第26話 どっちの意味?


 冒険者ギルドを出る頃、空はすっかり暗くなっていた。

 日が落ちただけでなく、分厚い雲が空を覆い尽くしていた。

 俺たちが宿屋に到着した時には雨が降り始めていたので、暫くは止まないだろう。

 宿屋の一階に併設されたレストランで食事をするなか、人前に出る時はバンダナを巻いているエルザを俺は不機嫌になりながら見つめていた。

 俺の視線に気づいたエルザが食事の手を止めて俺を見る。


「お、怒らないでよう……」

「別に怒ってないぞ」


 理不尽な世界に苛立っているだけさ、と心の中で呟く。

 一目見て魔物だと気づけてしまう犬耳を隠す必要性は十分に理解している。

 けれども、ありのままのエルザを見ることが出来ないというのは屈辱的だ。

 例えば、料理が運ばれる時に尻尾はふりふりと揺れるのだろうか。

 俺が話しかけた時、犬耳はぴこぴこしているのだろうか。

 気になる、とても気になる。

 気になり過ぎて、食事も喉を通らない。


「ご馳走様」


 いつもならパンを二個ほど食べるところを、今日は一個に留める。

 今の俺には、食事よりも為さねばならぬことがあるのだ。


「あ、待ってよ! ごちそうさまでした」


 俺を追いかけてきたエルザの手を掴んで、まっすぐ借りていた部屋に向かう。

 内側から施錠して、エルザに向き直る。


「エルザ」

「な、なにかな?」

「バンダナ、外して」

「バンダナを? まあ、いいけど……」


 しゅるしゅるとバンダナを外すエルザ。

 これまでバンダナで押さえつけられていた犬耳がぴこんと跳ねる。

 不思議だ、お耳が四つ。

 音も二倍聞こえるのだろうか。


「エルザ、エルザ! ベッドに座って! ほら、はやく!」


 俺はエルザを急かしてベッドに座らせて、履いていた靴を放り投げて背後に回る。


「ど、どしたのカイン?」

「耳、耳触りたい! 触らせて!」

「耳を? いいけど……」


 許可を貰ったので犬耳に手を伸ばす。

 赤い頭髪と違って、犬耳の方は赤褐色の毛が生えていた。

 髪の毛の方はツンツンするぐらい硬いのに、犬耳の方はさらさらした感触だ。

 凄い、魔物の神秘……!

 触るたびにぴっこんぴっこん動いていて可愛い。


「くすぐったい」


 暫く触っていたら、ぴこぴこ耳を動かしていたエルザが両手で犬耳をゴシゴシし始めた。

 仕草はよく王都で見かけるイエイヌっぽい。


「エルザ、次、次、尻尾触りたい!」

「尻尾?」

「もふもふしたい! もふもふ!」


 俺の為すべきこと────それはエルザを愛でることだ。

 色々な事がたくさん起きたが、俺も年頃の人間。

 好きになった相手を心ゆくまで愛で倒したい、というか愛で倒さないと俺の頭がおかしくなる。


「言うほどもふもふじゃないけど……」


 そう言って差し出されたのは真っ黒の毛が生えた尻尾。

 触ってみると不思議なことにごわごわの黒い毛が生えた下にふわふわの白い毛が生えている。

 犬耳と違った毛質だ。


「あひゅ、しゅごい……ごわごわとふわふわが両立してる……永遠に触っていられるわ、これ……」


 エルザの尻尾に触れているたびに、ささくれていた心が癒される。

 しかし、しかしだ。

 これでは足りない、と飽くなき俺の欲望が囁く。

 背後から尻尾を触るだけではエルザを愛でているとは言えない。

 どうするべきだ?

 どうすればこの心に空いた穴を埋められる?


「あ、そうだ! エルザ、靴脱いで」

「分かった」


 いそいそと靴を脱いだエルザの手を引っ張ってベッドの中央に移動させる。

 正面を向いたエルザと視線が合う。

 エルザは静かに俺を見ていたが、その背後でわっさわっさと尻尾が動いている。


「……そんなに見つめられても困るんだけど」

「そうか、じゃあ見るの辞める」


 ピタッと尻尾が止まる。

 表情は変わらないが、尻尾はうんともすんとも言わなくなった。

 試しに視線をエルザに戻してみると、わっさわっさと尻尾が動き始める。

 エルザは無言で尻尾を掴むが、根本がふりふりと揺れている。


 はあ〜〜〜エルザが可愛すぎてキレそう!

 コイツ、俺のことめっちゃ好きじゃん!


「エルザ」

「……なあに?」

「ハグしたい」


 エルザは俺の目を見て、それから静かに両手を広げた。

 手を離したことで自由になった尻尾はふりふりと揺れる。

 まるで俺を誘っているようだ……いや、これはもう誘ってるだろ!


 ぎゅうと抱きつくとエルザの尻尾はさらに激しく揺れる。

 尻尾をもふりたいところだが、ふりふり尻尾を揺れている光景を眺めたいのでここはグッと我慢する。


「エルザ〜好きだ〜」


 代わりに込み上げた想いを口に出す。

 口に出すとさらにエルザへの想いが深くなる、これもまた不思議な現象だ。

 硬い胸板と思いきや、意外にも発達した大胸筋が柔らかく俺を包み込む。

 なるほど、女の子が『雄っぱい』と騒ぎ立てるのも理解できる。

 エルザの体温と尻尾ふりふりを満喫していると、俺の背中に手が回された。


「わ、私も……好き」


 静かな部屋にエルザの低音が響く。

 なんという甘美な言葉。

 生きていて良かった、心からそう思うほど俺は幸せを噛み締める。


「カインは、魔物の私が怖くないの?」

「ぜんぜん。エルザはエルザだろ。俺の好きなエルザだ」

「魔物は人を襲うんだよ?」

「念のために聞くが、それはどっちの意味だ?」


 エルザは口を真一文字にきゅっと結ぶ。

 俺を抱きしめていた手に僅かに力が篭る。


「なあ、エルザ。どっちの意味なんだ?」

「…………ナイショ」

「ひょえ!? お、お、俺を、お、襲う!?」


 そっぽ向いたエルザはそれきり、俺の質問に答えてくれなかった。

 いつ襲われてもいいように心構えだけはしておこう。

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