第4話 小悪魔先輩は温かい。

「うわ、マジかよ……」


 最後の授業の終わり際、誰にも聞こえない程度に呟く。窓の向こう、視界の先では白銀が舞っていた。昼休み以降、さらに気温を下げたかと思えばついに初雪を降らせるに至ったらしい。


 授業が終わるとすぐに帰り支度を済ませて教室をでる。スマホにはいつものようにメッセージが届いていた。


「うぃー、さっぶ……昼とか比較になんねえわ……」


 風の吹き抜ける下駄箱付近は校内のどこよりも寒い。わしわしと両手で身体を擦りながら少しでも暖を取る。せめて手袋くらいは欲しいな。それから先輩も撒いていたみたいなマフラーでもあれば首元の寒さは防げるだろうか。とか言っても、結局買わないんだよなぁ。要するに耐えていれば冬なんてすぐに過ぎ去るのだし。お金をかけることもない。


 そんなことを考えていると、聞きなれた足音が耳を打った。どうしてわかるんだろう。駆け足気味のその足は弾んでいて、しかし軽やかで、放課後すぐに帰ろうとしている帰宅部たちの中では聴き分けやすいのかもしれない。


 彼女は俺の元までやってくると上目遣いにこちらを見る。


「おまたせ、さいかくん。待った?」


「いえ。それよりお疲れ様です、先輩」


「うん。さいかくんもお疲れ様~♪」


 毎回のやり取りにもすでに慣れてしまった。


「それにしても、降りましたね……」


「いつもよりずいぶん早いよねぇ。電車大丈夫かなぁ」


「さすがにまだ大丈夫でしょう。問題は明日じゃないかと」


 雪国育ちだと、それが積もる雪なのかそうでないのかは見ればある程度わかる。今日の雪はまだ粉雪のようなものだ。ひとつひとつの結晶が小さい。だから積もっても足元を少し鳴らす程度のものだろう。今すぐにどうこうなるものではない。


 問題は夜にかけてどの程度の降りになるのかだ。


 そうは言っても、即席でスマホの予報を見た限りでは大丈夫そうだった。今日明日にかけて少し振る程度で、その後はむしろ少し暖かくなるようだ。


「じゃあじゃあ、積もった時のために今日はさいかくんの家でお泊りだね♪」


「いや、なんでそうなるんですか。大人しく帰ってくださいよ」


「え~なんで~。明日雪がぼかーんて積もるでしょ? 電車止まるでしょ? 学校行けないでしょ? それどころかお部屋出れないでしょ?」


 先輩はふわっと背伸びして、俺の耳元に口を寄せる。


「明日一日、ふたりっきりになれるね。なんでもしほーだいだよ♡」


「バッ、そ、そんなわけないでしょう!? もし本格的に降るようならそうなる前に俺が送り届けますから! ほんと帰ってくださいって!」


「え~ざんねーん」


「ていうか、もしそんな状況になったとしてもせいぜい二人で朝から晩までゲームしてるくらいのもんでしょ。何も色気のあるようなことなんか……」


「あれ~さいかくん何を想像しちゃったのかな? ののか、何でもし放題って言っただけだよ?」


「んなっ……っ」


 ぺろっといたずらっぽく舌を出す先輩。


 この小悪魔は……っ!


「っ……と、とにかくさっさと帰りますよ。今日は来るにしても早めに帰ってください。ちゃんと送りますから」


「はーい。お家に彼女を送り届けるまでがデートだもんね~。嬉しいなぁ」


「デートじゃありません」


 言いながら、バッグの中を漁る。折り畳み傘があったはずだ。雪とはいえ、あった方がいいだろう。


 しかし隣を見て気づく。


「あれ、先輩傘は?」


「あはは……忘れちゃったぁ……」


「はぁ? なんつーか、あんときと似てますね」


「あ、覚えててくれたんだ。でも今日は初めから一本、あるね?」


「ですね……」


「いれてくれる……?」


 また、あざといとしか言いようがない上目遣い。渋々と、俺は傘を広げた。



「わぁいさいかくんと相合傘~」


「ちょ、あんまくっつかないでくださいよ……」


 堂々と腕を絡めてくる先輩。傘に入るためという建前があるためか、ここぞとばかりに物理的な距離を縮めてくる。


 俺は半歩それを避けつつ、傘を先輩側へ傾けた。


「あ~ダメだよぉそれじゃ濡れちゃう~」


「いや濡れてないでしょ。すっぽり傘に収まってますよ」


「ぷぅ。そうじゃなくって~、えいっ」


「うわっと……!?」


 ぐいっと引き寄せられる。暗に小さいと言ったのことでご機嫌を損ねたらしい。


 いやしかしそんなことよりも。


 でけえ!? やっぱでけえって! ぜんっぜんミニマムじゃねえから!? 


 コートの上からでも大きさが分かるのだから押し付けられればそりゃあヤバい。ヤバいがヤバい。


 つい昨日は薄いYシャツ越しで押し付けられた気もするがそんなことは関係ない。やはり思春期男子に慣れなど存在しないのだ。おっぱいが押し付けられるだけで脳内カーニバル。


「にゅふふ」


「……なんすか」


「ん~? なんでも~?」


 先輩は素知らぬ顔でさらに身体を押し付けた。むにっとした感覚に襲われて、頭がそればかりに支配されそうになる。


 俺また先輩から半歩距離をとった。今度はちゃんと二人ともが傘に入れるギリギリのライン。これなら文句はないだろう。


「あの……先輩?」


「なぁに?」


 ごろごろと甘えるかのように先輩は顔を俺の腕に擦り付けてくる。


「今はまぁ、一億歩譲っていいんですけど」


「うんうん」


「昨日みたいなのは少し……控えてもらえると助かります」


「昨日って~?」


「いや、わかるでしょ。通話の時のですよ」


 通話中、しかもその相手が一葉の時にあれはマジで勘弁してほしい。しかし先輩はまたぷくっと頬を膨らませた。それから子供みたいに「だってだって」と言いながら顔をそむける。


「……寂しかったんだもん。ののかがいるのに他の女の子と通話するさいかくんが悪いと思います」


「いやまぁそれは……押しかけられている身としては謝った方がいいのか微妙なとこの気がしますが……。とにかく、通話中にも関わらずその……先輩はスキンシップ? みたいなのが激しすぎます。俺と一葉は一応許嫁なんすよ」


「でも、一葉ちゃんとは付き合ってるわけじゃないんだよね?」


「はぁ……それは、そうではありますけど」


 結局いつかはそうなるのかなとか、そうならなくても問題ないのかなとか。実際その程度のものではある。所詮、ただの親同士の口約束。俺と一葉は巻き込まれているだけと言ってもいい。


 しかしそう思うと少しだけ、心が寒いような気がするのはなぜだろう。


「付き合ってないなら、問題ないと思うな♪ だから、ね♪」


 また、擦り寄るように引き寄せられる。それはたぶん、恋人同士くらいの距離。先輩といると、心が温められるような気がした。


 最寄りの駅で電車を降りると、先輩の提案でとある場所へ寄り道をすることに。雪が降っているのにとも思ったが、不思議と拒む気にはならなかった。


 それはお互いの家への帰り道途中にある小さな公園。その東屋だ。


「ここだねっ。ののかとさいかくんの運命の出会い!」


「……運命かは知らないっすけど、まぁそっすね」


「ののかは運命にしたいなって思うんだけど、ダメかなぁ?」


「いや、だからその……っ」


 毎回毎回、その上目遣いは反則だ。しかも今回は涙目まで浮かべている。そんな表情をされたら無下になど出来るはずもない。運命など信じていなくとも、男なら誰でも頷くだろう。


 そんな状況。俺の行動と言えばこうである。


「さ、寒いっすよね! ちょっとそこで飲み物買ってきますよ! 先輩はそこの東屋でお待ちを!」


「あ、ちょっとさいかくーん……」


 三十六計逃げるに如かず! これに限る。まずは形勢を立て直すのだ。


 先輩を残し、俺は駆け出した。


「ふぅ……」


 適当に、先輩用の甘そうな飲み物と自分のコーヒーを購入しよう。


 ひとりになると途端に思考はクリアになった。この白銀の世界も、ほどよく作用しているのかもしれない。冷たい風は熱くなった頭をクールにしてくれる。


「出会いの場所、ね……」


 あれはたしか、今年の梅雨前。予報のない豪雨に見舞われた日のことだった。

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