第2話




(どこや?ここ……)

 

 翔太は、今自分が置かれている状況に混乱していた。何しろ、気が付くと神社に倒れていたのである。空の明るさから推測するに、明け方なのだと思うが、手荷物なども一切見当たらないので、時間の確認のしようがない。


(昨日は飲みすぎたんかな?全然記憶があらへんわ)

 翔太は、しばらく腕を組み、頭を捻り、昨日起きたことを必死に思い出そうとするのだが、一向に何も思い出せない。

(あかん、わからん。とりあえず家帰るか)

 行動していればそのうちに何か思い出すであろうと考えた翔太は、とりあえず境内から出るため、参道を歩いていく。大きな鳥居を抜け、入口に立っている門柱を振り返る。

(蛍石神社……な、なんでや……)

 そこは、翔太の実家から二キロほどの距離にある神社である。ここら一帯では一番大きな神社ということで、約五年前、関西からこちらに引越して来た時には、父母とこの神社へ参拝したことがある。


 杉本家は、越してきた最初の一年は3LDKの賃貸マンションにて親子三人で暮らしていたが、翔太の大学進学をきっかけに、小さいながらも中古の一軒家を購入し、両親は二人でその家に暮らしている。それ以来、そこが翔太の新しい実家となった。翔太はというと、同じ県内といえど通学に一時間以上かかるとの理由で、大学の近くにアパートを借りて住んでいる。


(ここからなら何とか歩いて実家までは帰れそうやな……よし)

 翔太は実家を目的地とし、歩き出した。


 距離にして半分ほど歩いた時、朝からランニングをしている健康志向の中年の男性や、ブラック企業勤めだろう暗い顔をしたサラリーマンなどとすれ違う。その度、翔太は持ち前の大声で挨拶したのだが、何故か誰も彼も完全に無視して通り過ぎるだけだった。

(こ、こないなことあるか……?ここら辺は挨拶も返さんほど冷たなってしもたんか……)


 またしばらく歩くと、今度は電柱の傍で、苦しそうにうずくまっている初老の男性を見かける。翔太はギョッとし、心配そうに小走りで近づいていく。

「おいおいおっちゃん!大丈夫かいな!?」


 翔太が男に近寄ってから、数秒後の出来事だった。男はゆっくりと顔を上げ、周りを見渡した。そしてその声が自分に向けられたものだと分かった途端、男の表情が虚ろなものから狂気を含んだ表情に変わる。


「あがががが!——————!」

「うわぁ!!」


 男は意味も解らない言葉を発しながら、翔太に掴み掛かった。口元からは泡を出している。生命の危機を感じた翔太は必死に振りほどき、一目散に逃げ出す。途中、何度かちらりと後ろを振り返ったが、男はずっと意味不明な言葉を発してはいたが、追いかけてくる様子はなさそうだった。


「なんやねん!あのおっさん!」

 二百メートルほど走った翔太は、実家からほど近い小さな公園へ逃げ込んだ。肩で息をしながら何事だったのかと思い返す。見た目はただのどこにでもいそうなオジサンだったが、その豹変ぶりはまるで怪しい薬でもやっていそうな雰囲気で、常軌をいっしていたほどだった。


(どうなってんねん。挨拶も返さへん、変質者はおる。この辺こんな物騒やったっけ?)


 そう考えると、途端に両親のことが心配になる。辺りを見渡すと、時計は朝の八時半を差していた。

「もうこんな時間か……」

 翔太は実家にいるはずの両親の姿を思い浮かべる。いつもならば、この時間には母が朝食を準備し、しばらくして父が起きてきて新聞を読んでいることだろう。その風景を思い浮かべると先ほどまでの恐怖が少し和らいだ。翔太は一層早く帰りたくなり、実家に向けて改めて歩き出した。


 しかし、実家に到着した翔太を迎えたのは、母の温かい朝食でも、父のぶっきらぼうな表情でもなく、信じられない光景だった。


『故 杉本 翔太 儀 葬儀式場』


 ようやくたどり着いた実家の門には、でかでかとそう書かれた看板が立っていた。

(な、何の冗談やねん……これ)

 翔太は焦燥感に包まれ動けず、ただ立ち尽くす。

(ふざけんのも大概にせぇよ!)

 感じた焦燥感は、すぐに怒りへと変わる。翔太は足に力を込め、家の玄関に向かってずんずんと歩き出す。途中、家の窓から母の姿がちらりと見えた。玄関の引き戸を乱暴に開けようとした。その時。

 するりと手は空を切る。

「え……?」

 何度も引き戸を開けようと試みる。しかし、やはりすり抜けるばかりで決して開くことは出来ない。翔太はよろよろと後退る。


「オカン!俺や!開けてくれ!」

「オトン!助けてくれ!」


 翔太は、叫んだ。何度も何度も。しかし、こんなにも大声で叫んでいるのに誰も出て来る様子はない。

「なんでや……なんなんや……」

 頭を抱えた翔太は、その場にがくりと膝を折った。もうどうしていいか解らない。何が起こっているかも解らなかった。


 どれくらいの間かそうしていると、不意に背後から足音がする。翔太は自我を失ったようにのろのろと首を回す。そこには、小さい頃によく遊んで貰った懐かしい父方の叔父の正俊まさとしが歩いてくるのが見えた。


「あ!マサおっちゃん!俺や!助けてくれ!」

 翔太は再三、大声で叫んだ。しかし叔父は暗い顔で何も答えないまま、どんどん近づいていく。

「おい!マサおっちゃ……え?」

 そのまま叔父は速度を緩めることなく、翔太の身体をすり抜けていき、玄関脇のチャイムを鳴らした。すぐさま翔太の母が飛び出してくる。


「あぁ。澄子すみこさん。翔太のこと、ご愁傷様です……」

「いえ。正俊さん。遠いところようお越しくれはって……私もまだ受け止め切れてなくて。さぁ、翔太の顔、見てやって下さいな」

「はい。可愛い甥っ子のためですから。上がらせてもらいますわ」


 そのやり取りを、翔太はただ茫然と見守っていたが、玄関の引き戸が『ピシャン!』と閉まる音で我に返った。


(は……はは……もしかして、俺、ほんまに死んだんか?嘘やろ?タチの悪いドッキリちゃうん……?)


 翔太はよろよろと歩き、扉の前で立ち止まる。そして意を決したように、思いっきり扉を殴りつけてみた。予想通り、腕はすっぽりと扉をすり抜ける。翔太は唾を飲み込み、それからゆっくりと身体もすり抜けさせた。

(……やっぱり。すり抜けてもうたわ。てことは多分、死んでんねんやろか?)


 見慣れた実家の玄関の内装を一通り見渡した後、翔太は恐らく自分の身体があるであろう、仏間へと足を向ける。閉鎖された屋内を歩き始めると、外にいる時は気づかなかったが、自分の足音が無いことに今になって気づく。廊下から客間を抜け、仏間に入る。


「翔太……なんでや……なんで死んでしもたんや」

 仏間には、正座して静かに肩を震わせながら涙を流す正俊がいる。その向こうに、布団に横たわるが見えた。その瞬間、翔太から冷や汗が噴き出す。しかし、肝心な顔の部分はここからでは見えない。


(おいおい……あれ俺か?ホンマに俺なんか……?)


『——怖い』


 それが翔太が思ったことだった。

 死人が死んでしまった自分自身の顔を見るということは、普通ありえない。

 

 ——顔を見てしまったら。そしてそれが本当に自分自身ならば、今まで未確定事項であった『死んだ』という事実が確定してしまう。しかし、本当に死んでしまったかどうか、見ないことには分からない。同時にそう思えてしまい、翔太はしばらく考え込んだ。しかし、いくら考え込んでいても一向に答えが出て来る様子はない。そうこうしていると、母がお茶を持って仏間に入ってきた。


「正俊さん、お茶でもどうですか?」

「ありがとうございます。兄はどうしてますか?」

和彦かずひこさんは、今少し出かけてます。葬儀会社さんと打ち合わせや言うてました。ちょっとしたら戻ってくる思いますけど」

「そうか……そら忙しいか。それで、翔太の死因は……?」


 二人の傍らでやり取りを聞いていた翔太はその言葉を聞き、はっとする。

(そうや!ナイスやマサおっちゃん!なんで死んだか、死因聞けばわかるかもしれへん!)

 

 一瞬期待した翔太の耳へ、澄子から発せられた言葉が届く。

「あぁ……それがわからんのですわ」

「はぁ?」「は?」

 二人が同時に声を上げる。

「……解剖医さんの話では、突然死いうらしくて、まれに解剖しても原因が全くわからん時があるそうです。」

「えぇ……そないなことあるんかいな……澄子さん、大丈夫か?お気を確かに持ってくださいね」

「ありがとうございます。私もこの家に翔太がこの姿で帰ってきてから、だいぶ泣きましたし。まだまだ実感はないですけど、今は少し落ち着いてます。」


 一方翔太は、母澄子が発した『死因は不明』という言葉を聞き、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、その場にへなへなと座り込んでしまう。


(なんやこれは。さっき起きたら神社に倒れとって、やっとこさ家帰ってきたと思たら、自分の葬式が開かれようとしとる。おまけに自分がなんで死んだかもわからへんなんて……)


 昨日までは、ごく普通の生活を送っていた。朝起きて、大学に登校し、大して興味もない講義を受けて、夜は居酒屋のバイトに明け暮れる。そんな自由な生活を送っていたはずだった。


 それが一夜にしてこの状況である。翔太は目の前が真っ暗になり、ここで誰の目にも映らずにただ成仏する時間を待っている。それだけの存在となってしまったように感じた。仏間の隅に這いずりながら移動した翔太は、まるで抜け殻になったように、虚空を見つめて動けなくなってしまった。


 それから一時間ほどして、今度は玄関の方で何やら騒がしい音がする。程なくわらわらと多くの人たちが仏間に流れ込んできた。翔太は虚ろになってしまった目だけでその団体を見る。翔太の葬儀のために、朝から新幹線で駆けつけてくれた、関西に住む親戚一同だった。


「ああ、翔ちゃん……」

「おい!翔太!起きんかい!」

 一同は、翔太らしきに駆け寄り、泣きながら声を掛けている。

 そろそろ葬儀が始まる時刻らしかった。


(おっちゃん、おばちゃん……)

 ここにいる皆が涙を流す中、翔太は未だに実感がないので涙も出てこない。


 翔太の中にふつふつとしたある感情が浮かんでくる。目の前には親戚が揃っている。このまま葬式が目の前で行われ、その後火葬場に到着したらもう、身体は骨になってしまう。


 今までの人生で積み上げた物。

 人間関係。

 両親。

 友人達。

 それら全て。


 灰となって消えてしまう。


 ――


 そう思うと同時に、翔太は駆けだした。


 行く当てもないまま。駆け続ける。


 走って、走って。走っている最中。

 ただ一人の顔が浮かんでくる。


 名前は何だったか。

 引っ越して来た高校で虐められていたそいつ。

 虐めてたヤツらをぶん殴った。停学になった。

 身長は普通で、黒髪で。

 

 そうだ、確か霊が見えるとかなんとか言っていた。

 それが虐めの原因だったはず。


 もしもそれが本当なら――


 


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蛍石の欠片 東風和人(こちかずと) @kochi_kazuto

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