第4話

 ***



 結局伯爵とは別れることになりました。

 案の定、彼は妻が執筆活動を続けることを快く思えなかったのです。

 わたしが去ってから程なく、さる模範的な未亡人と結ばれたようでした。


 今でも友人として、時折顔を合わせては近況や思い出話に花を咲かせています。


 子どもを得る機会を失った事は残念だったけど、出産は命がけ。

 執筆を続けていると、お産で命を落とした、あるいは体を壊して原稿を出せなくなった作家の話も、何度も耳にしました。


 悠々自適の小姑には、兄夫婦の子どもが身近にいました。

 血を分けた我が子への感情はわからないままでしたが、子どもの成長は見ていてまぶしいものです。

 小言を言う両親よりも、幾分か責任のかるい叔母さんの存在は気軽らしく、遊び相手にもよく選んでもらえました。



 出版社とはやりとりを重ね、無事に本もまとめることができました。

 短いコラムとは勝手が違って苦労も多々ありましたが、幸いなことに貴族女性のつづる物語は面白おかしく楽しまれているとのこと。

 次の仕事が絶えずやってくることは、忙しくもありますが、とても喜ばしいことです。


 同じ作家仲間との交流もなかなか興味深い出来事でした。

 男性相手にはやはり生意気と思われるようですが、わたしの存在は世の女流作家にとって希望ともなっているらしいのです。

 相談の手紙もやってくるようになりました。

 わたしはその全てに目を通し、なるべく返事を返すようにしています。


 社交界には気が向いた時に行きます。

 わたしが物を書いている事は知る人は知るようになってきて、嫌な顔をされることもあります。

 けれど中には積極的にゴシップを披露してくれる物好きもいるのです。

 若い頃よりはずっと、彼らとの会話が楽しく感じられています。



 ――ミスタ・ドノヴァンは。

 わたしがいよいよ三十代も半ばにさしかかった頃、我が家の執事を引退しました。


 まだ若々しく見えましたが、手が震えたり腰を痛めたり目や耳で不自由したり、そういうことが多くなってきていたのだそうです。

 ほとんど休みなく家の一切を取り仕切る――それが何十年も。体に負担がかからないはずがありません。


 彼は数年かけて従僕の一人を後任として育て上げ、惜しまれながら円満に退職しました。


「ありがとう。本当にお疲れ様」


 わたしがそう言葉をかけると、嬉しそうに皺のできた目尻を下げました。


 余生はパブを開き、手伝ってくれる人も決まっているのだそうです。

 きっと我が家の階下の住人達も、定期的に訪れて相談を聞いてもらうのでしょう。


 退職の日、彼はわたしに本を贈ってくれました。

 幼い頃――彼を監視していたわたしがよく見た、古い物です。


 大層難解に見えたそれは、今目を通してみれば旅の経験をつづったものでした。

 そういえばたまの家族旅行の時は、随分と楽しそうだったような記憶があります。

 時間のできた今、気ままにどこかに行くのでしょうか。


「お出かけしたら手紙をちょうだいな」

「はい、必ず。レディ」


 そして彼は背を丸め、杖をつき、足を引きずって子爵邸を後にしていきました。

 あんなに大きく見えた背だったのに。


 一方で、そうなるまで我が家に尽くしてくれたのだと思うと、やはり彼への感謝の気持ちは尽きません。

 自室に戻った時、ふとわたしは一つ、最後に彼に聞き損ねたことがあったことを思い出しました。


 ――ねえミスタ。どうしてわたしに優しくしてくれたの?


 今度パブに押しかけるべきでしょうか。

 でももう、無理に答えを知る必要もないように思えました。



 こうしてわたしの青春であり、わたしを「レディ」に育て上げた人は去っていきました。


 ほんの少し寂しさはありますが、この年になると別れにも慣れてくるもの。

 それに新しい人との出会いは、いつも新鮮な気持ちを思い出させてくれるのです。


「レディ」


 そしてまた別の人に、わたしは再びそう呼ばれています。


「あら、サー。わたくしの相手ばかりしていないで、たまにはお嬢さんがたといらしたら?」


 最近、出版経由で知り合った若者は、同じ子爵家の次男とのことでした。


 女性作家のような繊細な描写は、本人の線の細さに起因しているのかもしれません。

 わたしも昔病弱でしたからついあれこれ喋りすぎたところ、けれどそれが気に入ったらしく、今では顔を見ればすぐ近づいてくるようになってしまいました。


 素直な好意は可愛らしくはあるのですが、変わり者のオールドミスが独身の見目麗しい青年をたぶらかすのはよくありません。


「……同年代の女性は、少し苦手で。僕に、僕以上のものを求めてくるから」


 とは言え、彼は彼で悩み多き若者のよう。


 不安げな様子と答えを探している仕草は、やはりどこか昔の自分を見ているような気にさせます。放っておくこともできそうにありません。


 ――もしかして、ミスタも。


 ふと、懐かしさに口元がほころびました。


「そうね。わたくしにもそういう時代はあったわ。自分が足りなくて不満で、何もかも思い通りにならないように考えられて……そんな時がね」

「本当に? レディは最初からレディなのかと」

「人の生きる時間は長く、どうあり続けるかを日々意識すれば、変化することも可能。つまりはわたくしが、このようにありたいと望んだので、今のわたくしがある」


 いつかの言葉をなぞり、わたしは優雅に微笑んでみせました。


「長い昔話になるわ。聞いてみたい?」

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レディ・メイカー 鳴田るな @runandesu

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