第5話 店に戻って
店に戻ってダメ元だと思いつつ、「いつもに比べてエンジン音が違っているし、アヒルの鳴き声みたいなんです。それに、ブレーキの効きが悪くなってますし…」と主任に車の異常を報告した。
「音だって? お前さんの運転ではうるさいわな。ブレーキ? そんなことは自分の自慢の腕でどうにかしろ。急ブレーキをかけなきゃいいことだし、サイドにしたってギアをローに入れておけば問題ない」と、予想通り相手にしてもらえなかった。
(ケッ、何とまあ調子のいいことを。自分の腕でカバーしろだって。いつも『人間の勘とか腕だとか、そんなものに頼ってはいかん。おかしいと思ったらすぐに報告するように』なんて、いつも言ってるじゃないか)。心内で愚痴りながら、後ろ向きの姿勢で思いっきり舌を出した。
苦笑しながら話を聞いていた事務員の一人が「また叱られたわネ」と声をかけてきた。口を尖らせながら「別に」と答えて「明日の休み、車でスカッとしようかな」と、(借りられるよう、頼んでくれるかな)と目で合図した。元来女性との会話が苦手な彼なのだが、不思議に五歳年上の女性事務員の貴子とは苦にならない。いつも軽口をたたき合っている。「社長令嬢だよ、仮にも。少しは言葉遣いを考えたら」と岩田が忠告するが、「関係ねえよ、そんなの」と受け合わない彼だ。
「いいわよ。但し、私も連れてってよ。そんな怪訝そうにしなくていいの。私だけじゃなく、もう一人いるの。新入りの真理子ちゃんもよ。一人では恥ずかしいから、三人でのデートをしたいんですって。この、色男が!」
突然のことに何と返事をしていいのかわからず、ただドギマギして口ごもってしまった。
「じゃあ、明日十時に会社の駐車場ね。そういうことで、キマリ!」
一方的に取り仕切られて終わった。自分の行動を他人に仕切られることを極端に嫌う彼だが、今回は違った。自分の決断ではなくても腹が立たない。すでに頭の中では、明日の走るコースを色々と思いめぐらせていた。真理子という娘は、一週間ほど前に入って定時制高校に通っている。定時よりも早い五時に退社し、自転車を駆って通学している。入社初日に自転車の都合が付かず、手の空いていた彼が車で送ることになった。
むっつりとした表情を見せながらの、十分間ほどのデートになった。真理子は「すみません」と少し掠れた声を出し、申し訳なさそうな顔付きを見せた。彼はといえば「仕事の内だから」と不機嫌な声を出しつつも、口元が緩んでいる。目がくりくりとしていて少し団子鼻のところが彼には可愛く見える。おちょぼ口なところも愛らしく感じる彼だ。親元を離れての集団就職で、今年十六歳になっている。初めの職場では人間関係がうまくいかず、学校の斡旋でこの会社に入ってきた。社長令嬢でもある貴子がお姉さん代わりに何やかやと世話を焼いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます