第6話

◆◇◆◇─────




 今でこそ、トリオンは巨大な港都市として観光客を集めているが、なにも最初からそうであったわけではない。

 白い街となったのはここ数十年の話でしかなく、元々あった街の上から白い街を形成したという事情があり、中部区画───港側で港や傭兵連合の寄り合い所、街の出入口等々がある港区画。港とは反対の高所に行政役所やその他の施設や観光街に宿場、更にはこのおr-ヴァもとい聖王国に仕える騎士団の駐屯所などが存在する経済区画。それら、二つの区画に挟まれる形で存在する地元の人間でなければ長居しないような区画───その区画の中央で他二つの区画を繋ぐように存在する大通りとやや住宅を挟んで存在する何本かの通りからも外れた路地裏より先にそれは存在している。

 トリオンの旧中部区画住宅街。

 嘗ては普通の街並みの一つであったが、大規模な行政工事によってそのほとんどを今の白い街並みで蓋をされてしまった空間。いまではスラム街、掃きだめとかした旧住宅街は地元住民でもそうそう足を踏み入れることもなく、当たり前だがこの街の案内板ですら何も書かれていない。


 さて、どうしてそんな場所の話をしたのか。

 それはもちろん、人攫いたちがその旧住宅街へ向かって路地裏を走っていたからだ。

 そういった活動をして、長いのかやはり彼らの足に迷いはない。だが、同時にまっすぐ最短距離で向かっているわけではない。素直に真っすぐ自分たちのテリトリーに向かうなど、馬鹿な話だ。

 彼らのリーダー格である男は決して馬鹿ではない。もしも自分たちが真っすぐ旧住宅街へと向かったところで自分たちを追っているあのいかれた女傭兵は間違いなく追いついてきて入る前に襲われるか、中に入って他の仲間たちが集まったとしてもその後の結果がどうなるであれ決してその被害は無視できるもので済むわけがない。

 どう見積もったところで、追いかけてきているという状況から脱さねば負けなのは目に見えていた。

 故に男はこうして複雑な路地裏を遠回りで進んでいきながらいざとなった時は部下たちを使うことで何とかして撒いてやろうと考えていた。勿論、勿論の話であるが男にとって一番都合が良いのは逃走の際に使用した煙玉、あの時点で自分たちを見失ってくれる、ことだ。



「(だが、だが、そんな都合の良い話があってたまるか)」



 走りながら男の脳裏に過るのは一切容赦なく部下の一人、その鼻っ面に握っていた石を叩きつけた時の女傭兵の顔。

 まるで虫けらでも見ているかのような、冷たい目をして楽しむわけでもなく嫌悪しているわけでもない、そんな恐ろしい背筋に冷たいモノが当てられたのではないかと思うほどに血の気が引いたのだ。

 だから、こうして逃げている。

 こんなことになる前にさっさと逃げるべきであったのだが、もはや過ぎた話である。



「(ど、どれぐらい走った?)」



 足を止めたくなるが、止めてしまえば追いつかれてし合うのではないか?という不安故に男は走りながらそんな思考が湧いてくるがそんな思考すら邪魔だと言わんばかりに首を横に振ってそのまま路地裏を走っていき────



「ッ!?」



 突如として後方で何かが落下するような音が響き、まさか追いついたのか!?と男たちは一斉に振り返ってみればそこには路地裏に置かれてだいぶ経つような汚れた建材が積み上がっていたものが崩れてきていたらしい。

 どうやら、五人もいきおいよく走ってきた際に揺れて崩れてきたのだろう。追いつかれたわけではないらしい、と胸を撫でおろして息をつき前へと向き直って



「どうも、そんなに息を切らしてどうしましたか?」



 目の前に降り立った少女の姿は男たちは悲鳴すら上げれず、ただ息が漏れるような音が自分の口から聴こえたのを耳にした。






◇◆◇◆─────






 路地裏の壁を次々に蹴り上げていき、煙よりも上空に身を躍らせたエバは屋根に着地して静かに眼下の路地裏を見下ろしていた。

 既に煙のせいでおおよそ人攫いたちを見失っていて、追いかけるのはやや難しいがしかし見失った程度で諦める理由もなく、土地勘がなくそんな場所で見失ってしまった相手を追いかけるのは当たり前に難しいのだが────



「足はこちらの方が早いのは明白ですし、何より態々路地裏なんて迷う場所を追いかけるのは性に合いませんからね」



 柔軟体操をするかのように軽く足首を動かしながらそう呟いたかと思えば、今度は身体中の骨を軽く鳴らしてから屈伸をし、邪魔にならないように羽織っていた外套を脱いでベルトに紐でくくる。

 そうして、露になるのは貴族や富豪といった富裕層が通うような学園の制服にも似たような服装を改造したモノで全体的に動きやすいように見える。蹴りや飛んだり跳ねたりする癖に膝ほどの丈のスカートなのはいささか、総論ものだが。

 とにかく、そんな見た目相応の装いを誰の目もないような場所で晒しながらエバはその場で軽く跳ねてみて、



 次の瞬間にはスタートダッシュを決めていた。



「……!潮風が寒いんですが……!!」



 走る。

 跳ぶ。

 走る。

 跳ぶ。

 躓きそうになりながらも体勢を立てなおして、エバは白い住宅街の屋根を足場に走っていく。エンジンはまだまだ、かかっていないがしかし感覚は既にかなり開いている。



「例え、大の男であっても女性一人抱えている中路地裏を逃げる。間違いなく、素直に巣へ逃げるなんてことはしないでしょうから、ええ、逃がしません」



 海辺の街であり、既に夜という事もあって、切っていく風が冷えていてエバのスカートから覗いている足と首筋を冷やすようで小さく悲鳴をあげながら、走っていきしばらくすれば眼下の路地裏を走っていく人攫いたちの背を捉え、その後方に建材の山があるのを確認したエバは途中で屋根から拾っていた瓦を一枚建材の山へと投擲して建材の山を崩す。

 彼らからすればあまりに唐突だったろう。そして、追われているという状況下でなによりもそれは効果的で全員の視線を誘導した隙に彼らの向かっていた先へと飛び降りる。

 その際に減速する為、壁面にブーツの踵を当てておく。


 そうして、エバ・ナルキッソスは彼らの前にもう一度姿を見せた。



「どうも、そんなに息を切らしてどうしましたか?」






◆◇◆◇─────






 まるで散歩中に出会った学友に声をかけるような気軽さで声をかけてきたエバに男たちの一人は気も狂わんばかりの叫びを上げながらその手に持っていた剣を振りかぶりながら突貫した。



「ああああああ!!」



 その様はまるで怖いものをどうにかして振り払おうとする子供のようにも見え、他の仲間たちは何をしているのか、と逆に冷静さを取り戻していき今の内に逃げようと思考し始めてから振り返り来た道を引き返す、その動作を行うのにかかった時間はほんとに数秒、十秒もかけずに彼らは動き出して────



「は?」



 勢いよくそれにぶつかった。

 いったい、何が起きたのか彼らにはわからない。崩れ落ちた建材を跨いでいこうとしただけなのに、跨げない。いや、正確に言えば跨ごうとしたがまるでそこに壁でもあるかのように足がぶつかり、それに続いて身体がぶつかった。

 なんだこれは?

 まるでここに見えない壁でもあるようじゃないか。

 ぺたぺたと手でそこに触れてみれば、何か硬いモノに触れる感触が確かにある。



「壁……壁だ」


「な、なんで!?さっきまでここに何もなくて……!?」



 わからない。わからない。

 そんな、彼らの疑問に答える様に声が一つ。



「ああ、すいません。いま、袋小路でして」



 その声に振り返ってみれば剣を持って突撃した男を蹴り倒したのか、軽くつま先で地面を蹴っているエバの姿。何でもないかのように言う彼女の姿にきっとやはり何でもないかのように叩き潰されるのだ、と諦めていく。

 もはや彼らの表情は蒼白を通り越して、土気色になっている。そんな彼らに怪物は近づいてきて─────



「それじゃあ、とりあえず全員叩き潰しますね」



 逃れられぬ絶望に意識が遠のいていく。









「いやいや、待て待て!!ナルキッソス!?」




◇◆◇◆─────

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茶会は戦装束と共に @CheeseVanilla

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