蛍石の欠片
東風和人(こちかずと)
第1話
「今日も暇だな――。」
そう一人呟いたのは、祖父の代から受け継ぐ古書店を若干二十二歳で任されている
――ふと、古びた店内を見渡してみる。十五畳ほどの狭い店内には所狭しと並べられた埃の被った本棚。動いてはいるがいつしか鳴らなくなった振り子時計。祖父が購入したと聞いた、なぜあるのかも分からない古くて大きな姿見。しん……とした店内はどこか異世界のようで、ここだけ
四月も下旬に入ったところで温かい日も多くなり、店舗の入口から見る日差しは柔らかで、これからの季節を予感させる。
(天気も良いし、掃除でもするかな……)
蓮はそう思い、はたきを手にカウンターから立ち上がる。店舗の入口の引き戸を開け、そのまま入口に一番近い本棚から順に掃除をしていくことにする。一つの本棚をはたき終えるのに約二分。全ての本棚をはたくのに十分もかからない。
次に、蓮ははたきを雑巾へ持替え、姿見の前に立ち、木製の額を上から下へ、枠に沿って拭いていった。それから雑巾で磨き終えた鏡面を綺麗だ、と満足気に眺める。
身長は百七十二センチ、少しやせ型。黒髪で、目に掛かるか掛からないかの長さの前髪の奥で、人を信用しないと決意した切れ長の目が光っている。
ぼんやりとどれくらいの時間か自分の姿を観察していると、鏡の隅で何かが動いた気がした。
――蓮は、この世に生を受けたときから、普通の人間には視えないものが視える能力が宿っていた。人の魂、霊といったもの、一般的に妖怪と呼ばれているもの。そういったものが視たくなくても視えてしまう。そのせいで周りの人間から気味悪がられたり、虐めにあったりなど日常茶飯事で、何時からか蓮は人間というものを信じることをやめてしまった。そして、その原因となった、霊や妖怪も嫌い、拒絶している。
(またか……雑魚妖怪なら追い出してやる)
蓮は、今まで遭ってきた苦々しい記憶を辿りながら、正体を暴くために振り返ろうとした瞬間。
「おいーす!蓮ちゃん久しぶりやなぁ!」
背後からいきなり大声で声をかけられた蓮はまるで猫のように飛び上がり、危うく姿見を破壊しそうになる。
「おおおお前!いつの間に!どうやって入ってきたんだ!」
「えー?さっきー。蓮ちゃんがその鏡で自分に見惚れてうっとーりしとる時や。ていうか入口全開にしといてなに言うてんねんアホか!」
と、突然の侵入者がニカッ、と悪戯っ子のような笑みを作る。
そうだった。と蓮は心の中で舌打ちする。
「ていうか蓮ちゃん、俺のことちゃんと覚えてる?高校の卒業式以来やん。自分、成人式にも出てこんかったやん。どうしてたん?」
「ちょ、ちょっと待て」
矢継ぎ早に質問を繰り出してくる男を何とか制し、蓮は早鐘を打つ心臓をとにかく落ち着つかせるために一度、ふぅ……と深呼吸する。春の温かい空気と古い紙の持つ独特な匂いが胸いっぱいに入ってくる。それを一息に吐き出す。
「翔太。覚えているよ。当たり前だろう。成人式に出なかった理由は同級生だったお前ならよくわかるだろ?」
長身で髪を金色にし、短い髪をワックスで逆立てているこの男は
もともとは関西出身なのだが、親の仕事の都合で高校二年生の冬にこちらへ引越してきた。そして転校早々、蓮がクラスメイト達から避けられたり虐められていたのを目撃し、その主犯格の生徒を殴り、一週間の停学になったという伝説の持ち主である。先生に理由を聞かれた翔太は一言、『俺は曲がったことが大嫌いや』という言葉を放った。
しかし、持ち前の明るさと人懐っこさから、自然と翔太の周りには人が集まった。その後も何かにつけては翔太は蓮にしつこく構い、いつしか連への虐めは無くなっていた。他にも色々と問題を起こしていたようだが理由はどれも同じであり、おかげで翔太には『直進馬鹿』というあだ名まで付いた。直に三年生になり、みんなが受験勉強に追われる日々を送り、蓮に県内の大学に進学するとだけ言い、嵐のように卒業していった。
「あー蓮ちゃんは友達一人もおらへんかったもんなー。そら来づらいわ」
ずけずけとした物言いは関西人特有のものだろうか。と蓮は偏見甚だしい思考を巡らすと同時にイラっとする。しかし、学生時代に翔太に助けられたことも事実なので、蓮には何も言えない。
「別に友達が欲しいとも思っていなかったんだ。それに、みんなが俺を避けていた理由も知っているだろう?」
「あの霊とかが視えるいうやつやろ?周りの奴らが噂で言うてたのを聞いてただけやったけどな。まぁ思春期の中でのそういう痛ーい設定でおもろいやん?ぐらいにしか思てなかったし。でも昔に蓮ちゃん本人から『本当だ』なんて聞かされたときはびっくりしたわ。ま、でも俺はなーんも視えへんから、信じへんけどな」
このさばさばとした性格も人が集まる理由の一つだろう。蓮も自身の能力で悩んでいた時期もあったが、友人として付き合っていく中で、この翔太の性格のおかげで少し気が楽になったのを記憶している。
「それで?四年も経って、いきなり訪ねてくるなんてどうしたんだ?」
「いやー。なんや急に寂しなってな。会いに来たんや」
「寂しい?お前なら友達なんて腐るほどいるだろう?寂しがることなんてあるのか?」
「根暗か!いやいや蓮ちゃん。俺かて寂しなる時くらいあるわ!その、なんや……しばらく誰とも喋ったりしてへんというか、会ったりしてへんというか……」
はきはきとした翔太が珍しく口ごもる。蓮は翔太が大学でどのような生活を送っているかは知らないが、高校の時の記憶から大学でも同じように幅広い友人に囲まれているだろうということは容易に想像ができた。その翔太が、誰とも会わず話さずということに、蓮は『これは何かただ事ではないな』と感じ取る。
「とりあえず奥に上がって茶でも飲んでくか?」
蓮は、あの翔太ならば二つ返事で食いついてきて、なんならお茶請けの催促までセットでしてきそうなものだと思っていたが、翔太の返事は予想に反したものだった。
「いや……。今日は寄っただけやから、もう帰るわ。久々に話せてめっちゃ楽しかったわ!また近いうちにきてもええ?相談したいこともあるし」
「あ、あぁ……。それは構わないが、本当に大丈夫か?」
「大丈夫や!ほんま楽しかったで!ありがとうな。見送りはええで!」
翔太はそういうと、返事を待たずして、入口に向かって歩いて行ってしまい、本棚で姿が見えなくなった。
『楽しかった』とは口では言っているものの、翔太の表情は暗いままで、どこか思い詰めているように見える。それが連の心に引っ掛かり、後をついていき入口で追いつく。
足音に気が付いたのか翔太は振り返った。
「なんや、見送りはええて言うてんのに」
「いや、そのなんだ。悩みがあるならいつでも聞くから。お願いだから自殺とかするなよ?」
「アホか!そんなんせんって!ほなまた!」
翔太は、力なく笑いつつ手を上げて店舗から前の歩道へ出る。——その瞬間。
「うわぁ!」
歩道を猛スピードで走ってきた自転車に翔太は跳ね飛ばされ……なかった。
両腕で顔をかばう翔太の身体を、自転車はスピードを緩めることなくすり抜けていったのだ。まるで、そこには何もなかったかのように。
瞬間を驚いて見ていた蓮は絶句する。
「翔太……お前……」
「あ、あはは……」
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