第3話
みんなが大学を卒業して社会に出始めたばかりのころだった。彼女のブログに書かれることは、少しずつ変わった内容になっていった。相変わらず引き込まれる文章ではあったものの、気軽にコメントできない内容が増えていった。例えばある日の日記によると、どこかに偶然できた割れ目から、突然不思議な生き物が現れて、彼女を困惑させるらしいのだ。どこかへ行ってほしいと思っても、なかなかいなくなってくれなくて、彼女はかなり辟易していたようだった。――辟易なんて言い方でどうにかなるものだったのだろうか。戸惑い、混乱、恐怖、あきらめ、そしてどこまで本当なのかいまいち信じきれない私たち。そんなの、しょせん外野にはわかりっこなかった。職場でのことだって、同じ状況にいようと、嫌がらせだと本人が思えばそうなるが、ただ気遣いが足りないだけで悪気はないと言われればそれでおしまいだ。要はものごとのとらえ方の問題なのだ。ちょっともやもやした、嫌だなあという思いを少しだけ大げさに書いてみると、ああいうことになっていただけかもしれない。どこまで本当でどこまで想像だったのかはわからない。他界してからもう三年が過ぎた。彼女のブログは親族が削除したようで、今となっては、なにが書いてあったか確認できないのだが。
どうも羽音が増えた気がして、目をやると、虫の数が増えている。そのテントウムシのような生き物は、カナブンとほとんど変わらない大きさになって、楽しそうに飛び回っている。恐れるようなことではないと思いつつも、普段は一センチにも満たない虫が、カナブンと同じ大きさでいるのは、これをそのまま納得して受け入れていいものかどうか疑問である。このまま放置していたら、次はなにが現れるのか。楽しそうにしている虫たちに、「ここは私の部屋なので、ご遠慮願いたいのですが」と一言注意したほうがよいのか。話せばわかる相手なのか、叩き落としたりして無理矢理わからせないといけないのか。しかし、問題は私がここから一歩たりとも動きたくないということだ。やはり、思った以上に疲れているのかもしれない。その上彼らを見ていると、ますますやる気がなくなってきて、ますます床の上に足を下ろすのがおっくうになってくる。もしくは彼らは私からやる気を吸い取っているからこそ、こんなに生き生きとしているのかもしれないが。
次に入ってきたものは、もはや現実のものとは思えないものだった。ぬいぐるみでなら、見たこともあったかもしれない。これがテーマパークの中であれば、にこにこ笑いながら見ていられるのだろう。しかしここはテーマパークではない。私の部屋の中なのだ。こんなものが飛び回っていてよいところではない。百歩譲ってでかいテントウムシはまだ許せるにせよ、こんなものがいていいわけはない。それは、おそらく人面鳥と呼ばれる類のものだった。オカメインコほどの大きさで、あの穴から入るのは本来であれば物理的に無理なのだが、カナブンやテントウムシが通り道を作ってしまったのだろう。しかも、あの図体を支えるにはかなり頑張って羽ばたかないといけないのだろうが、やたらと優雅な動きを見せている。二分の一倍速で再生されているかのような、気だるい羽ばたき方だ。性別はわからないが、髪は短いようだ。仮面をつけているので、人相はよくわからない。しかも、仮装舞踏会にでも行くようなふざけた仮面ときている。なんでこんなものが私の部屋の中を飛び回っているのだろうか。そろそろやる気を出して、やつらを蹴散らしてガラス戸を閉めればなんとかなるのか、でも今の私にそんな気力はない。目の前で起きていることを、ただ黙って見ていることしかできない。
なんでこんなものが見えているのだろう。どこで間違えてしまったのだろうか。
彼女のブログでこんな場面を読んだことがある気がして、記憶の中に探りを入れてみる。 本来であればプライベートな領域である頭の中だか心の中だかに、勝手に入り込んでくるよくわからないものたち。それらは彼女の代わりに、自由に思考を展開していた。勝手気ままに言いたいことを言って、ときには、勝手に行動に移した。彼女はただそれを、黙って正座して見ているしかなかった。そういうことは、ただの妄想や思い込みか、あるいは想像力が逞しいのだろう、くらいに思っていた。しかし、少なくとも今の私には、こういったものが見えてしまっている。私の場合はまだ、部屋の中を飛び回っているだけで、向き合われたり話しかけられるよりましではあるが。しかし私は、寝そべっているだけで、立ち上がって穴を塞ごうという気にはならない。現状に甘んじて解決策をとろうとしない。この状態も、今はまだ「なにもしない」の範疇にあるが、このまま放置しておけば、知らぬ間に「なにもできない」になっているのではないか。手遅れになる前に行動を起こすべきなのか。
もしくは、私は期待でもしているのだろうか。そのうちあれらが、彼女を連れてくるのではないかと。しかし、連れて来られたところでなにを話すというのか。生きている間だって、話すことなどほとんどなかった。高校の仲間で集まったとき、彼女はなにを話していたのだろう。思い出そうとしても、静かに微笑んでいる様子しか浮かんでこない。
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