俺の父さんには顔がない

小高まあな

第1話

 父親の顔を知らない。

 いや、父親は知っている。そういう重苦しい事情とかはない。毎日会っている。一緒に暮らしている。だけど、父親の顔を知らないのだ。

「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 毎日玄関で俺を見送ってくれる父さん。

 しっかりと顔を見て会話して、でも次にはどんな顔だかわからない。いや、顔を見ている時でも顔が分からない。

 昔、まだ俺が小さな子供だった時、うちの家族が乗った車が事故にあった。後ろから居眠り運転のトラックに突っ込まれたのだ。

 母さんは、その時亡くなった。俺も右手が上手く動かないところがある。

 父さんは、顔に大きな怪我をしたらしい。

「化け物みたいになったからな、お前は父さんを見てギャン泣きしたんだよ」

 そう言った父さんの声は笑っていた、気がする。声でしか顔を判断できない。

 一人で育てていかなければいけない子供が、自分の顔を怖がる。

 仕事にも影響があったらしい。

 傷跡はその時の医療では上手く消せなくて、父さんは神頼みしたらしい。顔を元に戻して欲しいと。

 結果、悪魔が聞きいれてくれたという。

「顔を元に戻すことはできない。だが、お前の顔を奪ってやることはできる。代わりに違和感のなさを与えよう」

 父さんは悪魔に顔を渡した。父さんの顔を見た人は違和感なく、父さんと話す。接する。だけど、そこに顔がない。だから、思い出せない。

 父さんのことを、周囲の人は「特徴がなくて覚えにくい顔の人」と認識しているらしい。

 嘘みたいな話だが、信じるしかない。実際に父さんの顔がわからないのだから。

 俺のために家で出来る仕事に切り替えてくれた父さん。ここまでずっと育ててくれた父さん。それなのに、俺は、その顔がわからない。

 小さい頃の俺をぶん殴りに行きたい。父さんの顔を見て泣くなって。そしたら、俺は父さんの顔がわかるのに。

「まあでも、怪我のあと見て結構ギョッとされること多かったから、なんやかんや今の方がいいかな」

 なんて、父さんは笑うけど。多分、笑ってるけど。

 その顔だって俺は見られないのに。

 自分勝手かもしれないけど、俺は、たとえ傷だらけでも、父さんの顔が見たかった。



「その願い、叶えてやろうか」

 ある日、俺の前に現れた。黒い羽の生えた、手のひらサイズの生き物。

 俺の部屋の、小窓に腰掛けて。

 ああ、これは、きっと、

「あんたが、父さんの顔を奪った悪魔か?」

「悪魔はそうだが、お前の父親の顔をとったのとは別個体だ」

 でもそうか。現れた。本当に居た。悪魔。

「叶えてくれるのか?」

「対価が必要だがな」

「なんでも」

 父さんの顔を戻してくれるなら。

「なら、お前の顔をよこせ」

 顔には顔だろ? と悪魔が笑う。

「いいよ」

 俺のせいで不便をかけたのだから。俺が顔を奪われるぐらい、なんでもない。

 悪魔が笑う。契約成立だ、と俺の額に触れる。

 意識が、飛ぶ。



「うわぁぁぁぁぁ」

 次に意識が戻ったのは、誰かが叫ぶ声が聞こえたからだ。

 リビングからだ。

 慌てて向かうと、そこには鏡を見て叫ぶ父さんの姿があった。

「顔が、おれのっ、顔がっ!」

 そう叫ぶ父さんには、顔があった。しっかりわかった。でも、父さんの顔に、怪我なんてなかった。

 とても整った顔をした人だなと思った。

 父さんは俺を見て、

「おまえっ! それ、顔が」

「あ、悪魔が……父さんに、顔を返してくれるっていうから」

「なんてことしたんだ!」

 怪我のない、綺麗な顔をした父さんが叫ぶ。

 もうおしまいだ、と続ける。

 意味がわからない。

「お前のせいでっ!」

 ようやく見られた父さんの顔が、俺を睨む。

 困惑していると、チャイムがなった。

 この場から逃げるためにも出ようとするが、

「やめろ」

 父さんに腕を掴まれる。

「でも」

 チャイムがまた鳴らされる。

 ドアの向こうで誰かが叫んでいる。

 ガチャと、鍵が開く音がした。

 スーツ姿の怖い顔をした男が入ってくる。

 父さんの名前を呼んで。

 警察手帳を、掲げる。

「ようやく見つけたぞ、この連続強盗殺人の指名手配犯!」

 なにを、言っているんだ?

 父さんは逃げようとして暴れて、警察に捕まった。

 意味が、わからない。


 あとで警官が教えてくれた。

 父さんは、連続強盗殺人の容疑で指名手配犯されていたってこと。

 最後の犯行で、子供を攫っていたってこと。

 その子供っていうのが、俺だってこと。

 俺が子供の頃、事故にあったのは事実だけど、怪我をしたのは俺だけで、母親はそもそも同乗してなかったってこと。

 全部、父さんの嘘だってこと。

 父さんは、父さんじゃなかった。

 俺と暮らしている時も、盗みを続けていたらしい。顔がわからないから、結構堂々とスリをしていたとか。

 信じられない。あんなに優しかったのに。

 意味が、わからない。

「ずっと行方がわからなかったが、突然大量の目撃情報があがってね」

 俺が顔を戻したからだ。だから、バレたんだ。俺のせいだ。俺の。

「君がちゃんと育ってて安心したよ」

 警官が言う。

 そうだよ、父さんはちゃんと俺を育ててくれたんだよ。ちゃんと父親だったんだよ。

 それなのに……。

 俺は施設に行くことになるそうだ。

 顔も、肉親も失って、これまでの経歴も嘘ってことになって。これからどうしたらいいかわからない。

 俺に残ったのは、俺を睨みつける父さんの顔だけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の父さんには顔がない 小高まあな @kmaana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る