第5話 小悪魔先輩との出会い。

 幼馴染が引っ越してから一年と少し。新しいクラスになったものの、相変わらず馴染めることはない。最初こそ少し話してみても、やっぱりすぐに疎遠になって。グループが出来上がっていった。俺が入る隙間はどこにもない。


 おかしいよな。あいつがいた頃は、友だちと言えるような人もそれなりにいたと思うのに。それはいつでも溌溂として、みんなの人気者だったあいつがいたからだったのだろうか。俺はいつでもあいつのおまけでしかなくて。みんなからすれば冴えない邪魔者でしかなかったのだろうか。


 少しだけ、寒いな。

 そんなことを思った。両手で身体を包んだ。脚を前に進めるのが、以前より大変になった気がした。


 学校に行くのも、億劫になりつつあった。


 そんな時だった。

 先輩に出会ったのは。


「くっそ、いきなりこんな降るかぁ……!?」


 最寄りの駅を出てすぐ、ゲリラ豪雨に見舞われた。このときの俺は準備よく折り畳み傘など持っているはずもなくて。慌てて公園の東屋に飛び込んだ。


「止むまでここで雨宿りだな……」


 降られたのは数分にも満たないだろうに、びしょ濡れだ。せめてハンカチで拭こう……と思ったがそれすらない。一人暮らしなんて始める前は、毎日親に持たされたのに。エチケット違反にもほどがある。

 一人暮らしを始めたのも、今では何の意味があったのか分からない。


 途方に暮れるが出来ることがあるわけでもなかった。適当に、ベンチの端へ腰かける。


 それからまた、一分くらい。


 小柄な女の子が先ほどの俺と同じように東屋へ駆け込んできた。状況は予想がつくし、親しみの情さえ湧きそうだが、いかんせん気まずい。


「あ~もうびちゃびちゃだよぉ……。雨とか聞いてない~」


 ほんとそれな。天気予報仕事しろよ。いや、見てないけど。


 目を逸らして縮こまりつつ、心の中で相づちを打つ。


「あれ、きみ……」


 しかし、バレた。存在感を限界ギリギリまで消していたはずなのに。相手もかなりの手練れであるらしい。


 見つかってしまったものは仕方ないと、少女の顔を初めてはっきりと見る。


「あっ……」


 ふいに、雨にかき消されるくらいの小さな声が漏れてしまった。


 俺はその少女を知っていた。名前はたしか、浅香ののか。毎朝同じ駅、同じ時間に電車に乗る。帰りもけっこう見かける。


 明るいブラウンのゆるふわな髪。小さくて整った顔立ち。くりくりとしていて可愛らしい瞳。すべてが、この世の可愛いをかき集めたみたいな容姿。


 学園では超絶美少女だと噂の先輩だ。俺とは一切関りのない存在。


 同じ電車に乗っていたのなら、この状況も道理ではあるだろうか。お互い不運だったと言わざるをえない。


 しかして。俺の視線はとある一転に釘付けになる。


(やっぱでかい……てか濡れてて……ヤバいがヤバい)

 

 そう、胸! おっぱい! 小さな身体に見合わないそれはこちらへ視線を向けた彼女の動きに合わせてぷるんと揺れた。その上、雨に濡れて制服が張り付き、透けている。下着が見えていしまいそうだ。


 見てはいけないものを見た。俺は慌てて視線を切る。


 しかし彼女はあろうことか俺のすぐ隣に腰を下ろした。


「ねぇねぇ、今見たよね? 見てたよね?」


「……見てないです」


「そうかなぁ。ちょっとくらいなら、見てもいいんだよ? 怒らないよ?」


 ほらほらと先輩は身体を揺らす。そんあ姿を視界の端に捉えて、俺は思わず口をついてしまった。


「……いや、ダメでしょ。そういうのは少し、どうかと思います」


「ぷぅ。キミに言われるようなことじゃないと思うけど……でも、そうだね。うん。ごめんね?」


「あ、いやべつに謝ったりとか……その、俺もすみませんいきなり。ただ、自分の身体は大切にして欲しいなって。なんつーか、……せっかく可愛いんですから。俺なんかに見せるにはもったいないですよ」


 しどろもどろに言うと、先輩はやけに神妙な様子でうんうんと頷いていた。俺に合わせようとしていたのか、彼女なりに俺の言葉を理解しようとしていたのかは分からない。


「濡れちゃったね、お互い」


「そっすね。雨、ヤバいっすね」


 適当、かは定かでないが相づちを打つ。


 それから直後、小さなタオルが俺の頭に被せられた。


「えっ……?」


「風邪引いちゃうよ? ののかが使ったやつでごめんだけど、拭いてあげるね」


「はぁ……」


 にこりと笑って、頭を拭いてくれる先輩。


 今、失礼なことを言ったばかりだというのに。なぜこんなことをするんだろう。異性の、しかも年上の考えることなんてさっぱりだ。


「ありがとうございます」


「うんうん♪ どういたしまして♪」


 お礼は言わなきゃなと思って、形式的な言葉をつぶやく。先輩はやっぱり嬉しそうに笑った。その表情にはあまり形式っぽさがない。


 俺の頭を拭くために立ち上がっていた先輩はやっぱり俺の隣に腰かける。それから少しだけ擦り寄った。距離が近い。しかしこれが、彼女にとっての普通の距離感なのかもしれない。


「ねね、お話ししよう? ののか、キミのこと気になってたんだぁ」


「は? 俺のこと?」


「だってさぁ、いっつも電車一緒だから。仲良くなれたら楽しいかなって♪」


「ああ、そういう……」


 こっちが気づいていたんだ。いくら相手が世界の違う人間とは言え、こちらにだって気づいていてもおかしくない。


楠才加くすのきさいかくん、だよね。さいかくんって呼んでもいい?」


「まぁ、ご自由にどうぞ」


 どうせ今だけの関係。雨が上がるまでの暇つぶし。気になっていたと言っても、彼女にだってこんな機会がなければ俺に話かけることもなかっただろう。


「あ、ののかは浅香ののかだよぉ。3年生だから、年上のお姉さんだよ?」


「知ってます」


「ほんとに? うれしいなぁ♪」


 それから、先輩の笑みにつられていくらか雑談をかわした。それはなぜか、とても心穏やかな時間で。思えば、実家に帰った時以外にこんなに人と話すのは久しぶりで。


 気づけば、あまり人に言わないような自分のことまで口にしていたかもしれない。


 たぶん、一葉のこととか。彼女が今は遠くの街にいることとか。今が、少し寒いと感じることとか。


 そうして、どれくらいの時間が経っただろう。なかなか雨は止まなかった。


 そのうち、年上の可愛い先輩と一緒の空間に居続けることが恥ずかしくなってきて。俺は立ち上がる。


「先輩。ちょっと待っててください。俺の部屋わりとすぐなんで。傘取ってきますよ」


「え? え? だ、ダメだよまた濡れちゃうよ?」


「絶対戻ってきますから!」


 雨の中を駆け出した。


 それから10数分後、だろうか。


「はぁ……はぁ……どうぞ。これ、使ってください」


 全力疾走で往復して戻って来た。


 待ってくれていた先輩に傘を差し出す。それは俺がここへ戻ってくるまでにさしていた傘だ。そう、傘は一本。それが誤算だった。一人暮らしの部屋には自分の傘しかなかったのだ。


 どこかコンビニで買おうかとも思ったが、さらに先輩を待たせることになる。


 だから俺はそのまま、先輩に傘を託すことだけを考えて走った。今思えばなぜこんなに必死になっていたのか分からないが、この時の俺は疑問に思う余裕もなかったのだ。


「いいの? これ、一本しかないんじゃ……」


「はは、大丈夫っすよ。ほら俺、もうさっき家まで走ってびしょ濡れですし。また走って帰ります」


 せっかく拭いてもらったのに申し訳ないとは思うが、仕方ない。


「それじゃあ、これで」


 すぐさま背を向けて走り出す。


 心は晴れやかだった。こういうのも、悪くないと思えた。


 しかし――――


「まって!」


「ぐえっ!?」


 俺は他でもない自分の傘によって引き留められる。それをしたのはもちろん、今の所持者である彼女――浅香ののかだ。


「な、何するんですか!?」


「ご、ごごごごめんねっ!? 引き留めようとしたら思わず~!」


 言いながら先輩は俺の隣に並ぶ。そして微笑んだ。


「ほら、傘がひとつしかないならこうすればいいよね? 一緒に帰ろう?」


「え、いやその……」


「いいからいいから。ののか、もうさいかくんのこと離さないよ?」


 先輩はぐいっと腕を絡める。お互いにびしょ濡れで冷たく、あまり気持ちのいい感覚というわけではなかったが、女の子の身体だと思った。


「……だめ、かなぁ?」


「っ……あーもうわかりましたよ。遠回りでもしりませんよ?」


「うん♪ ありがとぉ。さいかくんは優しいね♪」


 その笑顔が眩しくすぎて、俺は目を逸らした。


 それから結局ふたりで並んで歩き、ひとつの傘で雨をしのぎ、先輩は俺の部屋にまで入ってきた。それから順番にシャワーを浴びて、お礼とかなんとか理由をつけてご飯を作ってくれて。その日から俺たちの関係は……関係は、なんだろう。少なくとも違う世界の住人同士ではなくなったのかもしれない。


 それが小悪魔先輩とのなんてことない出会いだった。


 回想を終え、ごとんっと缶コーヒーが自販機から排出される。


 それを取りながら、思った。


(……今は、寒くないな)


 冬だから。雪が降っているから。もちろん身体は寒いけれど。でも、心は寒くない。


 幼馴染のいないこんな世界でも今はそこそこ楽しい。温かさがすぐ傍にある。


 今度、何かお礼でもしようか。お礼をするのは俺の方らしい。


「先輩、どうぞ」


「ありがとぉ。あったかーい♪」


 先輩はほっぺに缶を付けて暖を取る。幸せそうな顔。俺まで和んでしまう。


「それ飲んだら帰りますよ。マジで風邪ひきます」


「はーい。もちろん相合傘で、ね♪」


「はいはい」


 コーヒーを飲んで、とりとめのない雑談を交わして、心も身体もポカポカとした。


 運命とかは、やっぱり知らないけれど。それでも大切な出会いであったことは間違いないのだろう。


 日常となった特別な日々がゆっくりと過ぎてゆく。


 それは彼女が卒業するまで続くのだろうか。あるいはそれ以降も……?

 そうしていつか、幼馴染が帰ってきたら……どうなるんだろう。


 今だけは、2人で並んで歩くこの瞬間が大切な気がした。




〜〜〜〜〜〜



 ひとまず、これで完結とさせていただきます。ご愛読ありがとうございましたm(_ _)m

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俺には幼馴染の許嫁がいるのにあざと可愛い小悪魔先輩が篭絡しようとしてくるんだが!? ゆきゆめ @mochizuki_3314

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