第6話 『雄仁 』
僕らは何度か試みた。
しかし、意識と無意識はまったく違うところにあって、どうしても花純とは終えることができなかった。
そうしてそのうち、セックスをしようとしなくなった。
逆に言えば、セックスをせずとも、僕らは共に過ごすことができた。
彼女はそれでもいいと言った。私たちが今後関わらずして過ごしていけるとは思えない、少なくとも私は、と。
僕も同意見だった。
どんな形でも僕らは共にいるべきで、共にあるべきだと思った。
それは付き合っているというより、どこかもう、結婚して何年も経ったかのような、そんな感覚だった。
卒業して花純は地元の、僕は上京して、それぞれの大学生活を送ることとなった。
どうしても行かなければならない、特別な理由はなかった。
しかし、花純は僕を都会に行かせたがった。
「あなたはもっと広い目を持つべきなの、自身の発見のためにも。」
人体に興味があったので、医療関係の、施設や機器が充実している専門学校に入学した。
勉強は嫌いじゃなかったので、難しくとも苦ではなかった。
が、いつも隣にいたものだから、花純のいない日々はとても退屈に感じた。
しかし、お互いに連絡はよくし合っていたし、時間が取れれば電話をした。
離れていても、充分僕らは繋がれた。この表現はどこか皮肉かもしれないけれど。
月日が経って都会での独り暮らしにも慣れた。大学一年生の終りだった。
僕が借りているアパートの大家さんは、小さなカフェを経営している。そこは夜にはバーになった。
僕はそこでアルバイトをしていた。
店は奥に細長く、薄暗い照明がカウンター席を照らしている。
そこに高さの調節ができる、背もたれのない丸椅子が、等間隔に九つ置かれている。
そして、入って四つめの椅子の後ろの壁に、誰かの絵画が飾ってあった。
その絵は、不定期に変えられていた。
お客さんの背中にあるものだから、それについて触れる人はいなかった。
そもそも店の雰囲気に飲まれて、どこにあっても気付かれないのかもしれない。
むしろ、見つかりたくないかのように、縮こまっているように僕には思えた。
しかし僕は、そこに飾られる絵が気になっていた。
そこに描かれるものは大抵、男か女か分からない人だった。
髪の毛は無く、表情ははっきりしていないし、輪郭はぐにゃんと曲がっていて、あり得ないくらい手が大きかったり、とにかく全てが曖昧に思えた。
しかしそれが何かと調和されて、しなやかに、じりり、と僕の目に焼き付いた。訴えに、僕だけが気付けた。・・・気がした。
雪が降りそうな日だった。多分、降らなかったけれど、とにかく寒い日だった。
いつものように開店作業をしていると、大きな荷物を持った男が入ってきた。
背は僕より五センチほど高く、あまり色のない服を着込んでいたが、がたいは良さそうに見えた。男は店内の暖かさにはぁー、と息を吐いた。
形相はよく見えないけれど、三十歳くらいだろうか、少し怖そうだ。
「すみません。まだ営業していなくて・・・。」
申し訳なさそうな声で少し頭を下げた。
すると男は手袋を右手だけ取って、その手を前に出した。
「はじめましてだね。俺は
「はぁ、どうも。」
差し出された手を握った。雄仁さんは軽く、ぐっと握り返して僕の目を覗きこんできた。
長く重そうな前髪から、気だるそうな瞳が一瞬見えた。
その瞬間息ができなくなって、視線を繋いだ手に移した。
急に相手の手が僕よりも大きいことに気付いて、皮膚が剥がれているように渇いていることが気になった。
あぁ、この人が。
僕が察して、脳内で言葉にするよりも早く雄仁さんが口を開いた。
「ここに絵を飾らせてもらってるんだ。物好きなマスターで助かってる。」
その晩、僕は眠れなかった。
その欲を押さえ込んだ。我慢した。
僕は認めたくなかったのだ。
続く
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