第2話

 高校最初の夏休み前、私は話題の新書を片手に放課後の図書室を後にした。



 廊下で談笑をしている生徒たちの間を縫って、教室へと向かう。本の表紙もまだ鮮明で新しく、ささやかな期待が胸の内に宿る。


 ぼんやりとそれを眺めながら、廊下の曲がり角を曲がった途端。



「う、わ!びっくりした!」



 突然角の向こう側から、誰かが飛び出してきた。避けようとしてよろける私と、大きな声をあげた相手。その拍子に、借りたばかりの本が床に落ちる。



「あー、すみません!大丈夫ですか」



 あまりに唐突でまだ顔も見ていないのに、声だけで誰だかわかってしまう。

 なんて、私は彼を観察しすぎていたんだと思う。



「……大丈夫です」



 小さな私の声。なるべく目を合わせないように伏せていた視線が、彼の持つ教科書の裏表紙を捕らえる。



 “吉永蓮″



 細いマジックで綺麗に書かれた名前、やっぱりそうだ。


 今目の前にいるのは、吉永蓮だった。



 彼を見ることができない上に、落ちた本を拾うこともできない。急展開に全身が固まってしまう。すると吉永蓮が、私の代わりに本に手を伸ばした。



「……あの、これ」



 彼が、本を拾う。

 透明人間のように、空気のように漂うだけのこの身体。いてもまるでいないみたい。そんな私だったのに。



「……この本もう読んだんですか」



 吉永蓮が、そう言って本を差し出す。その瞳が私をじっと見ているような気がして、思わず僅かに視線をあげる。



 君と初めて目が合った、その瞬間。

 心臓のどこか変なところが、どくんと音をたてた。



 真っ直ぐ向けられた眼差し、本を持つ男の子らしい指。いとも簡単に視界に入ってきたそれらは、一瞬で私の世界を、思考回路を止めてしまう。



「……あ、なんかすいません、俺もこれ気になってて。もう読んだなら感想聴けたら嬉しいなーって」

「……」

「……あー、ほんとごめんなさい!急に話しかけて!じゃあ!」



 彼は、何も返答しない私の腕に本を押し付けると、恥ずかしそうに走り去っていく。吉永蓮が通り過ぎる。風が私の頬を撫でる。



 彼が、私に声をかけた。こんな私に。

 鼓動がいつもより速い。初めての感覚に全身が戸惑っていた。

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