第21話 ファーストネーム
波が押し寄せては引いていく。俺達はそれを見ながら浜辺をゆっくり歩いていた。砂浜を歩いて足を取られると、靴の中に砂がものすごい勢いで入ってくる。酷い。
「ふあぁ〜……。ちょっと眠たくなっちゃったな」
「ご飯、結構ボリュームあったしね」
「うん、そうだね……でも! せっかく海に来たなら遊ばないと」
とはいえ、何をして遊ぶのだろう。正直、ここでの遊びなんて殆どない。海はまだ冷たいから入れないし、バレーをやるにしても人がいない。生き物を探すのは地味だし、お城を作るにも道具が足りない。
何して遊ぶのかと思っていたら、靴を脱いでワンピースの裾を上げてバシャバシャと波打ち際に足をつけて遊び始めた。
「ちょ……冷たくない?」
「冷たいけど気持ちいいよ? ほら」
そう言って凪は俺に足で思いっきり水を掛けてきた。
「うわっ馬鹿やめろ!」
「あははは! ほら、気持ちいいでしょ?」
「寒いわアホ!」
足で浸かるだけなら分からなくもない。でもな、俺は上まで水被っちゃってるんだよ。びしょ濡れって程じゃないが、風が吹くと身体が震えそうだ。
「あ、アホって……もうっ」
何やら思わず言ってしまった言葉が癪に触ったのか、ムスッとしたがらどんどん水をかけてきた。早く逃げたいところだが、逃げるともっと起こりそうな気がしてあまりこの場を離れる気にはなれなかった。
「むぅっ……」
言葉をほとんど発さなくなって、ただただ水をかけてくるだけ。それをみると狂気にも染まったように見えるが、何処か寂しそうにも見えた。
そして、凪は一際大きく足を振って水しぶきを思いっきり立ててきた。
「このっ……。わっ、や……」
「ちょっ!」
だが、少しやりすぎたのかバランスを崩して後ろ向きに倒れそうになる。
だが、俺が何とかギリギリで凪の手を掴んだお陰でワンピースが少し濡れただけで済んだ。
「おま……。着替え持ってないんだろ? そもそも着替える場所もろくに無いのに……マジびしょ濡れになったらシャレにならないぞ」
「ご、ごめん……」
「全く……」
電車に乗れないなんてなったらどうするつもりなんだろう。今のはうっかりとかドジっ子とかそういうレベルの問題では無かった。
いや……マジで焦ったわ。
「本当にごめんね……? も、もう帰ろっか。これ以上遊んでたら本当にびしょ濡れになっちゃいそう」
「凪には海辺以外で遊ぼうっていう概念がないのか? まあでも、確かにいい時間だし帰ってもいいか」
「う、うん。そうしよう」
そう言って、砂浜を歩き始めた。
俺を置いて帰ろうとしてるのかというくらい、足早に砂浜から出ようとする。
凪の背中がゆっくりと遠くなる。俺はそれを見て、強烈な孤独感を覚えた。
寂しいとかそういうのでは無い。仲間外れにされたような、心にひとつぽっかりと穴が空いたような気持ちだ。
本当なら、自分の気持ちを伝えるのはもう少し待ってからにしようとかそんな甘い気持ちもあったが、もうそんなことを言ってる時間は無い気がした。
多分、このままだと凪との関係は本当に終わりそうな気がする。友達にさえ戻れない気がする。
このままじゃ駄目だ。
「待ってくれ!」
俺は咄嗟に凪を追いかけて凪の手首を掴んだ。
凪は驚いた顔で俺の方を見てきた。
「え、ええ? ど、どうしたの急に」
多分、凪が早歩きしていたのには何も理由は無いのだろう。本当に、なんのことだか分からない顔をしている。
でも、多分ここで手を離してしまったら遠くへ行ってしまう。後でいいやなんて言ってる暇は無い。
「まだ帰らなくたっていい。もう少しでも遊べるなら、一緒にいれるなら……」
途中で言ってて恥ずかしくなってきた。だが、ここまで言ってしまっては後戻り出来ない。キモイと思われようとなんだろうと、とにかく伝える以外選択肢はない。
いや、でもやっぱり……なんて馬鹿野郎。なぜチキる。そうじゃないだろ。
「一緒にいれるなら、何処にだって行く。海でもいいし、今から神社を見に行くのもありだし、商店街で食べ歩きだって出来る。お土産を買うなら俺もおすすめなのいくつか教えるよ。だから、まだ帰らないで欲しい」
「き、急にどうしたの? い、いや嬉しいんだけど、ちょっと急というか恥ずかしいというか……」
そういう割には、なにか言葉を待っているのか俺のことを真っ直ぐ見つめながらもソワソワとしている。
「前の返事、今返すよ。凪、俺と付き合って欲しい」
勢いのままに口にした言葉。
凪はそれを聞いた途端、顔を茹でダコのように真っ赤にした。
「あ、あ、あわわ……」
「……え? 凪?」
そして、顔を真っ赤にした凪はふしゅぅ……と気の抜けた風船のように萎んで、へなへなと地面に座り込んだ。
「え、えへへ……」
凪は気の抜けた声で笑う。嬉しさを隠そうともせず、表情を露わにする。
「大丈夫か……? 頭はまともなのか?」
「……それは酷いよ。でも、良かった。本当に良かった。このまま帰るってなった時に、やっぱりダメだったのかなって思って怖かった」
それは本当に申し訳なかった。そうだよな。帰るってことは、俺はなにも答える気はないってことで、捉え方は人それぞれだろうが普通なら振られたと取るのだろう。
その時の気持ちなんて、俺は考えたくない。それを考えてしまうと、罪悪感で押しつぶされそうだ。
「それは……ごめん」
「ううん。今はそんなこといいよ。本当に嬉しい。一郎くん、えっと……これからもよろしくお願いします」
同級生に敬語を使われるのは、なんか変な気分だ。まあでもあれか? あけましておめでとうございます的な……? いや、それならあけおめで済ませるか。
……ってそんなことどうだっていいんだよ。
「俺もよろしく。凪」
そういうと、凪は突然むすっとした。
「名前で呼んでもいいんじゃないのかな」
「ああ、ごめんごめんえっと……」
凪の名前……名前……あれ?
やばい、分からない。ちょっ……と待てよ? 流石にそれはない。自己紹介だってして……あれ、まともにしてないような気がする。
そうか、名前は名簿で見たくらいでしかない。なんだ、なんなんだ……?
頭文字、うーん出てこない。
俺が悩みに悩んでいると、凪はクスッと笑った。
「もうっ。彼女になる人の名前を覚えてないなんて……。えっとね、私は……」
「――ま、待て! 言うな! 絶対に言うなよ言ったら許さねぇぞ!」
「な、何でドラマのネタバレされそうな時みたいになってるの……?」
「うるさい! 集中してるんだこっちは」
「うう、酷い」
とは言っても多分コレマジでわからないパターンだな。どうすればいいんだろ。
「いや、これはしょうがねぇ。ヒント! 頭文字カモン!」
「人の名前をなんだと思ってるのかな……。ま、だよ」
「分かった!! マルティネスだ!」
「真白だよぉーっ!!」
凪はポカポカと俺の胸を叩いてきた。
「痛い痛い冗談だからやめろって。いや、マジでやめて! 折れる! 肋骨がァ!」
ああ、本当に締まらないな……。でも、その緩くてグダグダとする雰囲気も含めて俺たちなのかもしれない。案外、こういう雰囲気も気楽で良いものだ。
なんていうか……不安なこととか心配事は絶えないが、これから楽しくなりそうだ。
そろそろ叩くのやめてくれないかな……なんて。
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