藤の孤島宝物殺人事件

@mayoinu

第1話

 探偵・志賀野は、助手の渉太を連れて海の上にいた。廣部グループ前社長が離島で宝探しをするため、ボディーガード代わりに呼ばれたのだ。

 船には探偵らの他に、三人の宝探し参加者が乗っていた。

「せっかく髪型セットしてきたのに」

 巻き髪を押さえているドレスの女は下田。

「君は最初からそれくらい派手な髪型をしていたよ」

 船の縁に腕を掛けて嫌みを飛ばしているのは前山。シンプルかつ洒落た格好をしている。

「いいかげんにしなさいよ。嫌われるわよ、マウント取らないと気が済まない男!」下田が噛みつくように怒った。

 島行きの船に乗ってからというもの、この二人はとにかく喧嘩が絶えない。志賀野と渉太は、その様子を遠くから見守っていた。

そんな喧嘩している男女へ近づいていく男がひとり。

「どちらか、煙草持ってません?」

 人差し指と親指を擦り合せながら前山に声を掛けたのは春本。ヨレヨレのシャツを着ている。

「あいにく僕は吸わないよ。女性に嫌われちゃうんでね」

 前山は下田をチラリと見た。

「あんた吸うにしてもあっちの風下にしなさいよ。この服高いの」

 下田は春本に釘を刺した。前山が、下田の服を見る。

「ローンで買ったのかい。可哀想に。僕が全額払ってあげよう」

「お構いなく! やんなっちゃう、なんで分かるのかしら」

 下田は小声で言ったつもりだろうが、前山は耳聡く聞いている。

「君の教養のない口調から給与が安いのは予測できるさ。まっ、僕は女性に知性を求めるタイプじゃないよ」

「口閉じて。私、優しい男が好きなの。彼みたいな」

 下田の指が志賀野へ向けられる。ずっと傍観していた志賀野は慌てて背筋を伸ばして前髪を直す。

「照れるな、褒められ慣れてなくて」はにかむ志賀野を、渉太がニヤニヤ見てくる。

「さすがモテますね、イケメンは」

「からかわないでくれよ。こんなボロ着の私より、彼の方が余程、お金持ちで魅力的だろう。彼女はちょっと、彼と喧嘩してるだけさ」

「こういうところよ、あんた」下田は前山を睨め付ける。前山が大きな舌打ちをした。


 船が島に着いて、全員が降りる。見渡す限り藤の花が広がっている。離島の持ち主である廣部が、荒れた無人島を購入して、いちから藤を植えたという。

「圧巻ですね」渉太は楽しそうに見回している。

春本は、鞄から一眼レフを取り出して藤の花畑を撮影し始めた。

「あんたマスコミか」前山が訝しんでいる。

「雑誌記者やってます。貴方たちも良い話があれば、言い値で買いますよ? ひひっ」

「カメラで撮るのは構わないが、俺は映らないようにしてくれよ。こんなのに参加してるって知られちゃ困るんだ」

 前山が苦い顔をする。

「社長さんが、宝に賭けるほどお金に困ってるなんて知られたら、そりゃあ困るわよね。あんた、どんどん撮っちゃいなさい」

 下田は鬼の首を取った様に言う。

 小道の向こうから、中年のメイドがやってくる。

「ようこそいらっしゃいました。メイドの大盛といいます。以後何か用がありましたら、私に言いつけてください。では、どうぞこちらへ」

「スレンダーなあなたに、その名前は不釣り合いだ。良ければ僕と同じ名字になりませんか?」

 前山が大盛に言うと、見境がないと下田が非難した。

 笑いをこらえている渉太を志賀野がつつく。

「こら、笑っては悪いよ。とりあえず外ではなんですし。上がらせて貰いましょう」

 屋内は靴を履いたまま上がる西洋造りだ。メイドに促され、天井の高いロビーを進んで大広間へ通される。そこにはすでに、老人がソファーに座っていた。

「ようこそいらっしゃいました。皆さん、船で来られてお疲れになったでしょう。夕飯までここで、おくつろぎください。そうだ、自己紹介をしておきましょう。私はこの家の主、廣部元太郎と申します」

 廣部の声は深みがあり、聞く人を落ち着かせるようである。

「私はあなたの父方のお爺さんの孫の孫。下田絵里よ。よろしく。お宝は私がいただくから」下田は廣部を見て言う。

「僕はあなたの叔母のひ孫。彼女より血縁的には近いから、宝は僕がいただくのにふさわしい」前山は下田をちらりと見やってから言う。

「俺はあなたの父の不倫相手の娘の孫です。おや? 一番血縁が近いなんて、嬉しい限りですよ。まあ、お宝の写真さえ撮れれば、俺は構いませんがねえ」

 春本が言う。最後に廣部が、志賀野と渉太の方に手を向ける。

「そして彼らは、私が依頼した探偵さんたちです」

「探偵なんて聞いて無いわ。親族でもないのに」

「そうだそうだ。辞退しろ」

 下田と前山が強い口調で言う。

 春本だけは、早くお宝が拝めそうだと嬉しそうにしている。

「違います僕たちは」慌てて渉太が首を振る。

「私たちは宝探しには参加しません。ゲームの進行を見届けに参りました」

 志賀野がそういうと、前山も下田も納得がいったようだ。


 廣部が自室に下がり、志賀野たち客は、ソファーに座ったまま大広間でくつろぐ。

「皆さん、廣部さんの遠縁でいらっしゃったんですね」

 志賀野が話題を振る。

「ええ。さっきは探偵さんが来てるなんて思ってなかったものだから、取り乱してごめんなさい」

 下田は先程と打って変わって穏やかな口調だ。

「いえいえ、構いませんよ」

「それにしてもイケメンね。そこの君も可愛い」

「えっ! いやっ、その! ……どうも」

 慌てながら渉太は頭を下げた。

「彼女はやめておいた方が良い。ブランド物に目が無いようだからね。君たちみたいな貧乏人には養えきれないよ。僕くらい金持ちでないと」

 前山が身振り手振りを加えながら言う。

「あんたの会社って前山うんちゃらって」

 下田がぼんやりとした物言いをする。

「前山フューチャリングコンサルタント。企業に夢を届ける仕事さ」

「つぶれそうよね。知り合いたちから最近よく聞くわよ。負債が数億とか。お宝が数億円する物だと良いわね。まあ、私がいただくけど」

「けっ! ……で、あんたは」

 前山が春本の方を見る。

「私は明日食べるものにも困ってますよ、ひひっ! まあ、お宝が手に入らなくてもね。記事にさえできれば、暮らしてはいけますって」

 下田と前山が、可哀想な物を見る目で春本を見た。

「お宝手に入ったら、写真くらいは撮らせてやるよ」

「惨めすぎて涙も出ないわ」

 明るいとはいえない談話をしているうちに、メイドの大盛が食事の準備ができたと告げに来る。

 食堂にはステーキが並び、ソースの香ばしい香りが広がっていた。廣部も来ていて、全員が席に着くと、厨房からコック帽の大男が出てくる。

「シェフの戒田と申します。こちら、和牛を使用したステーキです。ミディアムレアにしておりますので、もっと焼きたいという方はおっしゃってください」

 戒田は、そう言うとすぐに厨房へ下がっていった。

「愛想ない奴で、すみませんね。料理の腕は確かですから」

 廣部が食べ始めるのを見て、招かれた者たちも食べ出す。志賀野はナイフで大きめに切ると、フォークで刺して口の中に押し込む。肉はとても柔らかく、少し噛んだだけで肉汁があふれ出す。

「うまっ! はふっ!」

志賀野は次々とステーキを頬張る。隣の渉太なんて、ステーキに齧りついている。

「んーんまい!」

 口元を袖で拭う渉太の斜め向かいで、春本も無言で肉を貪り食っている。肉汁やソースがテーブルにこぼれてもお構いなしだ。

 対して、下田と前山は肉を一口大に切り、丁寧に食べている。がっついて食べる貧乏人たちを、哀れみの目で見ながら。

 スープやデザートも運ばれて、全員の皿は、すぐ空になった。志賀野は手を合わせる。「おいしかったです」

「初めてあんな柔らかいお肉食べました」

 渉太は廣部に向かって興奮気味に言う。

「舌が肥えてしまいましたね、ひひっ!」春本の顔色も心なしか良い。

「ごちそうさま。ほんと、騒がしい人たち」「いい食べっぷりだったよ。ごちそうさま」

 上品に食べていた二人はカトラリーを同じ位置に置いた。志賀野はあれが正しい作法なのだと思い、そっくり真似てみる。

「皆様のお荷物は使用人共が部屋に運びましたので、後は各自勝手に過ごされてください」

もちろん、宝探しをしても。そう廣部は告げた。

「さっそくお宝、探し出してみせるわ」「負けてられないね」

「俺はお二人の様子を交互に見させていただきますかね」

 宝探しの参加者は、揃って立ち上がった。

「干支のネズミみたいに、牛の背中に乗って最後にひょいっと一番乗り。ってことは止めてくれよ」

 前山が春本に釘を刺す。

「へへっ、そんなこと。へへっ」

 三人が大広間を出て、散っていく。

「では廣部さん、私たちは三人をさり気なく監視してきます」

「頼みます。トラブルや事件は避けたいのです。平和に財産を譲与したいのですから」

 廣部が言う。

「生前贈与……。いいのですか、まだ若いでしょう」

 廣部は初老といった感じに志賀野には見えた。ヨボヨボの老人ではない。

「十分じじいですよ」廣部は顎髭を蓄えた口元を緩ませる。

「あの宝だけは、私が生きている内に誰かに渡しておきたいのです」

「ずいぶん、大切なものなんですね」

「ええ、命の次に」

 廣部の眼差しに、志賀野は強い意思を感じた。

 そして、志賀野と渉太も大広間を出る。廊下の向こうを下田が、うろうろと彷徨っている。探偵と助手が下田へ近づくと、書庫の扉が開いていて、春本が本を食い入るように見ていた。

「凄い本ばっかりだ。ひひっ、ただで読み放題」

 春本の様子を見た後、志賀野はそのまま遊戯室へ向かう。遊戯室の扉を開くと、前山が慣れた構えでダーツの的を狙っている。

「ほっ! まあまあだな」

 ダーツの矢は中心の円から外にひとつ外れたところに刺さった。

「お見事です」志賀野が拍手を送る。

「おお、随分遠くから見ているな」

 前山が驚いたのも無理はない。遊戯室の壁面に設置されているダーツから一番遠いところにある椅子に、志賀野は腰掛けていたのだから。

「この椅子、固定されているようで」

 もうひとつ、ダーツから近い所にサイコロのような立方体の椅子があったのだが、座ってみて驚いた。「そっちの椅子は金属製ですよ」

 間違えて座らないように、と志賀野は金属塊を指さす。

「本当だ。この部屋、どうもおかしいな」

 前山はあたりを見回す。

「この部屋にお宝があるんですかね」

 なんとなく、志賀野は呟いた。貧乏探偵の勘でしかないが、前山は納得がいったようだ。興奮気味に「他の二人には言わないでくれよ」と念を押してくる。

「だそうだ渉太。しー、だぞ」

志賀野が口元に当てた人差し指が、渉太に叩かれる。「小さい子供じゃあるまいし」

 そのまま前山は何かを見つけるでもなく、下田と春本も特に進展はないようで、志賀野と渉太は全員が各自部屋に籠もったのを見届けてから自らも眠りについた。


 朝になっても寝起きの悪い探偵は夢と現実の狭間を行き来していたのだが、絹を裂くような悲鳴に起こされる。志賀野は飛び起き、パジャマ姿のまま廊下へ出ると、同じ様に前山が顔を出している。「なんだなんだ」

「どうしたんでしょうか」寝癖のひどい渉太が、志賀野の後ろから出てくる。

「あっちだ」三人は声の方へ駆けつける。廊下の角を曲がると、遊戯室の入り口でメイドの大盛が座り込んでいる。その表情は凍り付いていて、尋常じゃ無いものを感じさせる。

「どうしましたか!」

 志賀野が駆け寄る。

「は、春本様が!」

 遊戯室の中で、春本が倒れ込んでいる。渉太が駆けよって体を揺すり、志賀野は呼吸と脈を確認して首を横に振った。「冷たくなっています」

「嘘だろう。昨日まで無駄口叩いてたじゃないか」

 前山の肩が震えていた。

渉太は遺体の頭部を指して、傷があるという。

「渉太も気づいたかい。この裂傷。周囲にぶつけた痕跡はない。明らかに他殺だ!」

志賀野は警察を呼ぶようメイドに声を掛ける。

「この屋敷は電話がないんです」

「なんと!」

廣部は世間との関わりを一切絶っていたのだ。スマホも圏外になっている。

「帰りの船を待つしか無いのか!」前山が怒鳴る。

「明日の午後には本島から船が来ます。……下田様は大丈夫でしょうか」

 メイドの言うとおり、下田の様子が見えない。全員で、慌てて下田の部屋へ駆けつける。

「下田さん! 下田さん起きてますか!」ドアに向かって声をかける志賀野。

「無事ですか!」渉太も声を掛ける。

「生きてるかい!」前山はドアを叩く。扉がゆっくりと開かれて、全員飛び退いた。

「うっさいわね! ノーメイクじゃ出られないから、急いで化粧してたの! なによもう。なにがあったの?」

 下田は少し不安げだ。

「記者が死んだ」と前田。渉太も「殺されたんです」と続ける。

「私はもう一度、遊戯室へ行きます。後から警察に、我々が証拠品を動かしたとか、なんとか因縁を付けられては困る。前田さん、一緒に来てもらえますか」

「いつも警察は真っ先に志賀野さんを疑いますからね」渉太は納得しているようだ。実際、事件の度にお前が怪しいといって志賀野は長時間の聴取を受けている。

「私は嫌よ」下田は自分を抱きしめて不安そうだ。

「分かりました。大広間で待っていてください」

「僕は構いませんよ」

 前山の了承が得られたことで、遊戯室へ向かい証拠品捜しを始めた。春本の遺体の近くにはカメラが落ちているが、フィルムが抜き取られているようだ。

 どんなに探しても、他に落ちているものはない。志賀野は立ち上がる。

「証拠品はこのカメラのみでしたね。しかしフィルムが抜き取られている」

「犯人はまずいものを春本さんに撮られてしまって、殺したんですかね」

 渉太が言う。その線が濃厚だと志賀野も同感した。

「この頭の傷、縦に長いな。ビリヤードのキューを使ったんじゃないか」

 そう志賀野は推理した。血痕はないが、拭ったのだろう。

「こんな縦に長い棒状の物で、殴って殺害できるでしょうか。もっと適した物があるんじゃ」

 渉太が首を傾げた。

「この家具は、ほぼ固定されているだろう。そこの金属の椅子は動かそうと思えば動きそうなんだが、中に空洞がないようで非常に重かった」

 志賀野と渉太、前山は唸る。時間だけが経過していく。

「つまりだ。ビリヤードのキューという、鈍器には適していない物を選んだのは、サロンに入るまで、春本さんを殺害するつもりはなかった。そういうことだろう」

 志賀野の見解がようやく纏まった。

「なるほど! 前もって殺すつもりなら、自分で凶器を用意したでしょうね」

 渉太はうなずく。

 メイドの大盛が休憩を、と三人を呼びに来てくれたことで、十時近くになっていることに気づかされた。悲鳴に起こされたのは早朝だったから、推理を初めて数時間は経過している。

 食堂に紅茶が用意されて、志賀野はゆっくりと啜った。花の香りが広がる。

「おいしそう」渉太は両手でカップを持ち、ぐいぐいと飲む。

前山もカップをとる。その姿は様になっている。死体を見ていない下田は一番落ち着いていて、優雅に紅茶を啜っている。

志賀野はカップを置くと、前田と下田を見る。

「お二人から別々にお話を伺いたいと思います」

「おいおい、あんなに手伝った僕は容疑者かい」

「私は別に構わないわ。探偵さんとお話しできるんですもの」

 下田の言葉に前山が大げさに反応する。

「本当に君は彼の方がいいのかい? 僕の方が君を幸せにできると思うよ」

「比べるのもおこがましい」

 前山と下田は顔を近づけて視線をバチバチにぶつけている。

「お静かに。何も疑っているのではありません。皆さんの時間ごとの居場所と、何を見たかなどを聞けば、自ずと犯人の行動が見えてくるのではないかと」

 これは嘘だ。志賀野は、どっちかは犯人だろうと思っている。

「それなら構わないよ。いくらでも聞いてくれ」

 やっと前山も納得してくれたようである。

 志賀野はメイドに頼んで応接間を借りた。

「渉太は第一発見者である大盛さんにも話を聞いてほしい」

「任せてください!」

 渉太は張り切って飛び出していった。

「ではまず、下田さんからお願いします」

 応接室はより豪華な作りとなっている。アンティークテーブルを挟み、志賀野と下田は向かい合ってソファーに座る。

「下田さんは、前山さんと春本さんの遠い親戚に当たりますが、前に会ったことは?」

「ないわよ。昨日本島の船着き場で、初めて会ったの。印象は最悪! 嫌み男と、……死んだ人のことを悪く言うのもあれだけど、汚らしい格好してたじゃないあの記者。笑い方気持ち悪かったし」

 下田は遠慮なく言う。

「昨日の夜はどうしていましたか」

「アリバイね。普通に寝てたわ」

「何か聞いたりは」

「それもなかったわ。メイドの悲鳴を聞くまで、ぐっすり寝ていたもの」

 下田に夜中のアリバイはないことになる。

「怪しいのは、この屋敷の奴らだと思う訳よ。わざわざここで殺すってことは、ここの住人ってことじゃない?」

 下田が人差し指を立てて言う。

「どうでしょうかね。ああ、それではこれまでで。ありがとうございました」

「また聞きたいことがあったら言ってね」

 下田が出て行き、次に志賀野は前山に同様の質問をした。

「下田さんと春山さんを以前から知っていましたか?」

「いいや、知らないね。親戚って言っても、遠縁だから」

 返答に下田との齟齬はない。

「失礼ですが、昨日の夜は何を」

「普通に寝てた。変わったことは特に」

 深夜のアリバイがないことに関しても同じである。

「そうですか。ありがとうございます」

「いやー、折角だからもう少し話そうじゃないか。僕があの女のことを狙ってると思ってるかもしれないけど、そういうわけじゃないんだ」

「というと?」

「癖なんだ。僕にとっては、貧乏揺すりと一緒」

 ナンパ癖、というわけだ。

「てっきりタイプなのかと」

「冗談じゃない。あんな下品で貧乏な女。あの記者も貧乏だったな。煙草をせびられた時は驚いたね。探偵さんは儲かってるかい?」

「儲かりませんよ。でもいいのです。好きでやってることですから」

 志賀野の本心だ。

「やっぱり仕事は、好きな分野でやるのが一番だよね。俺もさ、コンサル業は自分に向いてると思うんだ。感覚で分かるよね、そういうのって」

 前山から聞けたことは、下田とだいたい同じような内容であった。志賀野と前山は応接間を出る。進展はなかった。志賀野が首を傾げながら廊下を歩いていると、向こうから渉太が重い足取りでやってくる。

「すみません、何も……お役に立てなくて」

 渉太はうつむいている。志賀野は励ましの言葉を考えたが、出てきたのは「私も同じさ」だった。

「何も進展はなかった。前山さんと下田さんは揃ってアリバイがないんだ。しかも使用人の二人か廣部さんが怪しいと言っている。どうしたらいいか」

渉太は、ゆるりと顔を上げる。

「志賀野さん、ここに来る前、藤の島を調べたとき知ったことなんですけど。藤の花の花言葉って知ってますか?」

「花言葉? そういうのには疎くて」

 急に話が変わったことに志賀野は驚いたが、とりあえず答えた。

「藤の花には、恋に酔うなんて、洒落たのもありますが。消して離れないって意味もあるんです。普通は男女のことを想像するんでしょうが。僕の場合、それを見たときですね。依頼が来れば解決するまで絶対に諦めない、志賀野さんみたいだな、って思いました」

 渉太自身も落ち込んでいるのに、志賀野を励ましてくれている。力が漲ってくるのを感じた。

「できた助手だよ。事件を最後まで追い求める。大事なことだね。さて、最後まで頑張ろうか」

 廊下を歩き出す。窓から差し込む日はまだ高い。

「気になることがあるんだ。遊戯室を調べに行こう」

 志賀野と渉太は、前田とシェフの戒田を連れて三度遊戯室へ来た。

「固定された家具と金属の椅子。何か意味があってこの配置になってると思うんだ」

 もし志賀野自身が自由に家具を配置するなら、オブジェにしかならない金属の椅子は壁際に寄せて、壁際に固定された椅子は可動式にするだろう。それに椅子の数は増やしてもいい。

「家具が春本さん殺しと関係あるんですか」

 渉太は分からない、と言った顔をする。

「いいや、宝探しの方に関係があると思うんだ。きっと、この部屋に宝はある。それを春本さんが見つけて、お宝を欲しい他の誰かに殺害されたと思うんだ。渉太、私はちょっと書庫に行ってくるよ」

「それでは僕たちは、大広間で状況を推理してみます」

志賀野は書庫へ着くと、昨日春本がいた辺りの本を片っ端から開いた。海外や日本の文豪が書いた書物の中に、ひとつだけ参考書のようなものが混ざっている。明らかに異質だ。

「物体共鳴……これだ」志賀野は書庫を飛び出した。

 志賀野は遊戯室に全員を集めた。春本の遺体も、動かされずにある。

「皆さんをここにお呼び立てしたのは、事件の真相が分かったからなんです」

その場の全員が目を見開く。

志賀野は金属製の重い椅子に手を掛けると、全体重をかけて移動させる。鉄扉が床を擦る嫌な音がする。数十センチ移動させたところで、部屋中が揺れ始める。全員が身構えたが、そのうち視線は暖炉に集中した。暖炉が横にずれて、小さな空間が現れたのだ。そこには一つの箱がぽつんと置かれている。

「お宝!」下田が前山を押しやって箱に飛びついた。

「よく分かりましたね探偵さん。そう、宝はここに隠しました。しかし、春山さんの事件を考えるのが先ではありませんか」

 廣部の言うことはもっともだ。しかし志賀野は核心に迫っていた。「関係大ありです」

「今、何が起きたか皆さん分かりましたか」

 沈黙が広がる。志賀野は書庫から持ってきた一冊の本を見せた。

「貴重な古書のなかに、一つだけ新しめの参考書がありました。物体共鳴と書いてあります」

「物体共鳴」オウム返ししたのはシェフの戒田だ。

「すべての物体は、固有の周波を出しています。そして物体同士が強く共鳴したとき、振動が発生するんです。組み合わせによっては、今暖炉が動いて隠し部屋が現れたように、強い振動を生み出すことができます」

「目立つ本ですから、書庫にいた春本さんは一番にこのことに気づいたのでしょう」

「実際に開こうとして、犯人に殴り殺された」

 そういうことですよね、と渉太が続けた。

「ただ問題がある。春本さんは、物体共鳴がヒントだということまでは分かっても、ずっと書庫にいたのですから、遊戯室の仕掛けにまでは気づけません」

「ただひとり、遊戯室に何かあると気づいていた人がいました。そうですよね、前山さん」

 志賀野が前山を見て言う。全員の視線が前山に集まる。下田も宝の箱から手を離した。

「知っていたところで、あの貧乏人が僕に宝の在処を教えるはずがないだろう!」

 前山が声を荒げる。

「春本さんは、明日の食事にも困る生活を送っていました。最初に彼がなんと言っていたか覚えていますか。」

「写真さえ撮れれば宝は譲っても構わない」下田が思い出したように呟いた。

「そう! 春本さんは、仕掛けがある場所を探して部屋を歩いた。そこで、ずっと遊戯室を怪しんでいた前山さんと鉢合わせたんです。二人は知恵を出し合って答えにありついた。それを前山さん、あなたが宝を独り占めするために撲殺したんです」

「証拠があって言ってるのか!」

「盗まれたフィルム。あなたは屋敷から出ていませんから、すぐに見つかるはずです。遊戯室の指紋は拭いたかもしれませんが、こっそり捨てるはずだったフィルムの指紋は拭きましたか?」

「……くそっ! そうだ、僕が殺した。会社の負債だけじゃない。株に失敗したんだ。損失が大きくなるにつれて、余計後に引けなくなって。だから宝に人生を掛けてたんだ! それなのに!」

 前山は宝の箱を乱暴に開ける。

「中身はタダの植物の種! たぶん藤の花の種だ! こんなもののために僕は……」

 前山の手から落ちた箱を、廣部が慎重な手つきで持ち上げた。

「ただの藤の花ではありません。これは貴重な配合種。枯れない藤の花――――永遠の恋を表す物――――永久藤です。大切に育ててもらうつもりでしたが、億は下らないでしょう」

「なんですって!」

 志賀野は思わず素っ頓狂な声を上げた。渉太も口をあんぐりと開けている。

「タダの種が……」

 前山はギラついた目で箱を見ている。志賀野は前山の肩を叩いた。

「本当に、春山さんを殺すしか道はなかったのでしょうか。藤の花言葉は、消して離さない……けして自分の人生を諦めないことが、未来を切り開くことに繋がったのではないかと、そう私は思うのです」

「…………くそっ! 申し訳ない……ほんとうに……」

 前山は床に崩れ落ちる。渉太がポソリと呟いた。「志賀野さん、それ僕が言ったやつ……」

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