ACT02 新堂源斗が、背負う戸惑い
――
彼と最初に会ったのは、一年生の時の五月末。一学期中間テストが終わってからの三日後。
学年の上位五十名が張り出されている昇降口近くの掲示板の前で、源斗は慧を偶然見かけたのだ。
『……コイツ、出来るヤツやな』
小柄な体躯ながらも溢れている独特のオーラからして、直感で源斗はそう思った。
そして、その直感の通りに、彼は実際に出来るヤツだった。
慧の視線の先は、掲示板に張り出されている成績上位者の中でも、さらにトップの方。
1:
2:
3:鐘鳴慧
一位は当時のクラスメートの女子で、二位も女子の名前だろうから、おそらく三つ目。つまるところは学年三位が、彼の名なのだろう。
しかも、慧はその視線の様子からして、三位という位置にまったく満足していないようにも見えた。
当時、学業の成績がイマイチ芳しくなかった源斗にとって、学年順位一桁のすごさは想像も出来なかったし、しかも彼のストイックさを目の当たりにすると、源斗の中で熱いものがこみ上げてくる心地になった。
そう。
――新堂源斗にとっては、鐘鳴慧への第一印象は決して悪くないものではなく、逆に良い方だった。
『よう。オマエすごいやん』
だからだろうか、ついつい源斗は彼に声をかけていた。
クラスの中では男女を問わずに友達が多いだけに、彼とも友達になりたいという気持ちに、躊躇いがなかった。
『……?』
もちろん、いきなり声をかけられて彼に困惑されるのも源斗は想定済みであり、その上で言葉を続ける。
『学年三位、オマエなんやろ? 俺からしたら、ホンマ雲の上の存在やで』
『…………』
『でも、オマエは今の位置に満足しとらん。悔しいって感情を表に出さず、次は上を食ってやろうって気持ちでギラギラしとる。そういう熱いヤツ、俺めっちゃ好きやねん』
『…………』
『俺は今回イマイチやったけど、その熱さに触発されたわ』
『…………』
『俺も次はこの張り出しの五十位以内に行けるくらいには頑張るさかい、オマエもテッペン取るくらい頑張ってくれよなっ。応援してんでっ。ハッハッハ』
そのように、豪快に笑う源斗に対して。
『………………………………フン』
鼻を鳴らし、こちらに向けてくる彼の冷ややかな視線を、そして、次にやってきたセリフを、源斗はおそらく一生忘れないであろう。
『――貴様のような、暑苦しい男の応援など要らん』
それだけを言い残して、慧はその場をスタスタと立ち去っていった。
『な、なんやねん、アイツ……!』
確かに不躾だったという自覚はあるし、誉めるにしても押しが強すぎた嫌いがあるかも知れないが。
それにしても鐘鳴慧の対応は冷たすぎた。
なおかつ、自分のことなどまるで眼中にないという態度と、クールに見えて実は熱さを持っているヤツという見込みが全くの見当違いだったことに。
源斗は、彼と自分に腹を立てた。
『眼中にないってんなら、アイツの得意分野で、いやでも眼中に入れさせたるわい……!』
それから、源斗は勉強に打ち込むようになった。
その少し後の球技大会を終えた辺りで、様々な運動部(剣道部除く)から練習試合等の助っ人を頼まれる件数も多くなっていたのだが、持ち前の体力で苦にもならなかった。
全ては、冷たくていけ好かないアイツを見返すために……!
その努力の甲斐もあってか、源斗の学業の成績はメキメキと伸び、二学期の中間になる頃には学年八十位、三学期の実力テストでは学年五十位の位置へとどうにか進んだ。
彼の位置にはまだ遠いが、上位五十位の張り出しにある自分の名前を見て、ようやく射程に捉えようというところには来たと思う。
ただ。
『おう、やっとこの位置に来れたで。じきにオマエにも追い越したるから、覚悟せえや』
『…………』
『って、無視すんなやっ!』
『いちいち絡んでくるな、鬱陶しい』
『なっ……コノヤロ……!』
その日から今まで、何度か彼と接する機会はあったものの、彼の冷めっぷりは相変わらずで。
源斗の中で、彼への好感は日を追うごとにどんどん下がり、今や嫌悪を抱くまでになっていたのだが……どうやら、慧とて、自分に対しての感情は同様のようであった。
そうして、もはや犬猿の仲になったといってもいいのに、彼を越えようという目標だけを抱えたまま、今に至る。
「はぁ……」
新学年になってから数日の放課後の帰り、グラウンドでサッカー部が活発に活動しているのを横目にしつつ、通用門に続く校庭を歩きながら。
新堂源斗は、少々憂鬱な溜息をこぼしていた。
クラス替えはあったものの、既に慣れた。
友達も徐々に増えている。
ただ……やはり、アイツ――鐘鳴慧と同じ空間に身を置いている事実が、源斗の身体に馴染んでくれない。
「ホンマ、どうにかならんものかなぁ」
彼が悪い人間ではない、というのはわかっている。クラスメート達へのさりげない気配りを見かけるし、誰に対して冷たいというわけでもないのだろう。
ただただ、ヤツとはどうにも相性が悪い。あの冷めた視線を見ただけで、源斗はすぐにモヤッとする。
――もっと、熱さのあるヤツだったら、今頃は無二ともいえる親友になれていたのかも知れないのに。
そう考えたこともあったが、もはや訪れない可能性であろう。
「あー、やめやめ。なんでそこまでアイツのこと考えなアカンねん」
ブンブンと頭を振って、さっさと帰って日課の筋トレをしようと源斗は思い立ったところで、
「あ、ゲンさんやっ。おーい」
「お?」
後ろから、馴染みのある声がかかってきた。
「おおぅ、ゆーちゃん。今帰りか?」
「うんっ」
振り向くと、その馴染みの通りに、真新しい制服姿の長身の女の子――もとい、我が妹である
この春、源斗と同じ高校に入学してきた一つ下の妹であるのだが、これまで放課後の帰りはバラバラだったし、休み時間に面を合わすということもないから、校内で会うのは初めてとなる。
中学校では何度かあったことなのだが、高校でもそうなるのは、源斗としては少し不思議な気分だ。
「……って、そこに居んの、ゆーちゃんの友達?」
と、そこで、源斗は気づく。
長身の由仁の背中に隠れるようにしてこちらの様子を窺っている、おかっぱ髪の女生徒が居るのに。
「ん、最初にうちの友達になった詠ちゃんっ。家で話したやん?」
「おおっ、その子が噂のえーちゃんかっ」
「…………」
最初に抱いた印象は、そのまんまちっこい。
身長百八十五センチの源斗よりも四十センチは低いだろうし、身長百六十センチ強の由仁とも身長差がある。
そんな彼女は人見知りなのだろう、未だにこちらを由仁の背中からちらちらと窺い見ていた。ちょっと和む。
「よろしゅうな、えーちゃんっ。ゆーちゃんと仲良くしたってやっ」
「……っ」
「ああ、ゲンさん、アカンアカン。詠ちゃん、男の子苦手みたいなんよ。だからそんな豪快やのうて、もっと優しくやで」
「おおぅ、そうかそうか。そりゃすまなんだ」
「ただでさえゲンさんは身体おっきいんやし。詠ちゃんから見たら怪獣みたいに映るんとちゃう?」
「ひどいなぁ、ゆーちゃん。でもまあ、案外間違ってない例えかも知れんな。じゃあゆーちゃんは、えーちゃんを怪獣から守るナイト様かっ」
「んもぉ、ゲンさん相変わらずお上手やな。誉めたって何も出えへんで?」
「いやいや」
「いやいや」
『わっはっは』
とまあ、軽い冗談を飛ばしながら笑い合えるくらい、妹との仲は昔から良好である。
誰の影響なのか、妹が物心付いたときから『ゲンさん』呼びの友達感覚なのだが、そういうのも源斗は悪くないと思っている。
それに――あの時期のことを考えると、妹がここまで笑えるようになってくれたのは、源斗としては非常に感慨深い。
「…………あの」
そんな兄妹の和やかなやりとりを眺めつつも、ようやく、由仁の友達の少女は、こちらに声をかけてくれるに至った。
ちっこい上に、奥ゆかしい仕草も声も可愛い。
ちょっとグッとくるものを感じつつも、源斗は出来るだけ優しい声で、
「そういや、自己紹介が遅れたな。俺は新堂源斗。ゆーちゃんの一つ上の二年生やで。キミは?」
「え、えっと……
「鐘鳴?」
彼女――鐘鳴詠の、その自己紹介からくる名字を聞いて、源斗の胸中でモヤッとしたものを感じる。
まさか、偶然か? いや、珍しい名字でもあるから、もしかして――
「! ゲンさんっ!」
とまで考える傍ら、正面の由仁から急にやってくる、切羽詰まったような声。
だが、由仁が察知したからには、既に源斗も状況を把握しており、その対応についても構築済み。
「ほい」
グラウンドからこちら――というより、詠に向かってに飛来してくるサッカーボール、いわゆる部活動に於ける流れ弾を、源斗は事も無げに右手の握力だけで受け止めて見せた。
「え……え……?」
危機の当事者であった詠は、事態を把握できていない様子で、眠たそうな半眼をめいっぱいに見開いていたのだが。
源斗は、そんな彼女に笑いかけて、
「だいじょぶか?」
「あ……は、はい」
「そんなら良かった」
返事が出来るのは無事の証拠であるということで、源斗はホッと一息。
そして、
「すんませーん、大丈夫でしたかー?」
「くぉら、サッカー部! 気ぃつけぇやっ!」
「って、ひぃぃ、ゲンさんっ!?」
これまで助っ人に行った繋がりで顔なじみになったサッカー部員が、こちらに走ってきながら声をかけてくるのに、源斗はその彼を叱り飛ばした。
「危うく当たるところやったでっ! ちゃんと気ぃ配らんと、もう助っ人したらんぞっ!」
「それだけはご勘弁をっ! あと、再来週の練習試合、またお願いしますっ!」
「このドサクサでそれを頼むとは、なかなかツラが厚いなっ! しゃあない、また受けたるわっ!」
「サンキュー、ゲンさんっ」
ポイっとサッカーボールを投げ返して、それを足で受け取ったサッカー部員が練習に戻っていくのを眺めつつ、源斗はポンポンと手を叩いてやれやれと吐息。
「やー、ゲンさん、さすがやね」
そんな自分を、由仁が眼をキラキラとさせながら見てきていた。
「ふ、よせやい、ゆーちゃん。照れるやん」
「さっきの怪獣やらナイトやらの話題を借りると、ゲンさん、その無駄な馬鹿デカさがなかったら、立派なナイト様なんやけどなぁ」
「おおぅい、それはさりげなく貶されてるような気がするぞっ」
「誉めてるんやって。ともあれ、詠ちゃんに怪我がなくてよかったわ。なあ、詠ちゃん、大丈夫……って、え?」
由仁が隣にいる詠に声をかけるも、詠はまだ眼を見開いたまま硬直しており……そして、たった今、
「あ……」
ぺたん、とその場で尻餅をついた。
しかも、色白だった顔色が、今は真っ青になっている。
「詠ちゃんっ」
「大丈夫か?」
これには源斗、そして由仁も、血相を変えて尻餅をつく詠の前の様子を窺う。
「そ、その、大丈夫です……」
ただ、意識はハッキリしているようだ。
未だに顔色は悪く全身を小刻みに震わせているけども、その辺りは安心か。
「その、たった今、私がとっても危なかったって気付いて……でも、その、由仁さんのお兄さんが守ってくれましたので、ホッとしたら……腰が、砕けちゃいました」
「あ……な、なるほど。へぇ、そういうマンガみたいな展開、あるんやな実際……」
「もうっ、ゲンさん感心しとらんと。詠ちゃん、歩けそう?」
「う……まだ少し、無理そう、です……」
「そりゃマズいな。ここやとさっきみたいに少し危ないから、何処かで休憩させんと。中庭のベンチ空いてそうやから、そこまで行こっか」
「せやね。ゲンさん、詠ちゃんをおんぶしたって。うちが鞄持つから」
「よし来た。えーちゃん、ほれ」
「え……えっ!?」
由仁に通学鞄を渡し、詠に背を向けてしゃがむ源斗なのだが、その後ろで詠が驚いた声を上げていた。
はて? 自分は何か彼女を驚かせるようなことをしただろうか?
「詠ちゃん、どしたん?」
「いえ、その……わ、悪いですよ、そんな」
「遠慮せんでええんよ。ゲンさん、めっちゃ力持ちやから」
「そゆこと。ほれ、どんと来い」
「そう言われましても……」
「詠ちゃん、新しいタイプの乗り物や思うて」
「う……あ……~~~~~~」
どうにも迷っているようである。
ただ、そういった彼女の躊躇が、源斗にとっては不思議と煩わしく感じなかった。
なんでだろう?
「……その、失礼いたします」
考えているうちに、詠が踏み切ってくれたようだ。
肩と背中に感触がきたので、そのまま源斗はゆっくりと立ち上がった。
「わ」
めちゃくちゃ軽い。
おそらく、源斗の体重の半分もないだろう。
「その、重くないですか?」
「平気やで。軽い軽い」
「詠ちゃん、遠慮なくしっかりと掴まっておき? 多少力入れてもビクともせんから。うちで実証済みやし」
「えっと……由仁さんが、そういうなら……」
由仁のアドバイスで、ほんのわずかに源斗の肩に力がこもるのがわかる。おそらく、これが詠の『しっかり』なのだろう。
つい最近、由仁をおんぶした時は結構な力を感じたものだが、それに比べると、なんと、か弱いことか。
それこそ、源斗が普段やっているような大雑把を取り除いて……この娘は、とても大事に扱わないといけない、と感じさせられる。
……ちょいと、調子狂うな。
「ゲンさん?」
「ん、ああ、大丈夫。行こうか」
その背中の存在の儚さがまったく未知の感覚で、戸惑いを感じずには居られないのだが。
それをなんとか抑えつつも、源斗はいつもの大股ではなく慎重な足取りで、中庭へと歩を進めるのであった。
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