-012

「それは少し違うかも。ドッペルゲンガーというよりは、例えるならスワンプマンね。」

「すわ――、何つった?」

「スワンプマン。知らない?」

 霊華はピンと人差し指を立てると、まるで自慢話でもするかのようにふわりと相好を崩して、滔々とうとうと語りだす。

「デイヴィッドソンっていう古代の哲学者の思考実験なんだけど、雷に打たれて人間が死ぬのと同時に、雷によって沼の泥からその人と全く同じ構造をもった人間が生まれた時、果たしてその沼男は同じ人間と言えるのかって話なの。こんなこと現実には絶対あり得ないんだけど、例えば人体複製クローンとか脳髄からデータを取り出すことによる不老不死の達成が果たして倫理的に正しいのかという問題を考える時には、時たま取り上げられることがあるわね――――、似たようなのだとテセウスの船っていうのもあって、こっちはプルタルコスによる提言で、ギリシャ神話の――――」

「分かった分かった! もうそこまででいい。何でお前もイナも、こうわざわざ日本語で日本語じゃないようなことをべらべらと捲し立てるんだよ。」

「あっ、ゴメン。……つい饒舌しゃべり過ぎちゃったかな。」

 とは言いつつも、彼女はそれほど悪く思っていないらしく、何事も無かったように言葉を続ける。

「ともかく、あの瞬間――――、私が天使に吹き飛ばされて、響君が間に入ったあの瞬間。突然天使の身体が眼も開けられない程眩しく発光して――――、気付いたら、アナタは倒れてて、天使の代わりにこの子が立ってた。」

「――――こいつは、自分のことを元天使だって抜かしてたが、本当なのか。」

 袋を受け取ったイナは、ベッドの上にパンの包みを並べて、興味深そうに凝っと見詰めている。その仕草はまさに少女の見た目相応で、あの狂暴な天使の姿など想像もできない。

「そうね。…………やっぱり、気になるわよね。」

「天使が人間になるって話は聞いたことがない。こいつの狂言なんじゃないとしたら、ちゃんとした説明を寄越せ。」

 天使は、一般には魔法生物という括りに入る存在である。

 そして魔法生物というのは、思考を元に判断し、行動する存在であるために生物の言葉を冠しているが、実際には人間のような脊椎動物とは一線を画す、超自然的な存在の総称だ。

 つまり――――、


 生物であって、生物でない。

 生物であって、科学でない。

 生物であって、論理でない。

 

 その天使が人間に成り代わったということがあれば、学者たちはひっくり返ってしまうだろう。

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