杉、ウール生地で作る。

増田朋美

杉、ウール生地で作る。

杉、ウール生地で作る。

今日は、とにかく曇っていて、どんよりした日だった。寒いという言葉がぴったりの日だったけれど、中にはようやく冬の日がやってきたと言って、大喜びする人も少なくなかった。本当に今年は、その時の季節らしいものが感じられると、なんだかほっとしてしまうような一年であった。そういうわけで、今年は、その季節らしいものが売れるという傾向があった。

その日、由紀子は、久しぶりに仕事が休みの日だったので、恒例の通り、製鉄所にいってみた。製鉄所は、いつも通り、何人かの利用者がやってきて、受験勉強したり、仕事を持ち込んでやったりしていた。みんな、それぞれ自宅にいると、嫌な思いをしてしまうのか、こっちのほうがずっと、勉強や仕事に集中できると口をそろえて言うのだった。中には、ここに来ることで、毎日かよって仕事をするための訓練をしているというひともよくいた。みんな、製鉄所に来ているときだけは、何か役割をもらって、何かすることができるのであった。

水穂さんの世話は、利用者たちが交代でやっていた。時折、専門的な知識を持っている人たちが手伝いに来てくれる事もあってか、利用者たちはちゃんと水穂さんの世話をしていた。何時から何時までが担当とか、そういうふうに順番を決めて世話をしている。介護施設で働いていた人もいるから、そこで得た知識が、しっかり発揮されているという感じだった。由紀子にできることと言えば、そういう世話をしている女性たちを、仕事が休みの日に手伝うことだけだった。利用者たちは、ご飯の世話も、憚りの世話も、着物を着換えさせたり、体を洗ってやったり、そういうことを文句ひとつ言わずにこなしていた。その日、由紀子が行くと、女性たちが、水穂さんの着物を取り換えてやっているところだった。

「ほら、こっち側に向きを変えてやって。」

と、ひとりの女性が言うと、わかったと言って、もう一人の女性がその方向に向きを変えてやる。そうすると、初めの女性は、急いで水穂さんの着物を脱がせて、新しいものに取り換えてやった。そして、兵児帯を結びなおしてやっているとき、由紀子が入ってきた。

「ああ、由紀子さん。ごめんなさい。いま着替えしてるのよ。水穂さん。」

と女性のひとりが由紀子に言う。由紀子は、何か手伝うことはありませんか?と聞いたが、別の女性が、今のところ、二人で済んでいるわと答えた。

「おーい。みんな元気かーい!大分寒くなったねえ。冬らしい季節になってきたねえ。まあさむいのはいやだけど、今年は、季節的が変わってくれるのが、ほんと、うれしいというか、気持ちいいなあ。」

と、玄関先ででかい声が聞こえてきて、杉ちゃんがやってきた。車いすに座った膝の上には、風呂敷包みが置かれていた。

「ああ、杉ちゃん。今日は何か持ってきてくれたの?」

と由紀子が聞くと、

「おう、寒くなったなと思ってさ。ウール着物一枚仕立ててきた。昨日、呉服屋さんで入手した、ウール生地で。」

と、杉ちゃんは風呂敷包みをほどいた。

「あら、ウール生地なんて珍しいわね。何処に反物が売ってたんですか?いまなかなかウール着物なんて少ないから。」

一寸着物に詳しいと思われる利用者がそういうことを言った。確かに風呂敷包みには、紺色の男物の着物が一枚入っている。

「水穂さんに着せてあげるの?」

と最初の利用者が言った。

「おう、もちろんさあ。一寸起きてみてくれや。寸法はちゃんとあっていると思うんだけど。まあ、多少の誤差はあるかもしれないけどね。」

と、杉ちゃんは、あっさりと答えた。

「よかったねえ、水穂さん。これであの、寒々しい、銘仙なんて言う着物ともさようならね。あったかい着物をつくってもらったんだから、直ぐ着させてもらおうね。」

と、由紀子は、にこやかにそう言いかけたのであるが、

「ええ、でも、そんな物、着る資格在りません。」

と、水穂さんはそう答えるのだった。

「なんで?せっかく仕立ててくれたんだから、ちゃんと着てあげようよ。」

と、利用者がそういうと、

「そうですけど、、、。」

水穂さんは、つらそうな顔をする。

「もう、そんなこと考えなくてもいいのよ。ここでは少なくとも同和問題のことについて言及する人は誰もいないからあ。それにこんな薄っぺらの着物よりも、ずっといいじゃないの。ね、すぐに着替えよう。」

と、もう一人の利用者が、そういうことを言った。

「大丈夫よ。水穂さんのことを、馬鹿にしたりする人は誰もいないわよ。ね、こんな寒い日なんだから、ウール着物を着ても大丈夫よ。だから、気にしないで着替えちゃお、ね。」

利用者二人は、杉ちゃんから着物を受け取って、あっという間に着替えさせてしまった。

「どう?暖かいでしょう。銘仙なんかに比べたら、ずっといいわよ。」

利用者は、水穂さんに言った。

「どうも落ち着きませんね。」

水穂さんは、そういった。

「まあね、生まれて初めて着たんだものね。でも、そのうち慣れるわよ。こっちのほうがよほどよかったって、思うときが必ず来るから。」

利用者たちは、得意になってそういうことを言うが、やっぱり落ち着かないのだろうか、水穂さんは、激しくせき込んだ。由紀子は、急いで口元に紙をあてがってやる。すぐに紙は赤く染まった。由紀子は急いで紙を捨てて、別の紙をあてがおうとしてやったが、タイミングが悪く、赤い液体が水穂さんの口からあふれてしまった。液体は口元から流れて、着物の襟を汚した。

「せっかく、杉ちゃんが作ってくれたのに。なんでこうなっちゃうかな。」

と、利用者の一人がそういうと、別の利用者が、昭島さんそんなことを言っちゃだめよ、水穂さんに悪気はないのよ、と彼女をとがめる。

「まあ、いいってことよ。ウール生地は水洗いしても大丈夫だからね。それより、汚したままで、寝かしておくわけにはいかないぜ。早く体を拭いて、着替えさせよう。」

杉ちゃんに言われて、由紀子は急いで水穂さんの口元と、体を拭いてやった。利用者たちは、又銘仙の着物に戻るのかあなんて、そんなことを言っていたけれど、由紀子は黙ってそれを処理した。昭島さんと呼ばれた利用者が、枕元に在った吸い飲みの中に入っている止血薬を飲ませ、水穂さんを落ち着かせる。幸い、薬を飲むと、水穂さんは、せき込むのは止まってくれたのであるが、代わりに薬の副作用として、深々と眠ってしまうのであった。

「まあこれは、あとで水洗いすればいいや。とにかく水穂さん寝かせてあげれば、良いから。」

杉ちゃんは、汚れてしまった着物を眺めながら、そういうことを言った。杉ちゃんであればそういう風に考えてくれるから、それはいいのである。ほかの人と違って、自分が作ったのに、というようなことを口にすることはない。そういう感情がないという人はめったにいないけれど。

由紀子が、水穂さんに布団をかけなおしてやったのと同時に、どこかの家で、子供が泣いている声がした。

「あれ、こんなところで、子供なんかいたんだろうか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ほら、製鉄所の近くに、大きなマンションができたじゃない。そこの住人じゃない?」

と昭島さんと呼ばれた利用者が言った。確かに最近、製鉄所の回りで高層マンションの建設が盛んにおこなわれている。原因は若い人が農業をやらなくなって、マンション経営に回ってしまったからであると言えるが、確かに、マンションというものは人が住むところだから、小さな子供が住んでいてもおかしくない。

「ええ、まあそういうことね。世の中いろんな人が居るし、子供を叱ったりして、泣かせることもたまにあるわよ。」

と、別の女性がそういうことを言うが、

「そうなんだけど、変な泣き方じゃないかしら。こんなに長時間泣き続けるなんて、そんなことあったかしら?」

と、由紀子が、そういった。確かに、子供が泣きだしたら、直ぐ親が飛んで行って、何か処置を施すものであるが、確かにその声は、何十分も泣き続けている。

「其れよりも、水穂さんの方よ。もうちょっとしたら、食事の時間もあるわよ。」

しっかり者の昭島さんが、急いでそういうと、

「そうですね。あたしたちは、やらなきゃならないことが在る。」

と、別の利用者もそういって、着物をたたみ始めた。杉ちゃんのほうは、すでに汚れた着物を、たらいに入れてあらっている。洗いながら、柱の傷はおととしの、何てでかい声で歌っているのだった。本当に杉ちゃんのんきだなあと由紀子は思った。やがて子供の泣き声はだんだん小さくなっていき、誰の耳にも入らなくなった。後は水穂さんが眠っている音と、杉ちゃんの鼻歌だけになった。由紀子は、その時は、何も気にしないでいたのであるが、後で大変なことがわかる。

数日後、由紀子が、製鉄所近くのマンションの前を通りかかったところ、なぜかパトカーが、複数台、

自分の前を通りすぎていった。何かあったのだろうかと思ったら、由紀子の目の前を警察官が何人か通り過ぎていく。

「あの、すみません。何が在ったんでしょうか?」

と、由紀子は、ひとりの警官に聞いてみた。

「はい。子供が、室内で死んでいるのが発見されたそうで。部屋から異臭がするとマンションの大家さんから、通報がありましてね。」

と、警察官の一人は、そういって由紀子の前を通り過ぎていった。由紀子は、近くを見渡してみる。見ると、警官たちは、先日新築と呼ばれていたタワーマンションに入っていく。先日、こんな大きなタワーマンションができてすごいなと噂していたばかりなのに、こんな事件が起こるなんて、どういう事だと思った。

由紀子はいそいでタブレットを取り出してニュースアプリを立ち上げてみた。確かに、トップニュースにこの事件が出ている。富士市内のマンションで、幼児の遺体が発見されたというもので、母親は、彼を部屋の中に置き去りにしたまま、何十日も外出していたらしい。

それを眺めていると、スマートフォンがなった。

「はい、もしもし。」

と由紀子は急いでスマートフォンの電話アプリを立ち上げた。

「由紀子さん、悪いけど、箱のチリ紙を買ってきてくれ。大急ぎで!」

電話の主は杉ちゃんだ。由紀子は、ああわかりましたと言って、急いで近くのコンビニに行って、ティッシュペーパーを一箱買い、製鉄所に行った。製鉄所のインターフォンのない玄関をガラッと開けると、水穂さんが、又せき込んでいる声がする。由紀子は、急いで四畳半に入った。水穂さんが、布団に座ってせき込んでいるのが見える。其れを、利用者や杉ちゃんが、背中をたたいたりさすったりして、内容物を吐き出しやすくしてやっている。

「杉ちゃん、電話をありがとう。買ってきたわ。」

と由紀子は、急いで杉ちゃんにちり紙の箱を渡した。

「おう、ありがとう!ベストタイミング!」

と、杉ちゃんは急いでそれを受け取って、水穂さんの口元を拭いた。チリ紙は、すぐに赤く染まった。

杉ちゃん、薬のませて、と別の利用者が彼に吸い飲みを渡した。ほら飲みな、と杉ちゃんにいわれて、水穂さんは中身を吸い付くように飲み込んだ。これでやっとせき込むのは止まってくれるはずだと思われるのであるが、予想した通りになった。水穂さんは、静かに息をして、又眠ってしまうのであった。

「良かったな、今回も、うまくいったよ。ああよかったよかった。」

と、杉ちゃんは、頭をかじって、吸い飲みを畳の上に置く。別の利用者が、水穂さんを布団に寝かせて、急いで掛け布団をかけてやった。

「もっと遅かったら、ほんと、大変なことになってたかもしれなかったわ。杉ちゃんたちがいてくれて、本当によかった。」

別の利用者がそういうことを言った。

「そうだねえ。まあ、助かってくれたんだから、ベストタイミングだったということにしようぜ。」

と、杉ちゃんと利用者たちはそういう事を言っている。

「でも、水穂さんは、其れでよかったかもしれないけど。」

と、由紀子は小さな声で言った。

「あのマンションに住んでいた男の子は、何も世話してもらなかったのね。さっき、高層マンションの前を通って知ったんだけど。」

「あああの事件なら、私も知ってるわよ。テレビでは、大々的に報道されているし。なんでも、母親が、ひとりで育てていたらしいんだけど、なんでもその男の子、体の具合があんまりよくなかったみたいね。それで、不憫に思ったみたいで、放置して殺してしまったみたい。」

噂話の好きな利用者がそういうことを言った。

「そうなんですか。そんな風に、簡単に殺してしまうのが、今の時代だよな。昔の親であれば口減らしに奉公に出すことはあるが、殺してしまうということはしなかった。」

「そうかもしれないわね。」

と、杉ちゃんがそういうと、その利用者はそういうことを言った。

「ほんと、あたしたちは直接かかわることもないけどさ。でもぜったい、あたしたちは子供なんか持てないなと思っちゃう事件だったわ。」

「そういうことじゃなくて、なんだか私、複雑な気持ちなのよ。だって水穂さんはいつも誰かに看病してもらっているのに、その少年は、何もしてもらってなかったんだから。」

と、由紀子は、小さい声で、そういうことを言った。

「まあ確かに由紀子さんが、そう思っちゃう気持ちもわからないわけではないよ。それでもねえ、僕たちは、ただ見ているだけしかできないからねえ。」

と、杉ちゃんが間延びした声で言った。

「確かにそうなんですけど、あたし、なんだか事件の物々しいところ見て、そう思っちゃった。」

由紀子は杉ちゃんの言葉にそういうことを言うが、まだ自分の中で解決できない気持ちがあった。

「まあそれはそうなんだけどね。でも仕方ないでしょ。その事件が起きることも、僕たちは止められないよ。其れは、仕方ない事でもあるんだし。他人がそれを、何をどうするとか、そういうことはできないんだからねえ。」

と、杉ちゃんはそういった。

「何とかして、医療を受けさせてやるとか、そういうことはできなかったのかしらね。そういう体の弱い子であったら、苦しんでいる様子とか、親であれば見ていると思うんだけどな。其れを何とかしてやりたいと思うことはしなかったのかしら。」

由紀子は、杉ちゃんにそういうことを言って、反発したが、

「そうだねえ。そういうことを思える感性を持っているやつが、どれくらいいるかな。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうかあ。そういう感性か。杉ちゃんいいこと言うかもしれないわ。確かに私の時もそうだった。私が高校時代何て、他人を蹴落として一番になってもらわないと、ほめらなかったんです。他人に優しくて、親切にしてやったら、なに甘えたことやってるんだって、怒鳴られたもの。学校の先生とかそういうひとに。」

と、噂話の好きな利用者はそういうことを言った。

「ああ、そういえばそうね。学校の先生とか、親なんてろくなもんじゃないわよ。みんな成績が良いとか、容姿が良いとかそういう事で、子供を自慢にしたいだけよ。誰かが困っていても、なんで余計なことをするんだというか、そういうことを言って、引き離しちゃうのよ。其れはあたしたちも困ったわね。人が困っているところ助けないで、なんでそれより、自分の成績のほうが先何ていうのかしら。」

別の利用者もそういうことを言う。確かに、そういうことは、学生であれば一度や二度はそういうことを言われるに違いない。大体の子は、それを冗談だと見破ることができるが、中にはそれができなくなって、怒りを表す子もいる。最近そういう子が、だんだん増えてきているような気がする。

「でもね、あたしは水穂さんの世話をして、あたしは間違ってないんだって知ることができたから、其れでよかったと思ってるわ。まあ結婚適齢期もすぎちゃったし、子どもをつくるということはできないけど、生きているうちは元気な姿を親に見せてあげられればそれでいいわ。」

「そうそう。あたしも、親に対して、なんてひどいことを言うんだろうと思ったけれど、まあ、社会に出て、こうして他人の世話も任されて、其れで私は、やっぱり間違ってなかったってわかったから、もう許してあげようかなと思ってるの。結局さ、私たちだって、こんなに苦しんだんだから、親だって苦しんだと思うのよね。其れで思わず、変な発言しちゃったということもあるわよね。其れで言いにしてあげましょう。」

二人の利用者はそういってる。由紀子は、おそらくあの子供のお母さんだって、実は、利用者たちと同じ傷ついているのではないかと思った。彼女はおそらく、それを修正する気持ちを学ぶことができなかったということだ。何か、きっかけがあれば、彼女だって、子供が苦しんでいれば、何とかしてやろうという気持ちがわいてくる、普通の人間に戻ってくれてもいいはずだ。其れなのに、其れができなかったというのは、きっかけがなかったからに、ほかに理由はない。

「そうだねえ。まあ、学びなおすきっかけというのは、いろんなところに転がっているけれど、彼女には、其れがちゃんと、伝わっていなかったんじゃないかなあ。それで、もう一回やり直そうというか、そういう気持ちがわかないでさ。ただ怒りばかりが、湧いてしまうという変な風になっちまったんじゃないの?」

と、杉ちゃんがにこやかに言った。

「そういう事ね。あの事件を起こした女性も、何かをきっかけにして、学びなおしてくれればそれでいいやと思ってくれればいいなと。」

話しを続ける杉ちゃんに、由紀子は自分たちが、他人を思いやる気持ちを、自分たちが持っておくことこそ、一番大事なのだと思った。同時に、水穂さんがそういう事を教えてくれるためにここにいること、そして、それを教えてくれることが、何よりも大切なのだという事を思い知った。

でも、水穂さんも、こうして言われているのだから、あのウール着物をつくってもらった、御礼くらいしたらどうかという気持ちもわかないわけではなかった。

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杉、ウール生地で作る。 増田朋美 @masubuchi4996

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