第23話 エルザの秘密


 遠くで結界を突破しようと魔物たちが攻撃する音が聞こえるなか、俺たちはフレイムフェアリーを従えたハミルトンと相対していた。


「やってしまえ、フレイムフェアリー!」

「フフフッ」


 俺はフレイムフェアリーが打ち出す火の玉を魔術結界で遮断し、エルザが一歩踏み出したタイミングで結界を解除する。

 魔術結界は敵の攻撃を遮断できる一方で、味方の行動を阻害してしまうこともあるので使い方が難しいのだ。

 フレイムフェアリーとエルザが火球と槍の応酬を始める。


「禁術を使ったな、ハミルトン!」


 魔術師ギルドには二つ、禁術に指定されているものがある。

 魔物を任意の地点に召喚する魔術だけでなく、意のままに従わせる魔術も禁忌に指定されている。


「ハッ、他人が決めたルールに従うなんて馬鹿らしい! 【賢者】のあなたなら分かるでしょう!? 使える力を自由に使って何が悪い!!」


 屈強な冒険者に挟まれて怯えていたハミルトンの姿はそこにはなく、思うがままに魔物を使役している邪悪な魔術師の姿がそこにあった。

 誰が見ても、その恍惚とした表情は『力に酔っている』としか思わないだろう。

 王都を守る結界の要を防衛する以上、ここで魔物を召喚したハミルトンは敵だ。


「話し合う余地はないな」


 杖を構えてハミルトンに向ける。

 手加減なんてしようものなら、殺されるのはこっちだ。


「交渉決裂、ですか。残念ですよ、魔物に与する方が下らないルールに縛られずに済むというのに!」


 ハミルトンは左手で真言を描き、魔力を操る。

 魔力の流れから見て風属性の〈ウィンドブラスト〉だろう。

 魔術師同士の決闘では同属性の魔術を撃ち合い、威力を競うのだが、これは正真正銘の殺し合い。

 律儀に作法を守る必要はない。


「〈アースウィンド〉」


 土属性の魔術を使って地面を隆起させ、相手の魔術を防ぎつつ〈ウィンドブラスト〉よりも強い威力でする。

 これを一度に行うのが、〈アースウィンド〉であり、俺が最も得意とする複合魔術だ。

 決闘では一発アウトだが、殺し合いなのでなんら問題はない。


 意表をついた反撃をしたつもりだったが、ハミルトンは寸前のところで魔術結界でとっさに防ぎやがった。


「複合魔術が使えるほどの腕前があるのに、なんで魔術を極めない!? 魔神こそが、この世の神様に相応しいというのに! ああ、理解できない!」


 ワケの分からないことを叫びながら、ハミルトンは真言を描くが……。

 はっきりと言って俺の方がスピードでは勝っている。

 高威力の魔術を使おうとしているが、ハミルトンの技術がそれに追いついていないのだ。


「……〈ファイアーボール〉」


 俺の杖の先から発生した火球が、ハミルトンが反応するよりも早く身体を直撃した。


「ぎゃあああっ!? あつい、あついぃぃっ!!」


 断末魔の悲鳴をあげながら、ハミルトンが地面を転げ回って、やがて動かなくなる。

 元々、それほど魔力も残っていなかったので碌に結界も張れなかったのだろう。

 火属性の魔術は直撃すると『火』という特性もあって大怪我は免れない。

 それを薄いローブで受けてしまったのだから致命傷は間違いない。


「ハミルトン、アンタに何があったか知らないが禁術だけは使うべきじゃないぜ」


 魔物さえ召喚していなければもう少しまともな戦いになっていたか、少なくとも死ぬことはなかっただろう。

 もう過ぎたことだけど、そう思わずにはいられない。


 エルザの方を横目で確認すれば、手こずってはいるが怪我はしていないようなのでほっと胸を撫で下ろし、水属性の魔術で援護しようと手を宙に翳す。


「────っ!?」


 フレイムフェアリーが火球を放とうとしていたので相殺して、と考えていたところでエルザが焦った表情で俺を振り返る。

 片手に持っていた槍を振りかぶって思いっきり俺に向かって投擲した。

 びゅん、と風を切って穂先は俺の背後に横たわっていたはずのハミルトンに突き刺さった。


「ぎゃあああっ!?」


 既に事切れていたはずのハミルトンが悲鳴をあげる。

 俺が驚いて振り返ると、ハミルトンの左の手首に嵌めていた銀の腕輪をエルザの槍が深々と貫いて地面に縫いとめていた。


「は、はははっ。これで妨害したつもりだろうが、もう手遅れだ! 既にフレイムフェアリーの成長は済ませている!」

「なにっ!?」

「ソイツが事切れた瞬間、大爆発を引き起こして辺り一帯は消滅する! 尤も、時間経過でソイツの体内の魔力が一定以下にまで減ると自動で爆発する生態を持っているがな!」


 左の手首に突き刺さった槍を抜いて、ハミルトンは高らかに笑う。

 ハミルトンの言葉を脳内で反芻した俺の頰を、一筋の汗が伝い落ちる。


 フレイムフェアリーは、体内の魔力が減ると自爆をして敵もろとも道連れにしようとする生態がある。

 そのためいかに早く討伐するかが重要であり、時間がかかるとすれば周囲に被害がないように開けた場所で戦うように注意する必要があるのだ。

 それを、ハミルトンが形態変化させたことで状況が悪化した。


「はははっ、ははははっ! 流石の【賢者】様も顔が青ざめたなあ!」


 ハミルトンの高笑いを聞いて、エルザがフレイムフェアリーと距離を取る。

 フレイムフェアリーは己の運命も知らずに青い炎を纏いながらゆらゆら漂っていた。

 クスクスと笑っているのは狼狽える俺たちを嘲笑っているようで癪に触るが、下手に攻撃もできない。


「形態変化を人為的に引き起こせるなんて……どうしよう!?」


 エルザの焦った声が聞こえて、俺は己の不甲斐なさを内心で呪いながら対策を考える。

 結界でフレイムフェアリーを封じ込めながら、外へ移動させる?

 だめだ、結界はそんな便利なものじゃない。

 その特性上、移動しながら結界を張ることはできないし、下手に近づけばフレイムフェアリーは魔力を消費してこちらを攻撃してくる。


「冥府の土産に良いことを教えてやろう! 魔物というものは体内に魔力を流し込むことで一気に身体構造が変化する。特に骨となるものに流し込むと飛躍的に成長するのだ。そこの妖精も先ほどより高温の炎を纏っているだろう?」

「魔力を流し込む?」

「そうさ、この秘密を知っているのは私だけ! それもこれも偉大なるあのお方から授けられた知識だ!」


 ハミルトンの言葉に引っ掛かりを覚えたが、痺れを切らしたフレイムフェアリーが火球を飛ばしてくる。

 挑発目的だからか、威力と速度はそれほど早くないので結界で防ぐ。

 しかし、このまま防いでいても俺の魔力を悪戯に消費するだけだ。

 苦虫を噛み潰したように眉をしかめたエルザが静かに口を開く。


「ハミルトン、魔物は骨に魔力を流し込むと変化するのね?」

「ふん、そうだ。さて、もう依頼は達成したも同然。魔力も尽きたことだし、私は先に失礼させてもらうとしようか」


 俺の隣に立っていたエルザが不敵に笑う。


「そう、


 立ち去ろうとしていたハミルトンが歩みをピタリと止める。


「…………なに?」

「エルザ、何を言ってるんだ? それじゃあ、まるで、まるで……」


 口から飛び出しかけた言葉を俺はグッと飲み込む。

 声に出したら、真実になってしまう気がしたのだ。

 一歩踏み出したエルザの背中が知らないものに見えて、俺は思わずゾッとする。


 エルザは片手で、頭に巻いていた青いターバンを解いて手を離す。

 地面にパサリと布が落ちたことにも構うことなく、鋭い翡翠の相貌は魔物を見据えていた。 

 槍も持たず、まっすぐ燃え盛る妖精へ近づいていく。

 すう、とエルザが息を吸い込む音が聞こえて、その身体に変化が起こった。


 頭頂部には二対の三角。

 臀部にはシャツを捲り上げ、顔を覗かせる狼の如き尾。

 腰まである赤い長髪がゆっくりと逆立つ。

『形態変化』

 エルザの身体に起こったソレは、まさしくそう形容するしかなかった。


 その光景を見たハミルトンは呻くように叫ぶ。


「ありえない……そんな、そんなまさか!? 聞いてない、聞いてないぞ!」


 獣人というにはあまりにも人間で、人間というにはあまりに魔性に満ちている。

 狼と人間を足して割ったような生き物エルザが、そこにいた。

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