第4話「螺子巻キライフ」

 直径五十メートル弱の広い円形の館の中、壁面に敷き詰められた棚に綺麗に並べられたオルゴールが、今日もそれぞれ別の音色を奏で続けている。


 最上階の四階まで、各階毎に位置の違う螺旋状の階段を上れば、一番上にはドーム型の天窓が、暗い夜空を映し出していた。


 あの夜空が本物かどうかを知る術は無い。


 硝子越しに見えているこの星々が微動を繰り返していれば本物なのだろう。だが、常に同じということは、硝子そのものに描かれているのかもしれない。


 強いて言うならば、この世界が殺風景な世界ではないのが救いだった。



 最上階の中心で寝転がることが、この館での唯一の趣味となっている。

 といっても、変わり映えのしない風景に飽きていることに違いはない。


 この館の中に時間という概念は存在しない。昼も夜も無い。明かりを永遠に灯し続ける蝋燭だけが唯一の光となっている。


 蝋燭は等間隔に並べられているため、別に館全体が暗いという印象は抱かなかった。

 むしろ、天窓から見える景色の方がよっぽど暗くて恐ろしいように感じる。

 星々の不変の煌めきは、とても恐ろしいなにかを心の奥に響かせる。



 さあ、そろそろ仕事を始めよう。

 始業時間があるわけではないが、決められた運命という仕事は全うしなければならないらしく、その使命感に逆らうことが出来なかった。


 ただ、誰かに縛られることもなければノルマがあるわけでもない。

 こんなに自由な仕事、職場は、あっちの世界には存在しなかった。これはこれで気楽でいいものだ。



 館の中は、並べられたオルゴールが永遠と優しい音を奏で続ける。


 私は各階に並べられたオルゴールを確認する。


 音の途切れてしまったオルゴールを手に取り、作業机へと向かう。


 作業場を一階に設けているせいで、(いやおかげなのかもしれないが、)休憩は四階、作業に関しては一階でと、メリハリのある環境と言える。


 今、私が手に持っているオルゴールは結構気に入っていたオルゴールだが、止まってしまえばまた止まらないように改良しなければならない。


 音が途切れてしまえば、二度と同じ音色を作ることは出来ない。それが、この仕事で唯一気分が落ち込む瞬間だった。

 お気に入りのオルゴールを何十、何百と作り変えてしまった今でもなお、少し憂鬱になってしまう。


 無数に並べられた私のオルゴール、作った順に並べているうちに最初の棚を見失ってしまい、今となっては軽く千を超えて万に到達しているかもしれない。


 それでも、一番最初に作った物だけは常に作業台の片隅でその音を鳴らせ続けている。

 それは、心を揺さぶってくれる懐かしいという感覚を思い出させてくれるもの。私の存在を肯定してくれるもの。


 この最初のオルゴールが止まれば私も止まってしまう。つまり、消えるかもしれないという不安に襲われる。それが何故だかは分からない。

 けれど、その尚早に駆られる旅、気が付けば私は螺子を巻き直していた。


 他のオルゴールが止まろうと壊れようと、捨てようとも何も感じないが、このオルゴールだけはどうも傍に置いておきたい。モノづくりとはそういうものなのかもしれない。


 最初が肝心とはあながち間違ってはいないのだろう。

 いや、言葉が違うだろうか。

 最初の思い出、というべきなのかもしれない。


 自分が、自らの手で作り上げた最初の作品をそう簡単に壊せる訳がない。



 私は止まってしまったオルゴールをもう一度、中身を改良してから螺子を巻き直し、再び同じ棚へと戻した。


 ここは一人で見て回るには少し厳しいと思えるくらいには多少なりとも広い。

 鳴り続けるオルゴールの中から鳴り止んでしまったオルゴールを見つけることもまた難しい。



 再び、止まってしまったオルゴールを見つけて片手に持ちながら、棚に並ぶオルゴールをチェックしていく。


 私以外ここには誰も居ないし来たこともない。誰かが居たことが一度も無い。

 私は死んでいるんだろう。だが、神様も死神も未だに出会っていない。

 閻魔様にも会った記憶が無い。


 そもそも、今こうして此処に居る私とは何なのか。この空間は何なのか。ふと疑問に思う。

 だが、考えても仕方がないので、私はいつも途中で考えることを止める。


 誰も居ないなら居ないで気が楽なのだ。寂しさはオルゴールがかき消してくれる。天使も悪魔も神様も、放任主義は現実とさほど変わらない。


 この不思議な世界でも、その主義を貫き通してくれているようで、何も正解を教えてくれない。


 古い木製の床がミシミシと音を立て、通路に敷かれた紺色の絨毯は所々その色を薄めていた。

 カツンカツンと足音が響く。


 本当に私は何をしているのだろう。


 考えても無駄だと分かっていても、考えてしまうのが人というものだ。


「これも止まってしまったのか」


 呟いた声は床に沈んでいく。そも、誰も聞いていない、聞こえないであろう私の声は、本当に声量を出せているのだろうか。

 私だけでは、それを確認することはできない。



 作業机へと向かい、再び今日の仕事を遂行する。


 ただオルゴールの螺子を巻くだけでは許されない。

 何が止まってしまった原因なのか、どこを換えればもっと良くなるのか。


 技法も何も分からないが、感覚だけでそれを続けている。


 上手くいったときは達成感に満ちてその日はぐっすりと眠ることが出来る。だがしかし、失敗した日には(日にちという感覚は私自身の感覚でしかないのだが)、作業机の隣に置かれた底の見えないゴミ箱にそれを捨てることになる。


 このゴミ箱は自分でゴミを外に持ち出さなくても良いからとても重宝しているのだが、この底なしのゴミ箱がどこまで続いているのかは分からない。


 落としたオルゴールが何かに当たるような音も聞こえない。どこまで落ちているのかは分からない。


 私は分からないことだらけだった。



 新しく作ったオルゴールや修理をしたオルゴールを完成させた後、必ず行わなければならないことがある。

 オルゴールに体液を付着させること。


 唾液でも涙でも血でもなんでもいい。物に魂を与えるための作業、何故こんなことをしているのかはいまいち分からないが、自分が作ったものだという印のようなものかもしれない。


 私は唾液には抵抗を覚え、あくびが出た時はそのまま涙を、出ない時は腕を軽く刃物で切り付けて血を垂らす。

 痛みにはもう慣れてしまい、どの辺りが一番浅く血を出せるかも分かってきてからは、随分とこの作業が楽になった。


 切りたくない、怖い、痛い、そんな感情が渦巻いて最初の頃は完成させるのにも時間がかかった。そんな時は恐怖を糧に涙を流したものだ。


 前に手首を切り過ぎた時、その血を残して新しいものが完成した時に代用してみたことがある。だが、そのオルゴールはすぐに壊れてしまった。

 その後も何度か試してみたが、全てすぐに壊れてしまった。


 壊れた代償に分かったことは、新鮮な体液でなければならないということだった。どうも、時間的な問題が存在するのか、身体から離れてしまった液体には印としての価値は無いらしい。

 印としての価値がないから壊れるという因果関係は不明のままだけれど……。



 初めて作ったオルゴールをじっと眺めていると、最初の頃を思い出す。


 ここには時間というものも、風化も、劣化も、何もない。


 食べ物という記憶はあるけれど、食べなくてもどうということはなく、腹が減るということもない。ただ、寝るという行為だけは体が強制的に行ってしまう。


 私の意識は眠るということをしなくてもいいのに対し、身体はずっと動かし続けられるのを嫌うみたいだった。


 目が乾燥して意識がふらふらしだすと、私は自然と最上階の中心で寝転んでは、変わり映えのしない夜空を見ながら眠りにつく。


 時間というものがあるはずだが、それを感じさせるものがここにはない。何処にもない。無いから老いることも無い。腹が減ることも無い。だが、無意識で眠くなる。仕事はある。



 オルゴールに血を滴らせ、木枠を濡らす。最初は綺麗な朱色の液体も乾けば赤茶色の薄汚い色へと変化していく。


 元々が木枠のため、そこまで汚くは見えない。だが、塗り込み過ぎるとオルゴールがダメになる前に木枠がダメになってしまうことがあり、慣れないうちは失敗した木枠を捨てて新しいものに移し替えた。


 よし、今回は良い感じに出来たみたいだ。



 この作業の意味を自分なりに考えてみようと思い、起きてから仕事をせず、何故作り続け、直し続けるのかを考えた時があった。


 だが、仕事は仕事、やらなければならないようで、半強制的に身体がオルゴールを求めて動く。逆らうことは出来ないらしく、私は仕事の合間に考えることにした。


 手を動かしながら、頭の中は私の想像が膨らんでいく。


 そう、これは魂の分配、自分の作った物に魂を分けることで、自身の魂の向上と浄化を図る。


 これが私の辿り着いた答えだ。


 ここに来てからずっと、こうして魂を分配し続けていると思うと、もう私の魂の大元はこの体に無いのではないかと思ってしまう。

 だが、私という思念はここにこうして体に宿っているのだから大丈夫なのだろう。


 数千の分けられた魂に囲まれていると思うと、オルゴールと合わさって一種の楽団のようなものにも思える。まあ、独り舞台でしかないのだが……。


 思念、魂、心とは何なのか。


 生きていた時に考えていたこともあるが、結局よく分からなかった。

 今もこれが死んでいるという状況なのか、何処かの実験施設にでも入れられたのか、本当に何も分からない。


 私はここに最初から居たのかもしれないし、それとも別の場所からここに移動してきたのかもしれない。


 どこか別の場所で生きていたような気がしないでもないが、陽炎のようにもやもやとした記憶が頭の片隅に残っているだけだ。


 何かを見出したような、見出す前に死んでしまったような、そんな溶けて消えてしまいそうな記憶が残っているだけ。


 ただ、生きていた時は、あまり自由な人生ではなかったように思う。


 世界的な制限、社会的な制限、家族的な制限、人間的な制限、個人的な制限、法律や規則、色々なものがそれぞれ相手を縛り合っている苦痛の世界だったように思う。


 世界はぞれぞれ自分の国を主張し分断され、自分たちの仲間意識でしか物事を考えず、その国の中でも、仲間と敵を作り出しては争っていた。でも、それは仕方がないことだった。


 彼らは人ではなく人間なのだから……。


 いがみ合い、憎み、争うか競い合うことでしか意味を見出せない生き物なのだから……。


 社会もまた、人間を善と悪に分けて差別をした。


 人間には決められない善悪を、様々な過去の出来事から掘り返し、何が悪で何が善なのかという基準を設けた。だがそれもまた悪の逃げ道となってしまった。


 基準とは逸脱したものを測ることは出来ないのである。


 人間は善悪の判別が付けられない時、それぞれの経験を持ち寄って解決しようとした。だが、そもそも善悪に基準は作れない。


 人間に罪を裁くことは出来ない。


 一番手っ取り早いのは、対象の相手にオウム返しを行うこと。


 誰かを殺したのなら死刑を。物を盗んだのならば本人の何かを盗む、奪う。脅迫したのなら本人を脅迫する。誰かを撃ったのならその本人を撃つ。


 自分に返ってこないと思っているからこそ、人間は罪を犯していた。


 記憶や心にその代償を刻み付けたならば、罪の重石を引きずって歩かせることが出来る。


 こんなことを言えば道徳に背く行為だと誰かが非難するだろう。そう、だから人間はそこで止まってしまっていた。


 人間の頃の記憶はあまり良い思い出が浮かばない。もやの中に浮かんでは消えていく。

 ただ、こうして人間について考えられるということは、私はちゃんと生きていたのだと思う。



 生きとし生けるものは淘汰されていかなければならない。


 植物も動物も人間も、生きては死んでを繰り返さなければならない。より良くなるために、より良い世界を作っていくために。


『死んでいい人間など居ない』

『人間には平等に生きる価値がある』


 などと言うのは、ただの甘えでしかない。


 私はここに来る前、世界の不公平・不平等の真理に気付いて――――自殺した。


 そう、自らを淘汰した。


 私は私を殺した。


「…………………………」



 修理したオルゴールを棚へと戻してから、私は一旦一階へと戻り、作業机に置いてあるオルゴールの螺子を回した。


 ずっと昔に聞いたこの音楽は、私への戒めであり、杭であり、忘れたいけれど忘れてはいけない、そんな不条理な世界の最後に聞いた音楽だった。


 幸せだった記憶はほとんどない上に、生きていたであろう時の苦痛や苦悩は今もなお、私に悪夢を見せる。

 靄の中に隠れていた深く沈んでいた感情が表舞台に顔を出す。


 生前(今が死後という保証も無いけれど)、家族が殺された。


 父が、母が、兄が、嫁や子どもも殺された。


 気の狂った狂人に、精神病棟から脱走し雲隠れしていた男に殺されたのだ。


 その日は久しぶりに両親と私の家族が一緒に食事をすることになっていた。


 仕事が長引いてしまい、一時間ほど遅れて実家へと戻ると、それはもう凄惨な現場だった。


 犯人が手に持った包丁はべたべたに血が付き、部屋が真っ赤に染まっていた。


 それを何か新しいアートのようにも感じながら、否応なしに漂ってくる血の匂いで胃の中の物をこれでもかと吐き出した。


 家族の死体と犯人を見た時、怒りに身を任せて、私は身近にあるものをとにかく犯人に投げつけた。


 壺だろうが花瓶だろうが、石だろうが靴だろうが鞄だろうが、とにかく投げつけた。


「ふっ……」


 蘇る記憶に苦笑してしまう。


 近付いたら殺されるのが分かっているから近付くことが出来ない。けれど、腹立たしい、怒り狂った感情は抑えが利かずに暴れ出す。


 真に怒りが頂点に達しても、私はどこかで冷静に落ち着いているのだ。


 家族を殺されたのに、最愛の妻を殺されたのに、愛しい我が子を殺されたのに。


 恐怖という感情が私を支配していた。

 本心から立ち向かうことが出来なかった。


 恐怖は人間から「戦う」という戦意を喪失させる。狂い笑う犯人を見て、私は怖気づいていた。


 犯人はベランダから逃げ去った。物音と家族の悲鳴を聞いた近所の人が警察を呼んでくれたおかげで、犯人はすぐに見つかった。


 そうして、私は独り、血塗れの家で心を殺された。


 裁判で争った結果、「精神異常」という理由で死刑は免れ、犯人は安全な施設でのんびりと過ごした。


 こんな、こんな不条理が認められる世界なのだ。


 人を殺そうが、幾ら罪を重ねていようが、精神に異常がある者ならば許されるという世界。


 例えそれが嘘であっても、それを証明するために演じられてしまえば、私の家族はただの道楽によって消されたということになるのだ。


 許されてたまるものか……。そんな不条理がまかり通ってなるものか……。


 法が、人間が、警察が、私以外が裁けないのなら、被害者がその胸中を晒して裁くしかないだろう……。


『加害者が被害者を苦しめた分、同じ苦しみを加害者へと返す。これは等価交換であり、物理的な物々交換の一端である。』


 私は決心した。


 必ず、家族が背負った苦痛を犯人に返してやろうと。


 もし、犯人の立場を保護する者が居るのなら、同じ立場に立たせてあげよう。


 この狂人にもう一度暴れさせ、その善悪の定まっていない偽善者へ改めて聞いてみよう。

「これでもまだ、貴方なら許せるのですか?」

 と……。


 慈悲の心をもって、これでもまだ寛大な処置が出来うるのかと問うてみよう。


 貴方が私に下していたその慈悲的な判断は「公平・平等」の名の下に考えられた答えなのかと……。



 私のこの提案に答えてくれた者は居なかった。


 そして私は犯人を連れ出し、暴れられないように眠っているうちに手足を縛った。


 父、母、兄、妻、子ども……、五人分の苦しみをこれでもかと詰め込んだ。


 内容はもう覚えていない。その時、既に私は私ではなかったような気がする。


 感情が、憎悪というものが心を蝕み、脳みそが「どうすれば相手が苦しむか」ということだけを必死で導き出していた。


 この時既に、私が人間を辞めていたことは確実だった。


 目の前でもがき苦しむそれをただ冷静に、冷徹に、次の段階を考えながらその様子を観察していた。


 もしかしたら微笑んでいたかもしれないと思う程に計画的だった。


 ここまで私はミスもせず、確実に彼を苦しめながら死へと近付けさせていることに満足感さえ覚えていたように思う。



 そうして、世界は私を非難した。

 世界は狂人を庇った。

 世界は私を拒絶した。


 私の愛した家族の人権や存在意義は無へと消え失せた。



 やり返すという行為を人間は嫌う。

 それを私は慈悲という無能な感情のせいだと感じている。


 だが、命が平等だというのならば、消された命は消した命で賄うのが自然なのではないだろうか。


 五つの命の灯を消したゴミ屑のような命を、何故守らなければならないのだろう。


 『保護』という、人間の甘やかし以外の何物でもない『慈悲』という無駄な行為が、これからの命を、誰かにとって大切な命を奪っていったのだ。

 保護していたのは何の為だったのか。命の価値、重みとは何なのだろうか。



 「真の平等」は、私が生きていた世界には存在しなかった。


 だが、不平等だからこそ、あの世界は成り立っているのだから仕方がない。


 利己主義の世界で存在する利他主義は、既に利己主義の価値観に汚染され、その本質を見失っているのだから……そう、仕方がないことなのだろうな……。



 地球という星で生まれた時の記憶。今思い返せば、一つの映画のような救われない物語だった。

 これが前世の記憶だとは思うけれど、本当かどうかは今となっては不確かだ。


 だって、私は今こうして此処に居るのだから。



 時折り、オルゴールに分けた私の魂が、私の元へと戻ってくることがある。


 魂の欠片はオルゴールの世界でも私を演じていた。


 同じような世界を構築し、その中で私は別の人生を生きている。

 同じ運命を繰り返すということは無く、オルゴールによってその世界の進み方は違っているようだった。


 魂の帰還を感じる度に、記憶もまた同時に私へと帰還する。


 どの記憶が確かな私なのか、いや、そもそも確かな私とは何なのか。それすらも疑わしくなってきている。


 家族と仲良く老後を迎える世界があった。

 地球崩壊の中、家族との残りの数分を生きる世界もあった。

 一人きりの人生の世界も存在した。


 オルゴールが音を止めた時、魂の欠片が抜け出た場合に限り、尚且つそれが新鮮な状態で私の近くにある場合にのみ、それは私の魂へと混ざることが出来る。


 別の世界の自分が再び別の人生を繰り返している。しかも、それは不条理な世界とは違った世界も存在する。


 こんなにも時間をかけて様々な人生を経験することが出来るのだから、オルゴールを作るのはやめられない。やめたくない。確かな幸せを作らなければここに来た意味が無い。


 本当の幸せを見つけるまでは消失したくない。





 最初のオルゴールを片手に携えて、私は天窓の真下で寝転がった。鳴り続ける音色は相変わらず懐かしさを感じる。


 そうして時々、考えてしまうことがある。


 この世界も、実はオルゴールのような世界なのかもしれないと。


 最初に作ったオルゴールを止めてしまえば、この世界は消えてしまい、私というこの魂も何もかも、別の場所へと帰化するのではないだろうかと。


 私がこうしてここに居るという自覚が消えてしまえば、別の私にこの魂ごと戻ることが出来るのではないだろうかと。


 ただ、この世界では自殺すること、つまり死ぬことは出来なかった。


 蝋燭の火は私が近付くと道を開けるかのように消える。

 つまり、焼き死ぬことは出来なかった。


 血を幾ら流したところで、気を失った後には天窓を見つめて目が覚める。


 四階の高さから落下しても、天窓を眺めている所からスタートした。


 最初に作ったオルゴールがその音色を止めるまで待つことにしたが、衝動が抑えられずに螺子を巻いた。


 私はどうにも死にきれなかった。



 この閉ざされた館の中で、私はいつまで作り続けなければならないのだろう。


 どうすれば死ねるのか分からないこの場所で、扉の無いこの館で、いつ終わりを迎えられるのだろうか。


 オルゴールの世界で私自身が人生を再び歩むことが出来れば、孤独を感じずに済むのだろうか。

 いや、私が再度人生をやり直したところで、あのトラウマは消えはしない。


 もう、人生を自分自身でやり直すなんて、心が、魂が、精神が拒絶してしまう。


 もう二度と、あんな現場には出くわしたくない……。



 私は考え事をしているうちに眠りについていたようだった。


 目が覚めて、手に持ったままのオルゴールが心配で飛び起きた。


 大丈夫、音は鳴り続けている。





 私の、この世界での人生はまだ終わりを迎えそうにない。


 じっと天窓を見つめて、私は不動の夜空を眺めた。


 キラキラと輝く星の一つ一つに私のような人間が存在しているのなら、一度会ってみたいものだ。


 この世界の理が何なのか、それを調べない限りはここから出ることも出来ないだろうが。


 神様がここに私を運んだのか。それとも、未練がここに私を運んだのか。将又、私自身の妄想か。


 まぁ、なんでもいい。


 オルゴールという世界の中だけでも、私の断片が幸せになれるように作り続けよう。


 不幸の音色が無くなるまで、私はこの世界でオルゴールを作り続けよう。



 そうして、今日も私は館の見回りを始めることにした。

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