ページ50『――はじめまして』

「次はもう、ナルは行けないの。だから、君一人で過去の声を聞いてきて。

でも、気をつけて。過去の声を聞いて励まされる人もいれば、壊れる人もいるから___。」



ハプに忠告をして手を伸ばすナルが、だんだん、だんだん、だんだんと、薄れて行った。

それから入れ替わりに、青い、水色の無の空間が広がっていった。

ハプは瞬時にその空間が、『過去の声』を聞く空間だと思った。



「誰か...居るの?」



そう話しかけると、その空間は水面のように揺れた。声が反動して、ゆらゆらと。

それからそのゆらゆらはグネグネと曲がり、変形してゆく。

それから、ハプの『思いの形』へと変形してゆく。

そのゆらゆらは変形を終え、穂羽の両親___紡と律紀に姿を変える。

ハプの会いたかった人達だ。

ハプが話したかった人達だ。

ハプが謝りたかった人達だ。

先程までも、ハプは2人と会うことは出来ていた。しかし、その時はあくまで2人を『眺めて』いただけ。

次は2人に何かを伝えることが出来る。2人の声を耳でとらえ、相手はハプの声を耳でとらえ。

会話することが出来るのだ。


ハプは息を呑み、2人に話そうとする。



「___あ」



でも、思ったように声が出ない。いざその前に立ち、口を開けて出てくるものは、かすれた言葉の無い一音。


そんなハプに、2人は話しかける。



「___誰?」



当然だ。知らないのだから。

ハプ・スルーリーなんて。

2人の目の前に居るのは笹野穂羽ではなくハプ・スルーリー。まったく見知らぬ人物なんだ。

見ただけで穂羽と理解してくれるなら、どれだけ良かったのだろう。

でもそんなこと、出来るわけないから。



「ほわは、ハプ・スルーリー。」



やっと声が出て、話す。



「きっと、ほわのこと、何も分かってくれないと思う。

ほわが何言ってるのか、全く分からないと思う。でもね。これだけは言わせて。」



何もわからないであろう2人に向かって、ハプは話す。

こんな風に話すのに、どれだけ勇気がいることか。

緊張で押しつぶされそうな狭い思いで、ハプは必死に話す。



「ほわは、ハプ・スルーリーだけど。

___笹野穂羽、なの。」



その一言を言うのは、どれだけ苦しかっただろうか。

自分が笹野穂羽だとそう、打ち明けるとき。

どれだけ口が重かったのだろう。

押さえつけられているような感覚に抗いながら、必死に喉の奥から声を出す。


「笹野穂羽」


だと。


反応が、怖い。顔を見上げたくない。そう思って震えながら、顔をあげようとする。

すると、その震える肩に、そっと手が添えられた。



「ゆっくりでいいんだよ。ゆーっくり。」



ハプは俯いたままで驚いて、目を見開く。



「はーい、深呼吸してー?スー、ハー。

落ち着いたら顔をあげて。お話してみるのだっ。」



ハプは紡に言われるがまま、ゆっくり深呼吸をした。

すると、なぜだか分からないけど。

自然と気持ちが落ち着いてきた。


ハプはゆっくり顔をあげると、紡が居た。笑顔で笑っている紡が。軽蔑の目を向けられるかと思った。哀れみの目を向けられるかと思った。

でも、こっちを真っ直ぐ見ている紡も、奥でこっちを見ている律紀も。

穏やかな、どこか優しい表情をしていた。



「どう、して?」



ポロリと、言葉が零れ落ちていく。

単純な疑問だ。なぜ全く知らないはずの他人に、こんなことをするのか。



「私はまだ君がどんな存在なのかわかってないよ。ほんとにムスメちゃんなのか、それとも全く知らない人なのか。そんなの知らないけど。」



紡は顔をほころばせる。



「君は、すごく苦しそうだったもん。」


「え?」


「君は何かを押さえつけてて、苦しそうにもがいてる。さっき震えてたのもたしかに苦しそうだったけど、そうじゃなくて。

私は今君を見てても、ムスメちゃんだとは思えない。でももし、その抑え込んでるのがムスメちゃんなんだとしたらさ。」


「___。」


「__抑えなくても、いいと思うな。」


「え...?」


「ムスメちゃんはムスメちゃんのままでもいいと思うの。

たぶん、抱え込んでるんだろうね。愛華さんのこと。でも、そうだとしても。

君でも、穂羽でも。そんなに変わらないと思うんだよね。

だって、どっちでも根っこは穂羽だもん。

ほら、今も君、自分のことほわって言うし。ちょびっと怖がりなところも、変わってない。

だから君は君だとしても、ムスメちゃんなんだから。それなら、ムスメちゃんのままでいる方が、君も楽だよ。」


「___お母さん...ごめんなさい...ありがとう...。」



ハプはそう言って、紡に抱きついた。紡はそっと包み込むように抱きつき返して、その場から消えていった。

「伝えたいこと」を伝えたから。

その場には律紀とハプが取り残された。ハプは少し不安そうに律紀を見るが、律紀は優しい瞳でこちらを見てきた。

それを見たハプは律紀の近くへ駆け出して行き、話しかけた。



「聞いても、いい?」


「いいとも、何個でも聞いてやりたいよ。」


「__2人は、どこに行っちゃったの?」



この2人に言いたかったことは「ごめんなさい」と謝るその言葉。

それから、どこに行ったかと聞くその質問。

この質問の答えを聞けたら、もう話せなくなってしまう。



「それは...。」


「待って。」



ハプは話そうとする律紀を止めた。止めたら、いけないのに。



「言わないで...他の話、しようよ...。」



ハプは離れたくなかった。この機会を逃すと、もう会えなくなるんだ。そう思うと、ずっと、ずっと、ここにいてしまいたいと、そう思うのは、仕方の無いこと。



「__ごめんな、穂羽。俺にはそれはできない。それから、その答えだってわからない。

俺達はあくまで、記憶から作られた創造物だ。その答えは、知らない。」


「知らないなら___!」



知らないなら、知れない。答えをしれないなら、消えない。消えないなら、話せる。ずっと、ここで。



「残念だが、無理だろうな。「分からない」これが答えになって、俺は消えていくだろう。」


「そんな...!」


「だから、手短に、ぎゅっと、話す。昔から。生まれた時から、今も、ずっとずっと。大好きだ、穂羽。」



少しづつ、少しづつ、消えていきながら、笑顔を見せてハプに言う。

その笑顔が、悲しい。



「___俺が大好きなのは、『ハプ・スルーリー』じゃなくて、『笹野穂羽』だけどな。

...すまない、もう、はなせない。さよなら、話せて嬉しかったよ、___穂羽。」



なんで、消えていくの。

キエナイデ

その言葉が、頭の中で木霊する。


律紀が消えると、またもやその空間はぐにゃぐにゃと揺れ動く。

懐かしい顔だった。

会いたかったけど、会いたくなかった。

その顔を見た時、ハプは一瞬動揺する。



「なんとなーくだけど、わかるよ。

貴方、穂羽ちゃんだ。」



離れた場所から詰め寄ってきて、柚希はハプに言う。

ハプは心に平穏が保てるよう、必死に集中した。



「多分、私が記憶なのもあると思うけど。なんでか知らないけどわかる。その表情とか。」


「柚希...ちゃ」


「何。穂羽ちゃん。そうだよ。柚希だよ。」


「___あの時のこと、謝りたいの。」



ハプははっきりと柚希の目を見て、そう言った。

それを見た柚希は一瞬動揺し、目を細める。



「貴方、穂羽ちゃんじゃないんだ。ふーん、そっか。なら穂羽ちゃんは、逃げたんだ。」



心の奥が、ズキズキ痛むようだった。



「私と美愛ちゃんだけ酷い目に合わせて、それが怖いからって縮こまって逃げてるんだ。

弱虫。」



心の奥が、苦しくて泣き叫ぶようだった。


「___ごめんなさい。」


微かだけど、言った。そう言ったから、柚希はゆっくり消えてゆく。でも、話すのはやめなかった。


「苦しみから逃げ続けて、何になるの。馬鹿みたい。

やっぱりまだ、頭の中平和は直ってないんだね。

___ならせめて逃げるんじゃなくて、堂々と立ち向かってみたらいいじゃん。『穂羽ちゃん』。」



柚希は消えるその瞬間、穂羽ちゃんと叫んだ。力強く。

この時の声に、怒りは込められていなかった。



「柚希...ちゃん...。」



ハプはか細く声を出す。その意味を必死に考えた。


ハプが俯き、地面に手を着くと。そこから空間はまたしもぐにゃぐにゃと動いた。

ハプは優しく笑いかけているその笑顔を見て、震えた。

それから手を伸ばし、声を出そうとした。



「み、あ...ちゃん...。」


「あなたは、だれ?」


「___ほわの名前はハプ・スルーリー。」



紡に話したのと同じように、ハプは自分の名を名乗る。

緊張で心臓がバクバクする。血の巡りが早くなり、頭が真っ白になりそうになる。

笹野穂羽だった時に、一番謝りたかった相手。



「ハプ...さん?んー、なんか大丈夫?体調悪かったりする?

あっ、わたしは...」


「愛華美愛、だよね。」


「えっ?そうだけど。」



ハプは美愛の自己紹介を遮り、代わりに名前を言う。

美愛は目をパチクリさせた。なぜ、全く知らないハプ・スルーリーが、自分の名前を知っているのか。ハプ=笹野穂羽だと知らない美愛にとって、摩訶不思議な光景だ。



「知ってるよ、言わなくても。ほわは、貴方のことをよく知ってる。だからね...何も聞かずに聞いて欲しいの。」



美愛はまだ不思議そうにしながら、ハプの方を真っ直ぐに見つめてくる。その視線が、苦しい。

息を大きく吸い込んで、深呼吸をする。



「__ごめんなさい」



そう言ったら、美愛とはもう話せない。

でも。

もう、早く離れてしまいたかった。美愛と話していると、また、昔と同じになってしまいそうで、怖かった。

だから、逃げた。逃げようとした。

逃げようと、した。

逃げることは出来なかった。

ごめんなさいと謝ったのに、美愛は消えない。その場で、消えてなくならない。



「...なんで謝るの?」


「__え?」


「ハプさんはわたしに、なんにもしてなくない?」


「謝りたかったの。ずっと。ずっと。でも謝れなかったから。だから今、謝ったの。

あの時、あんな無茶苦茶なお願いをしたせいで、美愛ちゃんは傷ついた。」



美愛は困惑し、疑り深い目で一直線にハプを見つめてくる。



「そのせいで、美愛ちゃんは苦しい思いをした。

そんなの、平和じゃないよね。ほわは話し合いをしないといけなかった。そして、みんなで仲良くならないといけなかった...。」



言いたいのはそんなことじゃない。本当は、そんなこと思ってない。

あのままでいるべきだったと、そう思っているから。



「もしかして...。」



美愛はハプを見た。優しい目で。

穂羽を見るのと、同じ目で。

見つめてきた。



「穂羽、ちゃん...?」


「...。」


「でも、なんだか違うよう。穂羽ちゃんって、あんなこと言うかな...。」



美愛は考え込み、目を細める。

それからハプの手を取り、真剣に言った。



「穂羽ちゃんに言うね。私の方こそ謝りたい。あんなに自信満々だったのに、折れちゃうなんて、バッカみたい。」


「そんな...。」


「だから、ごめんね。私からも謝らせて。私は穂羽ちゃんのこと恨んでないし、嫌いじゃない。ずっと今でも、大好きな友達だよ。」



それから美愛は目を細めた。

その目は真っ直ぐに、『笹野穂羽』を見た。

それから心の奥から情熱的に、訴えかけてきた。



「出てきてよ、穂羽ちゃん...!」



___心の奥の穂羽に、仮面の中の穂羽に。



「わたしは穂羽ちゃんのこと、大好きだよ!今も、ずっとずっと!

穂羽ちゃんは、穂羽ちゃんが思ってるほど弱くないんだから。わたしは知ってる。

だからきっと、なんにだって立ち向かえる。穂羽ちゃんはきっと、わたしのことで、苦しかったんだよね。」


「___。」


「わたしみたいなの、もう見たくなかったんだよね。」


「___。」


「ありがとう。わたしを、そんなふうに思ってくれて!」


「__え?」


「謝るより、感謝する方が、明るい雰囲気になるじゃん。ありがとう、穂羽ちゃん。」


「__。」


「穂羽ちゃんならできる。逃げること以外にも、できることはたくさんある。だって、穂羽ちゃんは優しいんだから。」


「そんなことないよ...穂羽は、逃げたんだよ...友達を犠牲にして。」


「違うよ。穂羽ちゃんが逃げてるのは、弱いからじゃない。穂羽ちゃんは優しいから逃げてるの。

___優しいってことは、強いってこと。」



美愛は笑った。ハプの裏側の、穂羽に向かって、微笑んだ。

それからハプの手を握る。



「わたしのような人を見たくないんだったら逃げるんじゃなくて、わたしのような人がもう生まれないように、立ち向かってみてよ。」


「それが出来ないから...逃げてるの。」


「せっかくわたしを見て、経験したんだから。その経験があれば、救えると思うよ。

__わたしの知ってる、穂羽ちゃんなら。」



目の奥が熱い。目の端に、小さな水滴が溜まってゆく。

パキパキ、パキパキ、パキパキ。

素顔を隠していた仮面は、ひび割れ、崩れ落ちてゆく。



「__だから出てきて。わたしの親友、笹野穂羽!」



パキパキ、パキパキ、パキパキ。

素顔を隠していた仮面は、ひび割れ、崩れ落ちてゆく。


パラパラ、パラパラ、パラパラ。

素顔を隠していた仮面は、崩れ落ち、消えてなくなって行く。


ポロポロ、ポロポロ、ポロポロ。

溢れる涙も、頬をつたって、零れ落ちていく。



「___ありがとう。」


「___どう、いたしまして。」



美愛は「穂羽」と抱き合った。「穂羽」も、美愛に抱きつき返す。

抱き合っている美愛の感覚が、徐々に薄れていく。

美愛は消えて、その場には膝を着いたハプ・スルーリー

の姿をした、笹野穂羽が1人、座っていた。



◆◇◆◇◆



「おかえりなさいなの。」



『過去の声』の空間が壊れ、崩れ落ちたのを見ると、ナルが出迎える。

それからナルは旗を手で叩く。すると、旗は二刀流のタガーへと姿を変える。



「ツアーは終わりなの。もうこれからは、本気の戦闘に入るの。

魔術神秘教団『時間の観望者―過去―』ナル・キャリソン。

一体一の、戦闘を始めるの、ハプ・スルーリー。」



するとハプは目を細め、手に炎を宿して、言った。



「違います。」



そして、息を吸い込んで。



「――はじめまして、ナル・キャリソン。穂羽の名前は笹野穂羽。貴方を、穂羽は、倒します。」

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