第218話 復活 26

 風魔術で僕らを迎撃しようと部隊を展開していた騎士達を吹き飛ばし、そのまま王子の元まで行こうとした僕の目に、巨大な檻に入れられているヒュドラの姿が映った。


ヒュドラはドラゴンに似た姿をしているが、体長は3メートル程と小さく、全体的に薄い紫色の強固な鱗で覆われている。最大の特徴は猛毒を吐いてくることで、上空から一方的に毒を撒き散らされると、対処が非常に難しい。また動きも素早く小回りが効き、上空から毒で相手を弱らせつつ、滑空して鋭い爪や牙で襲いかかり獲物を追い込んでいく魔獣だ。


「・・・何でこんな魔獣が、こんな場所に?」


そんな僕の疑問の答えは、すぐに判明することになる。


「っ!あれはっ!?」


檻の中に囚われているヒュドラの表面が次第に変色していき、毒々しい深緑色のオーラを纏いだしたのだ。おそらくは組織の構成員が”害悪の欠片”を取り込ませたのだろう。その構成員自体は見当たらないが、僕の魔術で吹き飛ばされたのか、認識阻害の魔道具を利用してヒュドラに襲われないように隠れているのかもしれない。


「エイダっ!あ、あれは・・・」


エレインもヒュドラの存在を認識したようで、驚きも露に恐怖した表情を浮かべている。あれはSランク魔獣だし、”害悪の欠片”を取り込んで更に力が増していると考えれば、その反応も当然だろう。おまけに、今の状態のヒュドラを倒す術は僕しか持っていないのだ。


「大丈夫です、落ち着いてください。あれを討伐できるのは僕だけですから、エレインとイドラさんは僕の後ろに居てください」


「す、すまないエイダ。気を付けてくれ」


「申し訳ありませんエイダ様。御武運を」


僕の言葉にエレインとイドラさんは申し訳なさそうに後ろに下がり、僕の背中に隠れるような位置取りをした。その直後、ヒュドラが折り畳んでいた翼を勢い良く広げると、その余波で鉄格子の檻が弾け飛んだ。よく見ればその鉄格子の太さは、鍛えられた人間の腕ほどの太さがあり、それをあれほど簡単に破壊する力は尋常ではないだろう。


「・・・来るっ!」


この距離からいって、僕とヒュドラの目が合うわけないはずなのだが、その瞬間、何故か奴と視線が交わったと直感した。


その直感は正しく、奴は僅かに身体を沈めると、弾丸のように上空へと飛び上がり、そのままこちらの方へ猛スピードで向かってきた。


「ちっ!喰らえっ!!」


牽制の為、僕は左手の魔術杖を奴の方へ向けて、得意とする火魔術を放った。タイミング的に適正の無い属性は間に合わないと判断したためだ。咄嗟に発動したとはいっても、威力は十分なもののはずで、火球の大きさも貴族の屋敷ほどの巨大さだ。あの速度で突っ込んでくれば、避けられないはずだった。


「なにっ!?」


しかしヒュドラは、僕の火球に対して大量の毒液を口から放ち、相殺を試みているようだった。ただ、さすがにあの巨大な火球を消滅させることは出来ずに、4分の1程の炎の塊となった僕の火魔術は、大きく威力を減じられて奴にぶつかった。


『GYAAAAAAAAA!!!!』


その叫びは痛みの咆哮ではなく、怒りの咆哮のようだった。白銀のオーラを使った魔術なので、魔力を使用したものと比べると威力は段違いのはずだ。少なくとも傷の一つは付けているだろうが、残念ながらそれを確認することが出来なかった。


「しまった!」


上空では、僕の火魔術とヒュドラの毒液が衝突したことで、毒液が煙状に変化してしまっていた。しかもその毒煙は重たいのか、広範囲に広がったそれは徐々に降り注ごうとしていた。


「はあっ!!」


その時、僕の背後のエレインが裂帛の気合いと共に水魔術を発動し、大量の拳大の大きさの水球を、範囲を拡大しながら地上に降りてきていた毒煙に向かって放った。


「エレインっ!?」


「エイダ!あの毒煙の処理は私に任せろ!それよりも君はあのヒュドラに集中するんだ!」


エレインの方へ振り向くと、彼女は頼もしい言葉と共に、僕がヒュドラとの戦いに集中出来るように図らってくれたようだ。彼女の水魔術は毒煙を水球に取り込むと、そのまま地面へと落下し、地面に吸い込まれて紫色の染みを残していた。エレインのお陰で毒煙の拡大は防がれつつ、少しづつ煙が晴れている。


(少し時間は掛かるかもしれないが、これなら毒煙の処理は任せられる)


そう思ってヒュドラの方へ視線を向けると、空を縦横無尽に飛び回りながらも、常にこちらを警戒するように視線を向けているようだった。


(・・・おかしい。”害悪の欠片”を取り込んだ魔獣は、本能のみで動く存在になるはず。奴のあの様子は、明らかに僕を警戒してどう攻め込もうか考えているようだ)


知性を感じさせるヒュドラの動きに違和感を感じるも、理由は不明だ。もし、あのヒュドラが”害悪の欠片”を取り込んでも知性を残したままということなら、相当厄介な相手ということになる。


(ただ本能のままに突っ込んでくるだけだったなら、対処も楽だったのになっ!)


心の中で悪態をついていると、ヒュドラは急に上空から滑降し、こちらをその鋭い爪で狙ってきた。僕は先程のような失態は踏まないよう、右手の剣を上段に構えて、奴を迎撃する為に僅かに腰を落とした。


「はあぁぁぁぁっ!!」


背後に居るエレインが巻き添えにならないように、ヒュドラの攻撃を受け流すだけでなく、鋭い爪を剣で逸らした瞬間に渾身の力を剣越しにぶつけ、奴のバランスを崩して地面に叩き落とした。


『GYUUUU???』


奴が地面に墜落したことで、轟音と共に砂煙が舞う。奴は何が起こったのか分からないといった声をあげているようで、困惑するように首を左右に動かし、今の自分自身の状況を確認しているような仕草をしていた。


(やはりこのヒュドラには知性がある!面倒な行動に出る前に、速攻で討伐しないと!)


奴の行動を見て確信した僕は、剣を握る手に更に力を込めた。本来魔獣は複数の敵と相対した際、弱いものから確実に息の根を止めていこうとする。それは数的に不利な状況を解消するということと、確実に獲物を補食するための行動だと言われている。


今はまだ僕とエレイン、イドラさんの実力が分かっていないようだが、戦いが長引くにつれてエレインかイドラさんが集中的に狙われてしまう可能性がある。最悪、何らかの拍子で3人が離れ離れに分断されてしまうようなことがあれば、2人へのカバーが間に合わない可能性がある。


一瞬でそこまで思い至った僕は刹那、地面に墜ちたヒュドラへの間合いを詰め、袈裟斬りにその首を切断しようとした。しかし、それを察した奴が、その長い尻尾を器用に使って剣を振り下ろす僕に向かって鞭のようにして襲いかかってきた。


「くっ!」


やむなく僕はその尻尾を迎撃すべく、振り下ろしていた剣を自分の身体と奴の尻尾の間に滑り込ませ、鞭のようにしなるその尻尾の力の向きを上空へと逃がした。


「くそっ!逃がした!」


その一瞬の攻防の隙をついて奴は翼を広げると、再度上空に飛び上がってしまった。ヒュドラの動きは素早いとは聞いていたが”害悪の欠片”の影響か、その速さは予想以上で、今の僕と同等に近いほどだった。


(さっき上空を縦横無尽に動いていたのを考えれば、遠距離から攻撃を放っても避けられる可能性が高い。確実に動きを止めてから息の根を止めないと・・・)


これまでの攻防でそう分析した僕は、チラリと背後のエレインとイドラさんの様子を確認する。エレインは毒煙の処理が終わったようで油断なく杖を構えながらヒュドラの動きを注視していた。イドラさんはどこから取り出したのか、その両手にナイフを構えながら周囲を警戒し、エレインと自分の防御に神経を尖らせているようだ。しかも彼女が纏っている闘氣はとても安定していて、その辺の騎士よりも上の実力だということが伺い知れた。


(なるほど。確かにあの実力なら何かあっても自分の身は守れそうだし、エレインが魔術を発動する際のサポートも大丈夫そうだ)


魔術師は、魔術を発動する際に無防備になってしまう。本来はそこをカバーするために剣術師とペアを組むことが多い。そういった意味では、エレインとイドラさんの組み合わせは利に叶っている。


(相手が魔術も闘氣も効かない相手じゃなければの話だけどっ!)


上空に逃れたヒュドラは僕が懸念したように、今度は攻撃の目標をエレインとイドラさんに切り替えて向かってきていた。当然やらせるはずもなく、バックステップでエレイン達の方へ移動すると、剣に白銀のオーラを大量に纏わせ、ギリギリまで引き付けて零距離から神剣一刀を喰らわせようと考えた。


しかしーーー


『GYAAAAA!!!』


「なっ!!」


エレイン達に向かって滑空してきたヒュドラは、その直前で翼をはためかせて真横に移動すると、こちらの側面に回り込み、僕とヒュドラの間にエレインを挟むような位置取りをして来た。


(まずいっ!)


エレインと場所を入れ替わるべく動き出そうとすると、大きく口を開けているヒュドラの姿が目に映った。そして次の瞬間、毒々しい紫色をした毒液がエレインに向かって放たれた。


本来の属性ではない水や風魔術を放つには間に合わず、かといって火魔術では先程の二の舞だ。しかも距離が近いことから、僕もろともエレイン達も毒煙の中に包まれてしまう。聖魔術で治療するとしても、その間に奴が襲いかかってくる。剣術で毒液を切り裂さこうにも、エレインの前に回り込むうちに毒液が僕の間合いの内側に入ってしまい、距離が近すぎて少なからず周囲に飛び散ってしまう可能性が高い。


そんな状況に歯ぎしりをしながらも、最も毒液で負傷する可能性の低いと思われる剣での迎撃の為にエレインの前に回り込もうとした瞬間、彼女が巨大な水魔術を放った。


「はぁぁぁぁ!!!」


ヒュドラに集中するあまり気づかなかったが、エレインはすぐに魔術を発動できるようにずっと魔力を練って待機していたのだろう。その証拠に、彼女が放った水魔術は奴の毒液を飲み込む程の大きさで、毒液とぶつかった彼女の魔術は、僕達の眼前で毒液を防ぎきり、それにとどまらず、水魔術と合わさった巨大な毒液の塊となったそれは、口を開けたままのヒュドラに殺到した。


『GYAAAAAA!!!』


自分が吐いた毒液を飲み込んだところで、毒耐性のあるヒュドラには大した効果はないだろう。ただ、奴は急に自分の口の中に大量の液体が飛び込んできたことに驚いているようだった。それに、口に入りきらなかった分は奴の顔に掛かり、目潰しのようになっていた。


「エイダっ!!」


「っ!セェェェェイ!!」


エレインの掛け声に、その意を察した僕は、彼女の水魔術の影響で目を閉じながら掛かった液体を弾き飛ばそうと首を振っているヒュドラに向かって、逆袈裟斬りに神剣一刀を放った。


『ーーーーーーーー』


断末魔の声もなくヒュドラの身体は僕の一撃によって消滅し、広げていた翼だけが残った。主を失った両翼が、直前まではためかせていま影響か、左右に別れるように飛び去っていき、やがて地面に墜ちていった。


その様子を確認すると、残心していた姿勢を解く。そんな僕の隣には、並び立つエレインの凛々しい姿があった。

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