ACT12 見られる新堂源斗
「ふっ、ふっ、ふっ」
床に両手をついて一定のリズムで呼吸しながら、曲げて伸ばす動作を繰り返す度に、ギシッ、ギシッと己の腕が軋み、なおかつ喜びの声を上げるのを感じる。
四月も終わって最近暑くなってきたためか、全身にはビッシリと汗が浮かぶが、それも非常に心地よく、積み上げてきた証のようにも思える。
「ふっ、ふっ……これで、ラストや!」
最後のカウントを終え、上がTシャツで下がジャージ姿の
頭の中で行ってきたカウントは二百であったが、途中でカウントを間違えたりもしたので、その数は正確ではないかも知れない。
「ま、確実に二百よりも多めにしておいたと思うから、問題ないやろ」
そんな大雑把な気持ちで、源斗は筋トレ用のマットの上で少しだけうつ伏せになり、呼吸を整えてから、ストレッチに移行する。
ぐいーっと、よく伸びて、よく開いて、よく倒れて、よく捻れる。
「よっしゃ、今日も今日とて柔らかい」
筋肉というものは鍛えるだけでは意味がないと、源斗は思っている。
柔軟性があってこそ、己の身体をフルに活用できるし、なおかつ丈夫になって怪我もしにくくて、まさにいいこと尽くめだ。
こうして朝の起床後、一時間の筋トレその前後に十五分のストレッチ、仕上げに十キロのランニングを行うのが、新堂源斗の日課である。
もちろん、休日についても基本的にそのルーチンは変わりはない。
ただ、今日に関して言えば、昨夜にやっていた格闘技の動画配信を長時間見ていたので夜更かしをしてしまい、朝九時以降の起床となったのだが。
やはり、ルーチンをサボろうとする気には到底なれない。むしろ、トレーニングしないと気持ち悪い。
それくらい、己の筋肉が躍動を求めている。
「さて、あとはランニングやけど、その前に」
ストレッチをした後でも己の身体がシュワシュワと熱放出するのを感じつつ、汗に濡れたTシャツを脱いで上半身裸のまま、源斗は自室を出て水分を取るためにキッチンへ。
「あ……こらこら、ゲン。筋トレの後でも、ちゃんと服は着ときなさい」
「ええやん、母ちゃん。最近めっちゃ暑いし、それに家族なんやから減るもんでもなし」
「ホンマにもう。そういう大雑把なところ、昔のお父さんそっくりやね」
「昔言うたかて、今の父ちゃんも十分にすごい思うけど」
「せやね。ま、どんどん逞しくなってくところも似てきたから、血は争えへんって言葉がぴったりやわ。ふふふ」
「いやいや、まだまだ父ちゃんには負けるで」
と、キッチンで昼食の準備をしている母に、こういう風にやんわりと注意をされるのも、いつもの光景といえようか。
ちなみに、話に出た父はバスの運転手をしているので、世間が休日でもこの時間は不在である。休日が合わない辺りは普通の家族と少し違うのかも知れないが、源斗にとってはもはや慣れっこだ。
そんなこんなで、冷蔵庫から二リットルのスポーツドリンクを取り出し、グラスに注いでたところ、
「ただいまー」
台所近くの玄関から、妹の
これには、源斗はスポーツドリンクのグラスを片手に『?』と首を傾げる。
それもこれも、
「あれ、ゆーちゃんって今日、えーちゃんと水族館にお出かけやなかったっけ? 今、まだ十一時前やけど」
「ああ、それは――」
「ただいまー、母さん。……って、ゲンさんもおるやん」
と、源斗の疑問に母が答えようとした矢先、由仁がキッチンに姿を現した。
「まあいいや。連絡したとおり、詠ちゃんつれて来たよー」
「こ、こんにちは、お邪魔し……………………あ」
――友達の、
「え?」
突然の展開に源斗は一瞬硬直し、もちろん詠ともバッチリ目が合ってしまう。
現在、源斗は上半身裸である。
家族にならともかく、友達……しかも、年頃の女の子の目の前で。
もしかすると、これはセクハラになってまうのでは……!?
水泳の時間とかならセーフだと思うが、それ以外の時間でこれはまずい。
だが、服を着ようにもキッチンには服がない。
母が使っているエプロンの予備ならすぐそこにあるが、男の上半身裸エプロンなど誰も得しない。
どうする、と策を巡らせても、どうしようもない。
もう、これは、この場で悲鳴を上げられる、そして最悪嫌われてしまうの流れか……!
とまあ、そこまでのぐるぐるとした思考と危惧を一秒ほどで済ませ、源斗は心の中で腹を括ろうとしたところ、
「おおおおおぉぉぉ……………………」
源斗の危惧とは反面、詠は謎の唸り声と共に、こちらをじーーーーーーーーっと注目してきた。
頬を上気させて、しかも普段眠たげな半眼を今はしっかり見開いて、それはもうじっくりと。
ここまで見られるとなると、源斗、だんだん恥ずかしくなってくるような――
「詠ちゃん?」
「………………はっ!」
と、横にいる由仁に名前を呼ばれて、詠は我に返ったようで。
次いで、カァァァァっと顔を真っ赤にして、
「ご、ごめんなさい……!」
そのまま奥に引っ込んでしまった。
これが正しい反応のような気がする、と言う思考はどこか変なのだろうか……と、モヤモヤと思いつつ、
「……あー、ゆーちゃん。なんでえーちゃんが家に来てんの? 今日は二人で水族館やったやん?」
源斗は、詠の突然の来訪の経緯を、由仁に訊いてみたところ。
「え? ああ、今日、水族館が臨時休業になってたんよ。そんで、ショッピングでも良かったんやけど、前から詠ちゃんを一度家に誘ってみたかったから。急遽、母さんに連絡して詠ちゃんを家に呼ぶことにしたの。そこまで距離があるわけやないし」
「そうなん……」
「せやからゲンさん、筋トレ中で暑いのはわかるけど、今日はちゃんと服着といてな。うちはこれから、詠ちゃんをうちの部屋に案内しとくから。で、お昼ご飯も一緒に食べよっ」
「…………はい」
笑顔の由仁の提案であるのだが、源斗は源斗で、最後に力ない返事をしてしまった。
そんなこんなで、由仁がキッチンから引っ込んで、トタトタと二人の足音が由仁のお部屋の方へと遠ざかっていくのを感じつつ、
「ゲン」
「……なんやねん、母ちゃん」
「鍛えといて、良かったね」
「え、どういうこと?」
「そのまんまの意味よ。ふふふ」
「???」
母の言っていることの意味が、いまいち分からなかった。
あと、詠は何であんなにも源斗の身体を凝視してきたかも分からなかったし。
別に、これまで誰かに身体を見られることを恥ずかしいとも思ってこなかったというのに、詠に見られるのは何故かとっても恥ずかしいと思ってしまう理由も分からない。
「…………すっきりせんから、さっさと走るか」
この後、源斗は仕上げのランニングで、めちゃくちゃ走った。
結構すっきりした。
ちなみに、ランニングから帰ってきて、すぐに詠を交えての新堂家での昼食となって。
汗を拭いて新しいシャツに着替えながらも、源斗の身体は未だに熱放出しているので、詠には暑苦しく映らないだろうかと思ったけど、
「おおおおぉ……これも、これで……!」
またも、じーっと注目されてしまった。
その意味も、源斗にはよく分からなかった。
分からないことだらけだっただけに、私服の詠を何気に初めて見たのに、源斗が何も反応できなかったのを自身で気づいたのは、もう少し後のお話。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
昼食前、由仁のお部屋での一幕。
「……由仁ちゃん」
「ん、どしたん、詠ちゃん?」
「源斗お兄さん、家の中では……えっと、服を着てないこと、あるの?」
「せやね。ゲンさん、暑いときはああなんよ。筋トレの後とかなんかは絶対そうなってる」
「絶対……!?」
「ああ、気に障ったらごめんね。うちはもう小さい頃から見るの慣れっこやから感覚が麻痺してたけど、よくよく考えたら、女の子の前ではアカンやつやったかも」
「そんなことないよ? むしろ、いいものを見させてもらったというか……へ、へへ、うへへへ……」
「? え、詠ちゃん?」
「はっ! な、なんでもない、なんでもないですよっ」
「そうなん? なんや、さっきもそういう顔してたような?」
「け、決して、そんなことは! ただ……なんだろ、これからもまた、由仁ちゃんのお家に行きたくなったなって思って」
「え? もちろんええよっ。詠ちゃんなら大歓迎やでっ」
「あ、ありがと、由仁ちゃん。これでまた、お家の源斗お兄さんを見られると思うと……ふ……ふふ……」
「詠ちゃん? ホンマに大丈夫?」
「はうっ……」
と。
昼食の前、そしてその後も終始、詠が緩んだり恥ずかしがったりと、コロコロ表情が変わったりして。
由仁にとっては、そんな友達が可愛くて面白く思える、そんなまったりとした時間である。
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