ACT14 道を征く鐘鳴詠
「じゃあ、由仁ちゃん。ちょっとだけ待っててね」
「うん。行っといでっ」
昼休みになって。
友達の
これから目指すのは、学校の購買である。
昼食は、いつも母お手製のお弁当である詠なのだが……昨日の夜から今日にかけて両親が所用で出かけているため、今日のお昼は学食か購買で済ませるように、と事前に母から伝えられている。
ちなみに、学食という選択肢もあったのだが、いつも一緒に食べる由仁も教室でお弁当派で、詠も普段はそうなので、やはり教室で食べる流れになった。
ともあれ、詠にとっては初めての購買なので、これも高校生の醍醐味かもしれない、と少しドキドキしながらの道中だったのだが。
「おばちゃん、カレーパンに焼きそばパン一つずつ!」
「私はツナサンドよっ!」
「クリームパン、あんパン、シュークリーム、他諸々甘いの全部っ!」
「玉子サンドにアップルデニッシュ!」
「……………………」
いざ到着してみたら、その場所はあまりにも修羅場すぎていた。
こういう、学生で購買前が満杯になって戦争になるという状況を、詠は漫画で読んだことがあるのだが、まさか現実でそれが起こっているとは。
この壮絶な光景に、詠、呆気にとられるしかない。
「……あ、圧倒されている場合じゃなかった。なんとかしないと」
遠巻きで見ている間にも、お腹を空かせた学生達は次々とやってくる。パンにも数量には限りがあるらしいから、このままで売り切れてしまう。
如何に小食である詠とはいえ、昼食抜きで午後を乗り切ることは出来ない。六時限目には体育もあることだし。
そういう様々な焦燥感に駆られながら、いざ、詠もその身を修羅場に投じるのだが、
「はうっ」
身長百四十五センチの細身である詠の身体は、あっけなくその人混みに弾き飛ばされた。
あまりの反発力に、足をよろめかせて尻餅をついてしまう。
「こ、これほどだなんて……」
詠、戦慄するしかない。
その場に年功序列も男女の区別もなく、先輩だろうと後輩だろうと男だろうと女だろうと、強者はパンを勝ち取り、弱者は弾き出される。まさに仁義なき弱肉強食の世界だった。
「こういうとき、源斗お兄さんみたいな力強さや、お兄様みたいな器用さがあれば……」
詠、よたよたと立ち上がりながら、豪快に力で割って入りそうな自分の想い人のことと、体幹バランスの良さで人混みをすり抜ける兄のことを思い浮かべるのだが。
そういう力強さも器用さも、運動神経皆無かつ虚弱体質の自分には、全く備わっていない要素である。
フィジカルでいえば圧倒的弱者である詠では、もはやどうすることもできず、ここで売り切れを待つしかないのか……!
『――――はっ!』
と、詠が途方に暮れている最中、戦争状態の満杯の学生達が一様に何かに感づいたようで、それぞれ己の身を震わせる。
「くる……」
「くるぞ……」
「くるわね……」
大騒ぎの喧噪は一転して、ヒソヒソとした静かな呟きを交わす学生達。
詠、この様子にはワケも分からず、首を傾げるしかないのだが、
「!」
ズン、ズンズン、ズンズンズンズン、と。
後方から強力なプレッシャーがやってくるのに気づいて、今度は詠が身を震わせる番だった。
おそるおそる、その後方を見てみると、
「げ、源斗お兄さん? お兄様も……!?」
ツーブロックの髪と三白眼のちょいワル風味の大柄な男子生徒と、ミディアムヘアの中性的な顔立ちながらも鋭い黒眼の小柄な男子生徒が、向こうの廊下から鬼気迫る表情の早歩きでやってきていた。
先ほど詠が思い浮かべた、想い人の
「ゲンさんだ! ゲンさんが来た……!」
「鐘鳴くんもいるわっ!?」
「廊下を走らず律儀に早歩きなのに、迫力が相変わらずすげえ……!」
「やべえ。全員、道をあけろっ!? 購買の風神雷神が揃って突撃してくる日なんて滅多にないぞ!?」
口々に言い合って、学生達がモーゼの十戒の如く、こぞって道をあける。
詠も詠で、何がなんだかわかっていないのだが、とりあえずその波に従うように数歩引くと、直後、豪風と疾風が詠の前を通り過ぎ、自分の髪を揺らしたかのような心地を得た。
……おそらく、あの早歩きの進路上にいたらタダでは済まないと、詠は本能でわかったような気がした。
そんな二つの強風の大元である二人の少年は、揃って購買のカウンター前にピタリと綺麗に立ち止まり、
「カツサンドにコロッケパンにメロンパン! 野菜ジュースと調整豆乳!」
「ミックスサンドとツナサンド。それと青汁をください」
「はいよ。二人とも、相変わらず元気だね~」
源斗は大味な大声で、慧は厳かながらもよく通る声で、それぞれ気迫のこもった注文をするのに対し。
購買のおばちゃんは動じた様子もなくそれぞれ千円札を受け取って、注文物の入ったビニール袋とお釣りを手渡す。
二人の迫力もすごいのだが、おばちゃんの不動のスマイル精神による手際もまたすごい。
詠にとっては、もはや何がなにやら、ツッコミが追いつかない。
「ふぃー、今日も大量大量」
「貴様、弁当があるというのに何故購買にくる必要がある」
「アホかオマエ。運動してたら、日によって弁当だけで足りひん時があるやろ。午後からは体育もあるしな」
「フン、タダでさえ無駄に馬鹿でかいのに、さらにでかくなるつもりか」
「そういうオマエはそれだけで足りるんか? そんな小食やからいつまでもモヤシっ子やねん」
「馬鹿め。栄養はバランスかつ効率よくだ。貴様みたいにタダ単に量をこなせばいいものとはワケが違う」
「あ?」
「ん?」
学生達がどよめきながら見守るのを余所に、源斗と慧は歩きながら険悪な睨み合いをしている。
初めて源斗と会ったときの出来事(ACT03参照)にもあったように、どうも二人は仲が悪いらしい……といいつつも、この睨み合いとやりとりに、絶妙なテンポを感じるのは、詠の気のせいだろうか?
まるで、お互い、次に何を言ってくるかを理解しているかのような……。
「お? えーちゃん?」
「詠」
と、詠がいろいろ考えながら見守っていたところ、源斗と慧がこちらに気づいたようで、揃って声をかけてきた。
「えっと、二人とも、こんにちは」
「おう、こんにちは。えーちゃんもパンなん?」
「は、はい」
「そういえば、詠は購買は初めてだったな。……その様子だと、まだ何も買えていないか」
「それは……その、そうです」
自信で情けないと思っている現状を慧がズバリ言い当ててくるのに、詠は少ししょぼんとした気持ちになる。
――兄である鐘鳴慧の芯の強さと頼もしさは、詠にとっては昔からの憧れである。
だからこそ、この兄の前で情けない場面を見せたくないと常々思っているのだが……いつも、上手くいってくれない。
そして、そういうときは必ず、
「よし。ならば俺が買ってこよう。オーダーを頼む」
兄は、さらっと手を差し伸べてくる。
その優しさは本心から来ているもので、詠は、ついつい甘えたくなるのだけど、
「け、結構です。私は、自分で何とか」
「詠。キミの責任感はわかるが、どうにもならないケースは必ず出てくる。今がそのときだ。詠があの満杯の人混みに割って入るのは、不可能と言っていい」
「で、ですが」
「そういうときは誰かの助力を得るものだ。俺は何があっても詠を助ける。ずっと前からそう決めている。さあ」
「…………」
兄の言うことは正しい。まったく正しい。
だが、そういう正論の前でも、詠は自分の無力さを突きつけられている気がして、心が納得してくれない。
――自分だって、強くありたい。
でも、昔から兄に守られてばかりのまま。
それがいつも、ちょっとしたコンプレックスで、兄にも、昔のように上手く接することが出来なくて――
「鐘鳴、ちょっとええか」
と、慧の正論と詠のぐるぐるした思いに、今まで黙っていた源斗が割って入ってきたのに、詠は少しハッとなって顔を上げた。
同時に、慧は少々眉を歪めて、
「これは俺と詠の問題だ。貴様が口を挟むな」
「いーや、挟ませてもらうね。鐘鳴、オマエの言うことはまったくの正論なんやけど、それではえーちゃんは頷かんぞ」
「なんだと」
「えーちゃんは、自分で何とかしたいんやろ?」
「あ……は、はい」
自分の気持ちを手に取るように源斗に言い当てられて、詠は、驚く以上に、とても胸が震えるような気持ちだった。
「詠が自分で何とかしたいのは、俺も理解している。だが、物理的に無理だろう、どう考えても」
「せや。だから、えーちゃんもえーちゃんで、無理なときは無理と判断して、ちゃんと人に頼らなアカン。その人に任せっきりにするんやなくて、自分に出来ることがないかってな」
「……源斗お兄さん。でも」
「傍から見とったら、鐘鳴もえーちゃんもずっと平行線やった。ちゃんとお互い歩み寄って、納得いく落としどころを見つけようや。兄妹やねんから。ちゃんと仲良くせなアカンで。な?」
『…………』
ああ。
こういうちょっと悪そうな見た目でも
やっぱり、この人は優しくて、大人なんだなと思うと共に。
詠は、とっても、ドキドキした。
惚れ直した、と言ってもいい。
「……フン、まさか貴様にほんのわずかに感心してしまう時が来るとはな」
慧も、流石にぐうの音も出ないのか、憎まれ口をこぼすしかないようではあるが。
一つ呼吸をして、こちらに向き直り、
「詠」
「は、はい?」
「俺とこの馬鹿が道を作る。その間に、キミは自分で自分の思うものを買ってくるように。……これで、いいだろうか?」
「あ……は、はいっ」
そうして、きちんと詠にとって納得のいく解答をすぐに導き出すあたりが、まだまだ兄にかなわないところではあるが。
今は、素直にその兄の解答を受け入れ、そして自分できちんとやり遂げることが、詠のやるべきことだと思った。
「ということだ。もう一つ手を貸せ馬鹿」
「馬鹿言うなや。オマエには一つ貸しにしておくぞ」
「言い方がイチイチ癇に障るが、仕方がない。詠のためだ。共闘も今回限りと思え」
「もうちょい素直に頼め……と言いたいとろやが、ま、えーちゃんのためやしな。行くで」
そのようにやりとりを交わした後に、源斗と慧、同時に人が満杯の購買の方へと視線を向ける。
すると、再度、満杯の学生達が揃って『ビクゥ!』と肩をふるわせ、
「な、なにぃ……!」
「二人ともさっき買ったのに、まだ足りてないって言うの……!」
「流石、購買の風神雷神だぜ……!」
「まずい。みんな、衝撃に備えろ!」
口々に言いながら、またも揃って人混みが分かれていく。
よくよく見返すと、なんだか詠にとってはシュールな光景には映るのだが、それが二人の力なのかも知れない。購買限定と考えると、それはそれでどうなのかなと思うけども。
「えーちゃんっ!」
「今のうちに」
「は、はいっ」
ともあれ、その分かたれた学生達の両サイドずつに源斗と慧がそれぞれ立ち、文字通りの『道』が出来た。
皆には悪いと思いつつ、なおかつ力を貸してくれた二人に感謝しつつ、詠はその道の真ん中をしっかりとした足取りで歩いて、
「ミックスサンドと、その、牛乳をお願いします」
「はいよ。……あの二人を味方に付けるなんて、嬢ちゃんも、やるね~」
購買のカウンターで五百円玉を出して注文をすると、おばちゃんは相変わらずの笑顔と共に、注文物とお釣りを出してくれた。
「ありがとうございます」
振り返ると、源斗と慧が作った道はまだ出来たままである……というか、大勢の学生達が詠のことを見守っていた。
その、視線から来る感情はわからない。わりと有名な二人の助力を得た、ちっぽけな存在に対する嫉妬なのか、はたまた憎しみか。
でも、助力による幸運があったとは言え、少なからず自分でしっかりと勝ち取ったものなのだから。
――普段、兄がそうしているようにように。
何かをやり遂げたときは、背筋を伸ばして堂々としていよう。
そんな気持ちで、詠は背筋を伸ばしながらこの道を歩いて、一旦この場を後にしよう――
「――姫だ」
と、思っていたところで。
学生の誰かが、そんなことを言い出したのに、呼応して。
「そう。小さな姿ながらもこの勇ましい歩きっぷり、まさに姫だ」
「風神雷神に護られつつも、己の道をまっすぐに
「勝利の凱旋をする、戦場の姫様のお通りよ!」
何故か、学生達にそのように呼ばれ、一様に尊敬の視線ながらその場で膝を突かれた。
正直、詠は困惑した。
「えっ……っと、その、姫って?」
「なんてこった。風神雷神に続いて、またも、購買で道を開けないといけない人が出てきちまった……!」
「だが、俺達はその本能に逆らえない……!」
「だって、その歩き方があまりにも堂々として、神々しかったからっ」
「あ、あの、みなさん、落ち着いて?」
「姫様、またのご来訪をお待ちしております」
「私達が、あなたを全力でお守りしますわ」
「姫、写真一枚いいっすか!」
「姫様!」
「姫!」
「あ、あの、う、……~~~~~~~」
詠、羞恥心と混乱から来る涙目で、どうにかこの場を打開できそうな二人――新堂源斗と鐘鳴慧を視線を向けて、助け船を出してもらおうと思ったのだが。
「うんうん。みんなに崇められるえーちゃん、最高にカッコいいでっ」
「ふ……く、くっ、くっくっく、あの詠が、姫様だと……!」
源斗は細かいことを考えずに後方腕組みで笑っているし、慧はこの状況がなんだかツボに入ったのか、顔を抱えて笑いを堪えていた。
今でいえば、もはやこの場に、詠の味方が居ない。
「えっと、その、ご、ごめんなさいいぃぃぃぃ!」
と、いうことで。
今の詠に出来ることは、もはや全力でこの場を離れることである。廊下を走れないので、出来るだけ早歩きで。
「ああっ、姫様!」
「でも、ちゃんと廊下を走らず律儀に早歩きだっ!」
「これもまた風神雷神の系譜なのか……!」
「さすが姫!」
後ろからやってくる声は、なるべく聴かないようにしておいた。
というか、なんだこの学校……と、詠の頭の冷静な部分が脳内で呟いていたのだが、それも、もはや詠は考えるのを止めた。
一刻も早く、教室に帰りたかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「あ、おかえり~、詠ちゃん。えらい時間かかったんやね」
昼休み開始から二十分後。
新堂由仁は、購買からビニール袋を手に帰ってきた、友達の鐘鳴詠を笑顔で出迎えたのだが。
「……由仁ちゃん」
「って、どうしたん、詠ちゃん!? なんでそんなにくたびれてるん?」
詠、満身創痍であったのに、由仁はとっても驚いた。
「私、しばらく……購買に行きたくない……」
「……そんなに購買、すごかったん?」
「えっと……うん、まあ、いろいろな意味で」
「は~。何があったのかは……今は聞かない方が良さそうやね、うん。よしよし、よう頑張ったね、詠ちゃん」
「由仁ちゃん……!」
頭を撫でてあげると、感極まったのか、詠は由仁の胸に飛び込んできて、ぎゅーっと抱きついてきた。それだけ、彼女は大変だったのだろう。
こういうときは何も言わずに、優しく抱き締めて、彼女を労ってあげよう、と由仁は思うと共に。
なんだか、普段は公務を頑張ってるけど、プライベートではメイドさんに甘えているお姫様みたいやね~。
などという状況が頭の中で浮かんだのは、由仁だけの秘密である。
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