第7話 『依頼』
不定期ながら雄仁さんは、決まって月曜日の昼頃に店に来ると、絵を交換して、『本日の珈琲』を頼み、特に何も語ろうとせず、時間を確認する素振りもなく、ただじっと店に身を置くらしい。
僕はまた会いたい、と強く思っていた。強く。
落としかけたソーサーを反射的に掴んだ衝動で、僕の意識は現実に引き戻された。
マスター・・・辻本さんがちらりと僕の方を見ると、「今日はなんだか危なっかしいな。」と笑った。
「すみません。」と洗い物を続けた。
顔をあげると、目の前に、二ヶ月ほど前に変えられた絵があった。
泡まみれの食器たちを水で流しながら、それを見つめた。
性別不明の黄色い人間のようなものが、だらしなく舌を出した犬のようなものを抱き締めて眠っている。
真ん中には小さいロケットが飛んでいて、その煙が二つの生物を包んでいた。
作者本人、雄仁さんに出会ってから二ヶ月経ち、僕は大学二年生になった。
あの日から随分変な夢を見続け、遂には今朝、夢精をしてしまった。
花純に興奮できないのが運命なのと同様、僕が雄仁さんの作品、否、雄仁さん自身に興奮してしまうこともまた、運命だった。
だからこの
「雄仁さんはね。」
辻本さんが流し台の蛇口をきゅ、と閉めて続けた。
「もともと常連さんだったんだよ。当時は二週間に一度くらいの頻度で来てくれたんだ。私も物静かな方だけどね、彼はもっと寡黙だった。
こちらから話しかけない限り口を開くことはなかった。でもある日、話したんだよ。雄仁さんから。
大きな荷物を持っていると思ったらそれは絵だった。そこにあるものと同じサイズのものだ。それを見てほしいとのことだった。
もちろん、と見せてもらったんだが、それが似顔絵でね。誰って、私のだよ。
輪郭はおかしいし髪の毛もないのに、それは確かに私だった。
不思議なもので、頼まれる前にここに飾る絵をお願いしたんだ。締め切りがなければ、と彼は了承した。
少し微笑んで見えたよ。それまで見たことのない表情だったからよく覚えている。」
一体どんな顔だったのだろう、と想像しようにも、僕は雄仁さんの輪郭全てを把握していなかった。
「それでこうしてずっと、絵を描いてはここに持ってきているんですね。」
「そう。丁度これくらいの時期だった。そろそろ五年になるんじゃあないかな。」
「あのう、次はいつ来るとかって、分かりますか。」
「ううん。彼は気まぐれだからね。数週間後だったり、長くて半年くらいの時もあった。」
「そうですか・・・。」
「会いたいのか?」
「はい。」
辻本さんが驚いた顔をしたから、それが冗談で発された言葉だったことに時差で気づいた。
「変な意味でなく。」
と咄嗟に付け加えたことを重ねて後悔した。
喉に膜が張って唾と空気を止めた。
今すぐ蛇口を捻って、吹き溢れるもの全てを飲み込みたくなった。
そうしてしまう前に辻本さんは表情を戻して「分かっているよ。」と右側のこめかみ辺りをざりざり、と掻いた。
奥さんが教えてくれた、辻本さんが嘘をつくときの癖だった。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます