第3話

 はじめは面倒そうなので避けていた私も、あなたがいつもあまりに自然なので、いつのまにかあなたとごく普通に接するようになっていました。お茶部屋でインスタントコーヒーを淹れ、あなたと他愛のない話で盛り上がりました。自分の笑い声を聞いて、「あ、笑ってる」と思ったときには、愕然としました。今まで、「あまり楽しそうにしすぎると、気があるのではないかと誤解されてしまう」あるいは「想いを寄せていることがばれてしまう」などと気になり、気になる人に対してこんな自然な態度はとれなかったのです。何かがおかしい。そんな私の心が揺さぶられる様などまるで知らずに、あなたは少し濃い目のお茶を淹れてくれるのでした。

 ある日、研究室の人と学食へ行ったときのことでした。

「昨日研究室に、けっこう可愛い子、来てただろう。あれ、部活の後輩なんだよ」

 そのときそこにいたのは、大学院生の先輩と、私とあなたでした。

「大輔を紹介しようかと思ってたんだけど、『あの人、イマイチですよね』って言われちゃってさ」

 それを聞いた瞬間、怒りがこみ上げてきました。あの、ちょっと瘦せてて色白で、目がぱっちりしているだけの、若いだけがとりえの平凡な女に、あなたに「イマイチ」という判断を下す権利などあるのでしょうか。

 しかし当の本人は特に表情も変えず、突然、

「白井さんはどう思う? やっぱ僕ってイマイチなのかな」

 などと言い出します。意見を求められるなどと思っていなかったので、心底焦ります。

「イマイチって、なんか地名っぽいよね。ははは」

 私のあまりに的の外れたかつ頭の悪いコメントに、二人は言葉を失いました。そうして二人は、私の全く知らないスポーツのことを話し始めていました。

 なぜ突然こんなことを? もしかして私に気があるのだろうか、そんなことを考えていると、先輩が突然あんな話題を出したことすら、さり気なく私の反応を伺おうとしたのではないか、という気さえしてきます。それでは、まともな答えが返せないほどうろたえてしまったことを二人はどう解釈したでしょうか。食事の間中、気が気ではありませんでしたが、もはや話を蒸し返すわけにはいきません。なんだかきまりが悪く、私はすぐさま忘れるよう、脳に命令するしかありませんでした。

 そうこうしているうちに初夏になり、梅雨の合間に珍しく晴れたとき、みんなで、日帰りで近場の温泉に行くことになりました。待ち合わせの時間に駅前にいたのは、あなたと私だけでした。あなたは辺りを見回して、首をかしげて、そうしてもう一度時計を見つめます。「電話するか」とは言ってみたものの、雑談中になんとなく決まった話なので、責任が誰にあるのかは非常に曖昧です。

 汽車はまさに駅に入ってこようとしています。ここでは一時間に一本しか来ないので、一本逃すと、一時間遅れることになります。あなたはまだ少し迷っていました。私は思い切って、「大丈夫だよ」と言いました。とたんに、あなたの顔からぱっと曇りが消えました。

「まあ、いいか」あなたは微笑み、さっさと汽車に乗り込みました。「先に汽車に乗ったって、みんなにメールしとくよ」などと言って、携帯電話をいじり始めます。私はそんなあなたの隣で、窓辺で光合成をしている多肉植物になったような気になります。不思議なことに、引きこもって家にいた間は、今より刺激が少ない状況にいたわけですが、このような安堵の気持ちを覚えることは一度としてありませんでした。学校でも、私はどこか緊張が解けないままでした。あなたはさすがだと思っていると、あなたは「あ」と言いました。

「返事が来たんだけど、昨日の時点で、夕方集合に変更になってたらしい。僕達が帰ってからそう決まって、みんな誰かが連絡してるだろうって思ってて、結局誰も連絡してくれなかったみたいだ」

 「なにそれ」と応えつつ、思いがけない幸運に、心の中で指を鳴らします。幸いあなたも、ぶち切れて「やってらんねー、もう帰る」などとは言わずに、向こうでみんなを待つつもりでいるようでした。

 時間がありあまっているので、近くの植物園に入ることにしました。中に入ると、入り口付近に飾ってあるモニュメントの前で「写真を撮って下さい」とアベックに声をかけられます。私たちより少し年上に見える彼らは、初々しく楽しげな雰囲気を振りまいています。木漏れ日のようにまぶしい二人の申し出を、あなたは親切に受け入れました。

 撮影が終ると二人ははにかみながらお礼を言って、「よかったら、撮りましょうか」と続けます。幸せそうなアベックからは、私たちもまた、彼ら同様アベックに見えるようでした。撮影をしてくれたのは男性の方でした。二人は改めてお礼を言うと、笑いながら去っていきました。

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