第11話 【賢者】の称号


 割れた窓ガラスを背後に、リカルドはにこやかな笑みを浮かべながら椅子に座っていた。

 風属性の上級魔術〈ウィンドブラスト〉を食らってもかすり傷で済んでいるのは、かつて冒険者として活動していた時に獲得した数々の防御系スキルのおかげだろう。


「いやぁ、へし折るはずが逆にへし折られたとは俺も歳だな!」


 スキル【威圧】が解除されたことで受付のお兄さんもようやく目を覚まして慌てふためいていたがここでは割愛しよう。

 リカルドは俺がいきなり魔術で吹っ飛ばしたことに対して特に咎めるつもりもないようで「あれはよく考えたら俺が悪かったわ、いきなり仲間に【鑑定】を使う方がマナー違反だった!」と俺に謝ってきたので、お互いに非があったということで不問になった。

 窓ガラスは元々変える予定だったので気にしないでいいそうだ。

 何かと気性が荒い冒険者をまとめ上げている支部長らしい、豪胆な性格をしていた。


「それで、アンタらを呼び出した理由について話そうか。端的に言おう。教会から称号を剥奪されたと聞いているが、新しい【賢者】の選定式は失敗した。だから、【賢者】の座は空白のままだ」

「選定式が失敗した?」


 過去には勇者として相応しくない者から称号を剥奪されたこともあるらしく、次の勇者に相応しい人間を神に問うというものだ。

 その選定式が失敗したということは、神が教会が他に用意した人間をその称号に相応しくないとして任命を拒否したか、前任者に未だ称号があるかのどちらかになる。


「ああ、なんでも司祭の呼びかけにウンともスンとも言わなかったらしい。近々、勇者がアンタを呼び戻しに来るだろうよ」


 勇者ハリベルの顔を思い出すとズキズキと胸が痛み始めた。

 役に立たずと説教された五年間の日々がフラッシュバックする。

 エルザの大きい手が俺を落ち着かせるように背中を撫でたことで気が紛れた。

 落ち着きを取り戻し始めた俺を見て、リカルドが口を開く。


「そこで、だ。取引をしよう」


 俺の背中を摩っていたエルザの手が止まり、訝しむ視線がリカルドに向かって注がれる。

 身も竦むような鋭い翡翠の視線に一瞬だけリカルドが怯む。


「悪い話じゃないから睨むのはやめてくれ。なに、こちらとしても魔術師は希少なんだ。魔術師ギルドの連中はやれ『素材よこせ』だの『レポートと実験があるからその日は無理』だの使い勝手が悪い」

「まわりくどい、本題を話して」

「オーケイ。いいか、俺はカインを【賢者】だと思っている。そしてあわよくば冒険者ギルドの主力として抱え込みたい」


 そう言ってリカルドは俺の顔をじっと見つめた。

 品定めするような視線ではなく、確信に満ちた表情を浮かべているその目は、不思議とエルザを彷彿とさせた。


「スキル【鑑定】を使って分かった。アンタこそ神が定めたもうた【賢者】だ、アンタのスキルだって勇者が語っていたような無能スキルじゃない」


 ホラ吹きと断定するには、あまりにも真剣な顔つきだった。

 何故、そんなにも俺のことを【賢者】と確信できるのか理由が気になって、俺はある種の期待を込めて問いかける。


「リカルドさんの【鑑定】で何が見えたんですか?」


 昔、勇者ハリベルと一緒に受けた【鑑定】では、【導き手】は『運命に従い、勇者と共に在るもの』と告げられた。

 「強い一撃を放つ」や「相手のスキルの効果を理解する」というものでもなく、曖昧でどうとでも取れるものだったからこそ期待され、期待に応えられずに失望されたのだ。


「俺が見た限りでは、【叡智の導き手】という名称のスキルに変わっている。効果は『勇者を導き、寄り添うための力』という文章になっているな」

「【叡智の導き手】……? スキルが変わっている、なんて……」


 驚きのあまり、俺は言葉を失くして考え込む。

 勇者パーティーにいた頃、少しでも役に立とうと知識を蓄えるために読んだ本のなかでスキルが変わった事例が一つだけあった。

 ────封印。

 なんらかの方法で、スキルに制限をかけることだ。

 誰が、なんの理由で俺のスキルに封印していたのかは分からない。


 どういう経緯で封印が外れたのかも不明だが、それなら上級魔術が使えた説明ができる。

 これまでスキルに封印が施されていたから、中級の魔術しか扱えなかったのだ。


「カイン、大丈夫?」

「あ、あぁ……悪い、色々と衝撃的で考えが纏まらない」


 再び俺の背中を摩り始めたエルザ。

 不思議と服越しに伝わる体温が心地良くて、グルグルとしていた思考のスピードが緩まる。


 過去なんてどうでもいい、大事なのはこれからだ。

 今はエルザの為に頑張ろう。

 そう覚悟を決めると、悩んでいたことが馬鹿にみたいに小さなことに思えた。


「リカルドさんの言いたいことは分かりました。俺もしばらくは冒険者ギルドで活動を続けるつもりです。【賢者】の称号を剥奪された今、勇者や教会と関わりを持つ予定はありません」

「そうか、それならば話は早い。何か困ったことがあったら俺か受付のハミルトンに通してくれ。なるべく力になろう」


 話を振られた受付のお兄さんは慌てて頭を下げる。

 どうやら彼の名前はハミルトンというらしい。


 この後、予定があるということだったので俺たちは支部長室を後にして素材を冒険者ギルドで売り払った。

 宿屋までの道すがら、ぼんやりと考え事をしていた俺にエルザが話しかけてきた。


「カイン、嫌なことがあるなら逃げてもいいんだよ」


 それは囁くような呟きで、俺は思わずきょとんとして彼女の横顔を見上げる。

 エルザはふっと視線を逸らして、俺の肩を抱き寄せた。

 俺のすぐそばをガラガラと早いスピードで馬車が走り抜ける。


「歩道側を歩いて。御者席からは見えづらいから」

「あ、ああ、わかった」


 いつもと変わらない距離……のはずなのに、何故かこの時ばかりは妙に近いことが気になって、俺は無意識のうちにエルザの服の裾を掴んでいた。

 その事に気がついたのは宿屋の前に到着して、宿屋の代金を支払うときになってからだった。

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