第4話 初戦闘における魔法の使い方
ともかくだ。
まずは人里に向かわなくてはならない。誰でもいいから人に会わないと不安で仕方がない。
あ、待って。山賊とかに捕まってアレやコレやされるのはイヤだから、誰でもはやっぱ撤回で。
薬草採取に来た美少女とかがいいです。
割と贅沢なことを考えつつ、どちらに向かうべきかを思案する。
先ほどどうのつるぎで調べた結果、人里までは直進距離で約5キロメートルらしい。しかし、それは今希望が向いている方向に直進すれば着くのか、回れ右して真っ直ぐ進んだら着くのかが分からない。
以前なら特に深く考えずに直進していただろうが、なにしろ今は希望の判断が生死に直結するのである。慎重にならざるを得ない。
どうでもいいけどどうのつるぎで人里までの距離を調べるってすごい
「あ、そうか。とりあえず移動すればいいのか」
考えることしばし、まずは適当な方向に移動すればいいことに気が付いた。
適当に移動した先で改めてどうのつるぎを使い、人里までの距離が近づけば直進し、離れていたら戻ればいいのだ。
深く考えずに直進していた場合と結果的に変わらない気がするが、そこはそれ、考えてから出した結果というのが重要なのだ。たぶん。
「うむ。さすがわたし、賢い」
渾身のドヤ顔をしてみたが、見てくれる相手も突っ込んでくれる相手もいない。
むなしい。あと寂しい。
これはいかん。動く前に心が折れそうだ。まずは一歩踏み出さねばならない。
と、希望が記念すべき異世界第一歩目を踏み出そうとしたとき。
草むらの向こう、森の方の茂みが、がさりと音を立てた。
反射的に身体が強張る。
ブルルル……という唸り声と、荒い息遣い。草の匂いに混じり、ほのかに漂う獣臭さ。
気配の方角を注視すると、その先に。
爛々と光る
――まずい。そう思ったが、もう遅い。
視線を外したくてたまらないが、目を逸らしてしまえば、アレは
距離があるため相手の大きさはうまく把握できないが、目の位置は希望よりかなり下のように見える。膝の高さくらいだろうか。
だとすれば、そこまで大きい相手ではないのかもしれない。
茂みをかき分ける音と共に、双眸の主が希望に向かって近寄ってきた。獣臭が急激に強くなる。
ゴクリと唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。
日の下にようやく姿を現したソレは、猪の姿をしていた。
「ッ――」
確かにソレは猪の姿をしていたが、同時に希望の知る猪とは明らかに異なる部分があった。
牙がバカデカいのである。なんのためにそんなデカさなのか意味が分からないが、まるで象牙だ。
そんな牙が、鼻に対し約四十五度の角度で
冗談じゃない。こちとら死因は包丁と思しき刃物の刺突による失血死だ。異世界に来てまで同じような死に方はしたくない。
そしてなによりその体躯である。頭の位置こそ地に着くほどに低いが、その先はもりもり盛り上がっていた。
体高自体は希望より高いだろう。まるで小山のようだ。もしあんなものの突進を受けたりしたら、ただでは済むまい。
猪? のような動物とのにらみ合いは、永遠に続くような錯覚があった。
実際の時間にすれば、ほんの数瞬のことだろう。猪はおもむろに、くん、と頭を下げた。
刹那、希望は理解する。
あれは突進の予備動作だ、と。
理解するとほぼ同時、反射的に魔法を起動していた。
*
後になってあれは魔法だったのだと認識したのであるが、起動の瞬間は意識する余裕など希望にはなかった。
生み出されたのは、大量の水。
希望の防衛の意思に従ったのか、膨大な量が猪へ襲い掛かる。これだけで一つ川が生まれそうな勢いだ。
まるで一切を押し流すような奔流は、果たして件の猪のような動物に直撃した。轟音と共に、大量の水煙が立ち上る。視界はまるで効かない。
「やった……?」
フラグである。
頭では理解していたものの、こういう時は思わず声に出てしまうのだ。水煙が収まるのを待つまでもない。過剰攻撃になるかもしれないが、念には念を入れてもう一撃叩き込むべきだ。
決断まで一秒足らず。追撃魔法の起動まで、さらに一秒。
唐突に放り出された異世界での初戦、自分のスペックもろくに分からないままという状況で、希望の適応力は元女子高生とは思えない驚異的なレベルであると言えた。
結果的に、その判断は希望の命を守ることになる。
猪のような動物は、
「いっ……けぇ!!」
二発目の魔法は、強風の魔法だった。いや、強風というより熱風と形容するのが正しいだろう。空気は急速に乾燥し、吹き抜ける風が気温を跳ね上げた。
あたりに漂う水煙の
――とはいえ、吹き飛ばすほどの威力ではない。
魔法の風も確かに熱いが、皮膚を焦がすような熱さではない。どこか懐かしさすら感じる熱さである。
やがて、風は止んだ。
「…………」
「…………」
希望と猪のような動物(もうめんどくさいから魔物でいいや)は、約10メートルの間合いを保って再び対峙した。
猪の魔物は、ブルルッと全身を震わせる。特にダメージは見受けられない。
魔法を使う前と後で明確な違いがあるとすれば。
ヤツの毛がめっちゃもふもふになっていることだろうか。
先ほどのごわごわしてそうな見た目とは打って変わって、もの凄く肌触りの良さそうなもふもふである。
最初の水の魔法。二番目の熱風の魔法。そして得られたこの結果。
熱風の魔法ブッパ中になんとなくそんな気はしていたが。
「洗濯と、乾燥……!」
まさに生活用魔法だった!
熱風の温度に妙な懐かしさを覚えたのも道理である。だって限りなくドライヤーの温度なんだもの!
どんな魔法を使ったのかは分かったが、とりあえずもう一度同じ魔法をブッパしても効果がないことだけは確かである。
だからあれほど殲滅魔法をよこせと言ったのにあのクソ神様!
水と風の魔法が洗濯と乾燥ならなにか、火の魔法は料理か! 氷魔法は冷蔵庫か! 掃除の魔法とかあるなら目の前の猪を掃除してみろコノヤロウ!
内心歯噛みしつつ、希望の脳は現状を打破すべく高速で回転する。
待て。
逆に考えるんだ。アレは肉だと。食材だと。よく見たらブタっぽいしね!
昨今の創作物でもいろいろ出てるじゃないか。要は拡大解釈だ。アレを食材であると解釈して、料理用の魔法を適用するのだ。
きっと
発想が割とグロい方向に突っ走っている気がするが、希望の命がかかっているのである。残虐行為に手を染めるのも否やはない。
「出ろ、なんこう……いい感じの料理魔法!」
猪の魔物が再び突進の構えを見せた瞬間、希望は本日三回目の魔法を解き放った。
瞬間、吹き抜ける強風。
先ほどの乾燥魔法と違い、熱気はない。まるで極北の冷気のような、鋭い風である。疾風は地を這うように草原全体を巡り、猪の魔物に殺到した。
直撃。
「――――ッ!?」
苦悶の声か、猪の魔物はうめき声を上げた。
見れば、全身から血が噴き出している。血の勢いはそう強くない。しかし、洗濯魔法よりは明らかに効き目があった。
巻き上がるつむじ風が、切り裂いたのであろう草を連れ去って行った。
そして積み上がる草の山。
「……りょ、りょうりまほう!」
どう見ても発動したのは草刈りの魔法だった!
多少でも効果あったからいいけど! いいんだけど!
草刈りの魔法は要するに鎌で切りかかるようなものだから、あの魔物の毛皮にも傷をつけることができたのだろう。
しかし、どうしても希望の予想通りの魔法は発動しないらしい。まるで魔法を用意してくれたクソ神様のようにひねくれた発動率だ。
「ゴ……ガ……ガアァァァァァァァァァァァァッ!!」
半端に傷をつけたのはよくなかったのかもしれない。
猪の魔物は、すごく分かりやすくブチ切れていた。血走った眼差しは、明確に希望を補足している。
これは、ヤバい。
背筋を怖気が駆け上る。希望は反射的に横っ飛びに飛んだ。
刹那、直前まで希望がいた場所を荒々しい気配が通り過ぎる。猪の魔物の突進だ。
頭を下げる予備動作など、確認する余裕もなかった。速度を殺しきれなかったのか、魔物は突進の勢いそのままに草原の外れにある大きめの木に正面からぶつかった。
めきめきと音を立てて木がへし折れる。
すぐさま立ちあがり、希望は猪の魔物がへし折った木の方を向いた。頭突きの衝撃で気絶とかしててくれると、アホかつとってもありがたいのだが――
撒き上がる土埃のその向こう、そそり立つ牙が見える。
物事はそんなに都合よく動いてくれないらしい。刺されて死んでクソ神様に絡まれた上に異世界に飛ばされて、訳がわからないまま猪と戦う……なんだこのハードモード。
希望の体感的には刺されてからまだ一日も経っていないので、人生最悪の一日が絶賛記録更新中である。
怖い。
怖いに決まってる。一瞬の隙がそのまま死に直結するのだ。
くだらないことを考えるのも、悪態をつくのも、恐怖から目をそらせるからだ。
考えろ。考えるのを止めてはダメだ。考えるのを止めれば怖くて足が止まる。足が止まれば――死ぬ。
どうのつるぎを取り出し、切っ先を猪の魔物へ向ける。重いが、万が一正面から受けても直撃するよりマシだろう。
構えると同時に、どうのつるぎが読み取った情報が頭の中に流れ込んできた。
オックスボア。猪の魔物。縄張り意識が強く、侵入者は積極的に排除しにかかる。草食寄りの雑食性。肉は食用。毛皮・骨・牙は素材としての価値がある。体毛は剛性に富み衝撃に強い。魔力による攻撃が有効。
まりょくこうげきがゆうこう。
「よし詰んでる!」
魔力攻撃が有効とか聞きたくなかった!
攻撃魔法? ねーよ! 洗濯とドライヤーだよ! 一番攻撃力あるの草刈りだよ!
もうこれ他の魔法に賭けるかすてきななにかに賭けるしかないんじゃあるまいか。
……どっちの選択もあんまり期待が持てなさそうだった。すてきななにか、ぐえええってなるらしいし。
ワンチャン敵がぐえええってなるすてきななにかかもしれないが、今までの流れからして希望がぐえええってなる未来しか見えない。そうなったら間違いなく死ぬ。
オックスボアとやらが、二度目の突進を仕掛けてきた。
今度は先の突進より距離が開いている。突進の方向を確認してから避けるだけの猶予はあるはずだ。
頭を下げて牙を突き出し、一歩、踏み出してくる。その一歩目から、オックスボアは猛烈な速度で希望へ近付いてきた。通常は踏み込み後に挟まれるであろう、加速という過程が一切ない。
まるでビデオの早回しでも見ているかのような悪夢じみた光景に、希望の意識は一瞬釘づけになった。
――足が、止まる。
やばい、と思った時には、オックスボアは既に目前に迫っていた。
猛スピードで突っ込んでくる軽自動車の前に飛び出したようなものだ。よしんば牙の直撃をかわしたとしても、質量に押しつぶされるであろうことは想像に難くない。
オックスボアの突進は、まるでスローモーションのように緩慢に見えた。
だがそれ以上に、希望の体が動かない。緊張で極限まで高まった神経が、無駄に感覚を引き延ばしているのだろうか。
どうせなら一瞬で終わって欲しい。
結局なにもしないまま、無駄死にで終わるのだろうけど。とりあえずは魂が消えるという事態の回避は出来たのだ。ゴブリンとかオークとか山賊とかにアレやコレされることなく一撃で死ねるのは、まだマシな気がしないでもない。
ああ、特に面白みのない終わりだし、クソ神様も拍子抜けだろう。それはザマアみろ、かな。
オックスボアの牙の先が目の前まで迫った時、希望は反射的に目を閉じてそんなことを考えていた。
が、いくら待てども希望に襲いかかるであろう衝撃は来ない。
「……ん?」
恐る恐る、目を開けてみた。
赤。
目の前に広がっているのは、赤だった。
その赤は、まるで希望が目を開けるのを待っていたかのように、希望の思考が追いつく間もなく爆発した。
「ぶっっ」
爆発した赤は、生ぬるい温度の液体だった。
少しだけ口に入る。しょっぱい。
ほのかに香る鉄の臭い。たぶん、血だ。
「ぺっぺっ」
飲み込んでないし大丈夫だよねコレ。毒とかないよね?
「……その、なんだ。すまない」
「え?」
唐突に頭の上から声がかかった。視線を声が聞こえた方――右斜め上に向ける。
希望は無意識にへたり込んでいたようなので、相手が立っているのなら頭の上から声がかかるのは当然だろう。
いつの間に現れたんだ、とか。この人が助けてくれたのだろうか、とか。あんまり直視はしたくないけど目の前で血を噴き出しているコレはさっきのオックスボアなの? とか。
聞きたいことはいろいろあったが、相手を見て希望は再度思考停止することになる。
なにしろ希望に声をかけてきたのは――イヌだったのだから。
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