2話目【雨の音が止む】

 街場の湿っぽい風が鼻の先を通り過ぎる。雨に濡れた道の匂いが、思考に絡まっていた意識を足元に引き下ろした。曇り空が太陽と西日を覆い隠し、帰り道に雨を降らしている。

 桜が散ったらどうしてくれる、なんてことを思いながらしばらく歩いていると、差していたビニール傘から雨の打つ音が消えた。

 ——もしかして、止んだ?

「意外とあっさりだったな……」

 傘の下から顔を出して曇り空を眺めるように上を向くと、雨滴うてきがちょこんと目元を打った。

「うえっ——!」

 顔を出したのにはすぐ後悔したが、雨が止んだのは本当らしい。傘の生地にまった水滴を軽く振り払って畳んだ。

「ったく。帰ったら、とっとと今日の分を更新しないと……」

 ——それから、メッセージの受信チェック。

 ヒヨリさんの姿が脳裏によぎる。今朝、彼女にはダイレクトメッセージを送っていた。今のところ返信はない。

 にじんだアスファルトを歩きながら、ポツリとつぶやいた。

「あのひとは、描くひと」

 そして自分は書くひと。

 決してひかれたつもりはない。それでも、あのひとの躍動を見ているだけで、自分の内にある意欲がうずいた。


 帰宅してまずは外行きの服を仕舞い込む。部屋着になって台所へ行き、電気ポットに水を溜めてからスイッチを押した。ポツポツとくぐもって唸る気泡の音を置き去りに洗面所へ向かう。洗濯機を回して居間に戻る頃にはお湯も沸いていて、ティーバッグをす透明なティーポットにお湯を注いだ。湯気に手のひらを当ててその熱を確かめながら、紅茶の色が深まるのを眺めている。

 ふいに、ノートパソコンから鳴る無機的な機械音が耳をいた。

 一通のダイレクトメッセージが届く。

『トモエさん! こちらこそ、先週はお疲れさまでした!』

 内容は、今朝こちらが送ったお礼のメッセージに対する返信。

『先日は遠方からありがとうございます! トモエさんともっとゆっくりお話しできたら……! 以前から創作を拝見していて、あのキャラ同士のやり取りとか、柔らかい文章とかがすごく良いと思っていましたから……! また会いすることができて本当に——』

 並ぶ言葉の数々を見てこちらの背筋が伸びた。

「ホント、親切な方だな。ありがたいこって……」

 基本的にはSNS上のつながり。たとえ社交辞令であっても、丁寧に接してくれるのはありがたい。彼女が呼ぶ「トモエ」はもちろん、自分のアカウント名であって本名ではない。彼女の「ヒヨリ」というアカウント名もきっと本名ではないだろう。むしろ、自分のアカウント名は苗字の「巴川トモエガワ」から取っているから、比較的本名に近い方だと勝手に思っている。

 片手でマウスを動かし、メッセージにハートのリアクションをつけてヒヨリさんのタイムラインを開いた。眺めると、さっそく今日のイラストを公開している。

 添えてあったテキストには、

『節目の百日目!』

 と、あった。

 日々イラストを描いて公開し続ける試み。イラスト群をずらりと並べて眺めれば、魅力を積み重ねた一枚一枚に感心するばかり。それらをひとしきり眺めてから、普段よりも濃くなってしまった紅茶をカップに注ぐ。軽く口に含み、飲み込んでから、彼女のつぶやきに『いいね』を押した。

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