ACT05 鐘鳴詠が、踏み出す二歩


「詠ちゃん、本当に大丈夫?」

「はい。もう、平気です」


 兄の些細な誤解から発生した出来事が、どうにか無事に終わった後。

 鐘鳴かねなりえいは、高校生活では初めて出来た友達である新堂しんどう由仁ゆにと、そのお兄さんである新堂しんどう源斗げんとと、帰り道を共にしていた。


「詠ちゃん、さっきみたいに気分悪くなったら、いつでも言ってや。今ならゲンさんという便利な乗り物が付いてることなんやし」

「ちょいちょいちょい。ゆーちゃん、そこはかとなく、俺への扱いが雑に感じるぞっ」

「でも、本当にそうなったら、ゲンさん、ちゃんと詠ちゃんを運んでくれるでしょ?」

「そりゃ……頼まれたら、断る理由はないんやけどもっ」

「うふふ。ゲンさん、ホンマ便利やねー」

「うぬぅ! 便利言われるのは嬉しいんやけど、なんとなく納得行かん……!」

「あはは……」


 そして、その道中、新堂兄妹の漫才とも言わんばかりの楽しいやりとりが尽きることなく、それが詠の胸中をふわふわと軽くさせる。

 ここまで楽しい学校帰りは、詠にとって初めてなのかもしれない。

 小中学生時代も、帰り道を共にする友達が居ないわけではなかったが、この二人のやりとりの楽しさは群を抜いていると言ってもいい。

 それに、


「…………」

「ん、詠ちゃん。歩くの遅れてるみたいやけど、うちら、歩くの早かった?」

「それとも、まだちょっと気分悪いとか? 無理したらアカンで」

「あ……いえ、その、なんでもありません。ごめんなさい」


 今、どうしても目で追ってしまうのが、由仁を挟んで向こうにいる源斗――というより、厳密には、源斗の背中である。


 ……背中、とっても広かったなぁ。


 詠の中で、先ほど、負んぶしてもらったときの感覚が蘇る。

 先ほど、彼がこちらに背を向けてしゃがんだ時、詠はとても戸惑ってしまったのだが、同時に……その、なんというか、大きく惹きつけられていた。

 思い返せば詠は、子供の頃に母に連れて行ってもらったデパートやテーマパークなどで、マスコットの着ぐるみを見かける度に、抱きついていた気がする。

 その感覚を想起しつつも彼の背中に身を預けてみると、これまた本当に、大きな着ぐるみに抱きついた時そのままの感覚だったので、とても安らぐ心地になった。

 過去、兄にも父にも負んぶされたことがあるけど、二人とも細身だったので、あそこまでの安らぎはなかったかもしれない。

 だからこそ。

 あの背中に、もう一度抱きつけたなら、と思うと……。


「えへ、えへへへへ……」

「え、詠ちゃん? なんで、そんなにも顔がだらしなくなってるん?」

「ハッ……!」


 いろいろ想像しているところを、由仁にバッチリ見られてしまっていた。

 詠、急速に羞恥心がこみ上げてきて、俯いてしまう。


「な、なんでもない、なんでもないですよ……!」

「そう? それなら別にええんやけど……なんや、詠ちゃんの初めての表情を見たような?」

「~~~~~」


 顔から火が出てしまいそう、穴があったら入りたい、とは正にこのことだ。

 こんな顔、由仁はともかく、源斗にも絶対に見せたくない……というか。

 見られていないだろうか?

 あんなだらしない顔を見られて、彼に嫌われてないだろうか?

 羞恥心の次は焦燥感を胸に秘めつつ、詠は源斗のことをちらりと見ると、


「はっはっは。二人とも、とっても仲良しなんやな」

「そうなんよ~」


 当の彼は、豪快に笑っていた。

 どうやら、自分のだらしないところを見られていないようだ、という思いで詠はホッとしかけたのだが、


「えーちゃんも、さっきみたいにもっと緩くなってええんやで?」

「え……!」


 しっかり見られていた……!


「既にゆーちゃんはこんなにもゆるゆるなんやし、えーちゃんも緊張しとらんと、もっといろんな顔を見せたらええねん」

「え……」

「それだけ、ゆーちゃんがえーちゃんのことを知られるってことやからなっ」

「…………」


 ただ、見られていたとしても、細かいことを気にしない大らかな人だった。

 悪く言えば大雑把なんだろうけど、多分、そういうところが彼の特徴であり、長所なのかもしれない。

 とても、ホッとした気がする。

 ……さっき、どうしてこんなにも焦ったのか、そして今どうしてこんなにもホッとしているのか、原因は分からないけども、


「ゆるゆる言われるのは気になるけど……ま、ゲンさんの言うとおりやねっ」


 それを考える隙間を与えず、由仁がこちらに向き直って、にっこりと笑ってきた。

 その顔を正面にすると、改めて、とても綺麗な人で笑顔が可愛い人だとも思うから、ちょっとだけドキドキする。


「うち、詠ちゃんとはもっと仲良くなりたいから、詠ちゃんも、うちともっと仲良くなって?」

「あ……は、はい、もちろんですよ、由仁さん」

「ん、まずはその堅苦しい丁寧語からなくしていこ。さんづけもナシで」

「――――」


 そして、きゅっと手を握ってくる彼女に、詠はいい知れない確信を得た。

 ――新堂由仁とは、上手くやっていける。 

 何故かはわからないけど、そう思った。

 入学早々、彼女に見つけてもらったことは、とても幸運なことなのかもしれない。

 だから。

 ちょっと緊張したけど、


「ありがと、由仁ちゃん」

「うんっ」


 鐘鳴詠は、新たな一歩を踏み出すことが出来た。


 ――そして、その勢いで、もう一歩。


「あの……」 

「ん、俺か? どうしたん」

「出来れば、その、由仁ちゃんのお兄さんとも、仲良くしたくて」

「おおぅ。ま、ゆーちゃんのついでみたいな感じやけど、友達になろうでっ」

「は、はいっ。よろしくお願いします。そ、その、ええと……」

「源斗でええで。なんなら、ゆーちゃんみたいにゲンさんでもええし」

「いえ、そこまでは踏み込むのは、まだ少し恥ずかしいので」

「? 恥ずかしい?」

「そ、その……」


 源斗は首を傾げているが、詠は先ほどから緊張しぱなっしである。

 とある理由で、父や兄を除いて男の人を昔から苦手にしていて。

 しかも詠よりも四十センチくらい上背がある大きな人ともなれば、最初に彼を見た時は、ついつい怖くなってしまったけど。

 その背中で、とても深い安らぎをくれた、この人にならば。


「っ……」


 深呼吸。

 由仁の時に続いて、とても胸がドキドキしだしたけど、先ほどと同じように。

 新たに、もう一歩を。



「改めて、よろしくお願いいたしますっ。――源斗お兄さんっ」


「――――」



 面と向かって、詠がそのように呼ぶと、どうだろう。

 源斗、何秒か放心したようにその場で立ち尽くして、次いで、


「っ!」


 かーっと、みるみる顔どころか、耳も、がっちり太い首までもを、真っ赤にしていった。

 まるで、湯沸かし沸騰器のごとく、熱が上に昇り詰めていくかの如く。

 ――そんな彼が、詠には、なんだかとても可愛く映った。


「ゲンさん、もしかして照れてるん?」

「て、照れとらんわいっ」


 あからさまな照れ隠しで、大きな手をブンブン振っていた。

 それもまた可愛い。


「な、なんつか、お兄さんって呼ばれるんが、妙にグッときたいうか……ゆーちゃんにも、そういう風に呼ばれたことなかったし」

「ああ、そういえばそうやったね~。物心付いたときから、ゲンさん呼んでたし。なんなら、うちからも呼んだろか?」

「いや、ゆーちゃんに呼ばれても、そこまでにならんというか……」

「なにそれ、どういう意味?」

「ああ、怒らんといてぇな。ゆーちゃんは大事な妹やけど、友達みたいな感覚も結構強いから」

「それは、うちも思うところやけど。でも、確かにうちも、詠ちゃんにお姉ちゃんとか言われたらグッとくるかも。詠ちゃん、うちも呼んでくれる?」

「ん……由仁ちゃんは、やっぱり由仁ちゃんだから」

「ゑ~。なんかずるい~」

「……つまるところ、これは俺限定ってことなんか?」


 ちょっと不満げに口を尖らす由仁と、何とも言えない顔で唸っている源斗。

 その反応が、詠には面白くて、


「はい。だから、仲良くしてくださいね。源斗お兄さん」

「ぬぐぅっ……!」

「あ……私、帰り道が向こうなので、ここでお別れですね」

「そうやね。詠ちゃん、また明日っ」

「……気ぃつけて帰りや」

「はい、また明日、由仁ちゃん、源斗お兄さん」

「むぅ……っ!」


 先ほどの広い背中のことといい、呼ぶ度にしてくれる面白い反応といい。

 もう一歩を踏み出した途端、彼には、様々な気持ちが芽生えてきたような気がする。

 この気持ちのことを何と呼ぶのか、まだわからないけど。


「えへ、へへへ、うへへへへへ……」


 それが、詠の胸中をとてもふわふわとさせてしまうのだった。

 そんな風に、新堂兄妹とのお別れの後、家路についたものだから。


「ただいま」

「おかえり。……詠?」

「? なに、お母さん?」

「なんだか、妙に顔がニヤけているぞ。そこまで厳しいことを言うつもりはないが、もう少しシャキッとしなさい」

「え……っ!」


 帰宅の後、またも顔がだらしなくなっているのを、母に指摘されて。

 詠、先ほどに抱いた羞恥心を再発させてしまうのであった。

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