントがまた1上がったぞ。
「収納魔法が使える人間は希少だと聞く。収納できるものの大きさには個人差があるらしいが、あのサイズのオックスボアを丸ごと収納できるのだ。ノゾミの収納はかなり性能が高いのではないか?」
「え、ど、どうだろ……」
希望の空間魔法はクソ神様がくれたものである。希望個人の力でどうこうしているわけではないので、おそらく真っ当な手段で収納魔法とやらを手に入れた人たちと比較しても仕方がない気もする。正直、インプットとアウトプットが分かっているだけで詳細はブラックボックスもいいところなのだ。
収納領域自体は無尽蔵ではないにしろ相当大きいみたいではあるのだが。
「それだけ大きな収納だと、利用しようとする
「あ、うん」
それはそうだろう。個人で使用可能かつ上限があるとはいえ積載量は膨大で、積め込んでも希望自身には特に目立った消耗はなし、ときたら破格の輸送手段である。
希望がこの世界で生きる手段として最初に想定したが、これだけで超低コストの輸送業が成り立ってしまう。
町の暮らしを実際に見てみないと何とも言えないが、バレれば少なくとも商人が黙っていないだろう。下手をするとお貴族様が動き出すかもしれない。この森がなんちゃら王国に属している以上、王国に所属する貴族だっているだろうし。
……どうしよう町に行く意欲がすごく目減りしてきた。
「さて、では水場に行こう。そう遠くはない」
とりあえず顔に思いっきり被ったオックスボアの血は、服の袖で
水場に案内してくれるというシルヴァに着いて行こうとして、希望ははたと気がついた。
さっきはまるで役に立たなかった洗濯魔法は、こういう時のためにあるのではないか、と。
「……どうした?」
希望が付いて来ないのを不審に思ったのか、歩き出していたシルヴァが振り返った。
「あ、ちょっと」
発動条件――はいまいちよく分からないが、魔法を使う! と決めたらふわっと発動することだけは理解している。料理魔法のつもりで草刈りしたけど。
草刈りの時は攻撃、というか防衛手段として殺傷力の高い魔法を無意識下で求めていたはずだ。つまり、「魔法を使う」という意思の下、希望の希望を叶えるのに最適な魔法が発現するのではなかろうか。
おお、我ながらこの考察は冴えている気がする。
ついに希望の希望が叶う時が来たのかもしれない。
「やはり俺に着いてくるのは不安だろうか」
どこか気落ちしたように、シルヴァが言う。
あ、や、違う違うそんなんじゃなくて、今ちょっと服とか顔とか洗濯魔法で綺麗に出来ないかなって考えドバッシャ
「…………む」
割と盛大な勢いで、シルヴァに水がぶちまけられた。しかも水は地面に落下することなく、シルヴァの身体を包み込んでいる。
どうしてこうなった!
「ノゾミ。これは、どういうことだ?」
「え、えと、その」
正直に言おう。よくわかんない!
洗濯魔法を使おうとしてシルヴァに意識を向けたから、洗濯魔法がシルヴァにかかった……のか?
シルヴァの悲しげな目が痛い! 違うよ、わたしシルヴァのこと嫌いじゃないよ!
「せ、せんたく?」
「……選択? なにをえらぶはっ」
あ、水がシルヴァの顔まで包み込んだ。コレ息とか大丈夫なの?
頭が最後だったのか、シルヴァの身体を包んでいた水は一瞬で消えてしまった。呼吸にも大きな影響はなさそうだ。
水が引いた後に残ったのは、全身ずぶ濡れのシルヴァ。どこか呆然とした顔で希望を見つめている。
えーと、そう、乾燥だ。洗濯の次は乾燥! 今のままではシルヴァだって気持ち悪いだろうし、風邪を引くかもしれない。
「乾燥魔法出ろ!」
「か、感想? 濡れた感想か?」
いやわたしどんだけSなのか!
果たして乾燥魔法は希望の意思どおりの効果を発揮した。
オックスボアを一瞬とはいえ足止めしたやり過ぎ威力ではなく、やや熱めの、それでいてどこか心地よい温度の熱風がシルヴァの身体にまとわりついた。
「これは――」
ややあって、熱風は静まった。どうやら完全に乾いたらしい。
洗濯が終わったシルヴァの毛に覆われている部分――主に顔――は、めっちゃもふもふになっていた。
さらに、返り血で染まっていた部分は丁寧に洗い流され、染みの一点すら見当たらない。
着ている服も縮んだり色落ちしたりしていないし、どちらかというと清潔感が増しているようにも見える。ついでに言えば、先ほどまでシルヴァから漂ってきていたどこか饐えた臭いも綺麗さっぱり消えている。
とても失礼なのでなるべく考えないようにしていたのだが、こんな森の中にいるのだ。そりゃ汗だってかくだろうしなかなかお風呂にも入れないだろう。
そう考えるとこの洗濯&乾燥魔法、お風呂として身体を綺麗にする効果まであるのか?
あれ、想像以上に有能な子じゃないかこれ。
「洗浄、か……?」
「ご、ごめん、コントロールが」
「いや、いい」
シルヴァは自分の身体をしげしげと眺め、どこか感心したように頷くと、希望に向かってぺこりと頭を下げた。
「すまなかった。お前を疑うようなことを言ってしまった。」
「え、あ、うん。ぜんぜん」
「ここまでさっぱりしたのは初めてかもしれん。希望は不思議な魔法を使うな」
「そ、そかな」
たぶん、水で洗うだけよりは綺麗にもなろうしさっぱりもするだろう。
この世界、石鹸――くらいはあるかもしれないけど、シャンプーとかリンスとかはなさそうだし。
とはいえシルヴァのこの反応、クソ神様のくれた生活魔法は、ものすごく特殊な部類に入る魔法ではないだろうか。用途がめちゃくちゃ限定されてるしね!
「では、水場に行く必要はなさそうだな。希望の身が清まったら、町へ向かおう」
「うん」
今度は希望自身を対象に、洗濯魔法を起動する。
ああ、でも今度はシルヴァに魔法を誤射らないように気をつけドバッシャ
「…………」
「あ」
「希望。俺の洗浄はもういいと思うのだが」
「ご、ごめん」
効果対象のシフトが敏感すぎるよこの魔法!
おのれクソ神様、わたしの逆襲カウントがまた1上がったぞ。
早速の誤射被害を受けたシルヴァに平謝りしつつ、希望は乾燥魔法を起動した。
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