第8話 ガイストス博士


 冒険者ギルドで登録を済ませ、王都で一泊した次の日。


 俺たちは、性転換をするきっかけになったダンジョンコアを修復できる人材を探してとある場所を訪れていた。

 ガイストス研究所は王都のなかでも外壁に近い場所に建物を構えていた。

 俺はエルザと一緒に地図を確かめながら、建物の看板を見て呟く。


「「ここが、ガイストス研究所……」」


 研究所の前を歩く人はなく、鬱蒼と茂ったツタに覆われている。

 明かりが付いているので、建物内に人がいることが伺えた。

 開けっ放しの門を潜り、建物の正面玄関の前に立ち止まって扉を三回、とんとんとん、と叩く。


「ごめんください、ガイストス博士はいらっしゃいますか?」


 返答を待つが、耳を劈くような沈黙が聞こえるだけ。

 首を横に振って立ち去ろうとすると、エルザが掌で俺を止めた。


「いや、声が聞こえた。すぐに来るよ」

「え? そうなのか?」


 特に切羽詰まった予定はなかったので、とにかくエルザを信じて待つことにした。

 待つこと数分、扉を開けて外を覗いたのは杖をついた老人だった。

 銀縁の眼鏡を掛けた、優しそうなお爺さんである。


「大変長らくお待たせして申し訳ない。なにぶん、足が悪いものでして……」

「いえいえ、こちらこそ予約もなく訪問して申し訳ありません」

「構いませんよ。立ち話もなんですから、どうぞ中へ」


 ここに来る前、「私は詳しくないからカインに任せる」と言っていたエルザ。

 静かに扉を押さえて、先に中へ入るよう視線で俺に促す。

 これが“レディーファースト”ってやつかと思うと、なんだか少し恥ずかしい。


「ありがとう、エルザ」

「ん、別にこれぐらい普通だし」


 微かに頰を染めたエルザ。

 そういえば、昔からエルザは褒められるとすぐに顔に出るのだ。

 本人は気づいていないらしく、視線を逸らすだけで顔を背けることはしなかった。


「こちらの応接室までどうぞ」


 老人に案内されたのは、質素な白布がかけられたソファーとテーブルが置かれた応接室だった。

 調度品の類はなく、テーブルの上に置かれたペンと台座が目を引く。


「私がここの責任者である、ガイストス・ヒューバートと申します。それで、若いお二人のお名前をお伺いしてもよろしいかな?」


 向いの椅子に座ったガイストスに、俺たちはまず自己紹介をすることにした。


「俺の名前はカインと申します。見た目は女の子ですが、数日前までは男でした」

「エルザです。同じく、数日前までは女でしたが今では男になっています」


 ガイストスは目を丸くして、眼鏡を指で押し上げた。

 彼は興味深そうに俺たちの顔を見る。


「今回、博士の研究所を訪ねたのはとあるダンジョンコアを修復するか、仕組みを解読してほしいからです」


 丁寧に布で包んだダンジョンコアをテーブルの上に乗せて、ガイストスに見えるように移動させた。

 ガイストスはじっとダンジョンコアを観察してから、また俺たちの顔を見た。


「なるほど、確かにこのダンジョンコアは既知の模様と大きく異なっている。お二人の異変にこれが関わっているのでしょう?」

「はい、その通りです」

「ふむぅ。総力を挙げて解析してみますが、ご期待に添えるか分かりません」


 やはり、この王都で最もダンジョンコアに詳しいと言われているガイストス博士でも解析の見通しが立てられないらしい。

 もしかして、と期待していたので少しだけ落胆してしまった。


「一ヶ月ほどお時間をいただけますかな。それと、お二人の異変も調査させてほしい。私はダンジョンコアなどの魔導工学が専門ですが、医療魔術協会の協力があれば解析の結果を待たずして元に戻れる手段が見つかるかもしれません」

「俺たちに出来ることであれば。よければダンジョンコアも預かってください」

「おお、ありがとうございます」


 それから、ガイストスは懐から虫眼鏡を取り出してダンジョンコアの観察を始めた。

 一心不乱にぶつぶつと呟く様は『博士』という肩書きに恥じぬ真剣さと情熱があった。


「むむ、やはり魔物たちが信仰している魔神の聖印とは一致しませんな。となると、既に滅んだ魔物種か魔族の崇拝する魔神かもしれぬ。ぐるぐるとしているのは、まるで蝸牛かたつむりのようだ。……失礼だが、このダンジョンコアはどこで?」


 いきなり話しかけれたので、俺はびっくりしてしどろもどろになりながら質問に答える。


「俺たちの村の、パイポカ村の近くです」

「ふむぅ……パイポカ村ですか。おっと、失礼。ついうっかり客人がいることも忘れて観察しておりました」


 虫眼鏡を懐にしまい、ガイストスは俺たちに非礼を詫びてきた。

 高圧的な魔術師ギルドの連中とは大違いだ。


「いえいえ、なにか分かりましたらご連絡ください。冒険者ギルドでしばらく活動しておりますので」

「分かりました。冒険者ギルドに言伝を頼むことにしましょう」


 これ以上は話すことがないと判断し、俺たちはお暇することになった。

 ガイストスに見送られながら、これから仕事を得るために冒険者ギルドへ向かう。


「解析を引き受けて貰えてよかったね」

「ああ、断られると思ってたが医療魔術協会に協力してもらえるように取り計らってもらえるとは」

「それにしても、あのダンジョンコアって本当になんなんだろうね」


 エルザの話に、俺は考え込んでしまった。


 ダンジョンコアを内に内包した空間のことをダンジョンと呼称する。

 内部には、ダンジョンコアを守るための罠や番人となる魔物がいるはずなのだが、俺たちの村の近くにあったダンジョン内には、魔物の気配どころか罠の一つもなかった。


「分からん。とにかく今はガイストス博士に任せて、俺たちは冒険者の仕事に集中しよう」

「そうだね」


 医療魔術協会に頼るにせよ、ガイストス博士の解析を待つにせよ、金を稼いでおいて損することはないはずだ。

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