ページ48『笹野穂羽』

美愛は言った。穂羽が過ごしやすい学校にすると。でも美愛はごく普通の、無力な生徒だ。美愛が何かしたところで、変わるはずもない。先生が何か言っても、変わることなんてないのだから。

でも、美愛は言った。絶対にしてみせると。



「それ、本気?」



冗談のつもり___では無いが、当てつけのつもりで言った言葉に本気の返事をしてくる美愛。それを聞いた穂羽には、驚きを隠せる余地なんてなかった。心に驚きを逃がせる隙間がないほど、心は驚きで埋め尽くされた。



「うん、本気だよ。どうかしたの?穂羽ちゃんの頼みだもん。やるに決まってるって。前から言ってるじゃん。何でもするって。」



美愛は笑顔で、明るく穂羽に話す。穂羽はこの時、微かに期待した。本当に、美愛がやり遂げてくれたら。そんなふうに思っていた。



「穂羽ちゃんとわたしは親友。それでわたしは穂羽ちゃんが好きでしょ?まあ、穂羽ちゃんもわたしのこと好きって思ってくれてたらちょっと嬉しいかもだけど。まあ、でもわたしは穂羽ちゃんのこと好きなわけよ。で、何でもして欲しいことするって言ったじゃない。だから!約束は守るタチなんで!」



そう言って、自信満々の表情をうかべ、美愛と穂羽は家に帰って行ったのだった。



『駄目、駄目だよ美愛ちゃん。やめて...やらなくて、いいから...!穂羽のためなんかに、ほわのためなんかに...!』



ハプはその様子を眺めながら、必死に訴える。隣で『観望者』は、その過去を呆然として見つめている。




◇◆◇◆◇




次の日学校に来た時も、何の変哲もない平和な...平和かどうかは分からないが、変哲のない日だった。しかし、その途中で穂羽は違和感に気がついた。


今日1日、美愛が話しかけてこない。


その日美愛とは、朝の『おはよう』の挨拶を交わしたきり、話をしていなかった。いつも自分から話しかけに行くこともないので、美愛が話してこないと話す機会も無いのだ。



――穂羽の為に、なにかしてくれてるのかな。



そんなことを考えながら、その日を過ごした。




◆◇◆◇◆




異変が起こったのは次の日だった。

初めはその異変に気がつくことがなかった。何故なら穂羽はいつも通り、ずっと隅で本を読んでいたからだ。

でも、なんだかおかしい。いつもと何か違った。それは、周りの人々だった。その日いつも穂羽が気にしているクラスメイト達は、穂羽をジロジロ見つめてきたり、穂羽が嫌がることをしてこなくなった。

穂羽は思った。


――もしかして、美愛ちゃんが?


穂羽はそう思い、美愛を疑ってしまっていた自分がいた事を、深く後悔していた。


でも、どうやって?

その疑問は避けられない。どうやって、そんなことをしたのか。穂羽は必死に考えた。


『やめてあげて』


それだけで解決するのなら、穂羽がこんなに考え込むことは無いだろう。


『やめてよ』


そう言っても、どうせ。


『なんのこと?』


それが現実。相手は、意識してないんだから。

これは、『いじめ』では無い。いじめの場合、人は悪意を持ってその人に『じゃれあい』程度の『嫌がらせ』をしているつもりになる。これは、意図的に、だ。

しかし、これは違う。これは虐めでは無い、虐めより厄介な魔の手。

意図せず、忍び寄ってくる影。

『いじめ』が物理攻撃だとすれば、『それ』は形のない呪い。

だから、解決なんて...。



穂羽は気になって気になって仕方がなく、帰り道に美愛に問い詰めた。



◆◇◆◇◆



「...美愛ちゃん。」


「...あっ、なぁに?穂羽ちゃん!」



美愛は俯いて考え事をしていた。それから呼び掛けに気が付き、いつものように明るく話しかけた。



「あのね...本当に、穂羽、気兼ねなく過ごせてるの。あんまり周りを気にすることなく、普通の学校生活が送れてるの。これって...美愛ちゃんが?」



すると数秒空いてから、美愛は答える。



「うん、一応ね!どうかな〜なんて思ってたんだけど、穂羽ちゃんがそう言うなら良かった!改善点とかあったり?」


「やっぱり、美愛ちゃんが...あのね、ごめんね。あの時、美愛ちゃんのこと疑ってて...。美愛ちゃんに何が出来るのって、正直...イラついてて。だから、あの、...ごめんね。」



穂羽はいつも通り明るく振る舞う美愛を見て、少し不安に思いながら謝罪を述べた。すると美愛は驚いた表情になり、両手を振りながら答える。



「いやいや、謝らなくていいって〜。わたしがやりたくてやってることじゃん?ほらほら、わたしって穂羽ちゃんの役に立つの好きでさぁ。だから全然OK!疑われても嫌われても、わたしは穂羽ちゃんと友達でいたいからさ!ね?」


「うん...ありがとう。」



前とは違う返事。素直に『ありがとう』と、穂羽は答えた。それから、疑問を口に出す。



「ねぇ...どうやったの?」


「ん?」


「どうやって...?」


「あー...。」


「あー。じゃなくて、答えて欲しいなっ、て、ほわ、思うんだけど...。」


「んー、別に良くないかなぁ。結果的に穂羽ちゃんは気分よく生活してる訳だし!結果オーライでしょ?手段なんてどうでもいいじゃん!」


「どうでも良くなんか...。」



美愛は、何かを隠している。

穂羽に、何かを隠している。

親友に、何かを隠している。

美愛は、本音を隠している。

なのに、笑顔で笑っている。



「大丈夫大丈夫!わたし、平気だって!」



◇◆◇◆◇



それから数日後のことだった。何週間かたっただろうか。


――美愛が、学校に来なくなったのは。



美愛は突然、学校に来なくなった。1日待てば来るだろうと思っていたが、次の日も、その次の日も来なかった。

穂羽はいい加減に気になり、柚希に尋ねることにした。



「ねぇ、柚希ちゃん。」



話しかけると、柚希は少し黙って言った。



「何、かな。穂羽ちゃん。」


「美愛ちゃん...知らない?」



それを聞くと、柚希は目を細めた。

穂羽は少し震える。



「知らないの?聞いてないの?」


「え?なんのこと?」


「そっか...聞いてないんだ。私はもう聞いたけど。」



穂羽は不思議そうな目で柚希を見つめる。



「穂羽ちゃんのせいで、美愛ちゃんは学校に来なくなったの。」



柚希は穂羽を睨みつける。穂羽には、なんのことか全く分からなかった。穂羽には美愛に、何かをした覚えなんてない。



「聞いたよ。美愛ちゃんにしたお願いのこと。」


「おね、がい?」


「とぼけないでよ。穂羽ちゃんが平和な学校生活を送るために、美愛ちゃんが何をしたか知ってるの?」


「え...。」



その事だとは思わなかった。柚希の言い様だと、美愛が学校に来なくなったのは、そのおねがいのせい。そのおねがいを実行するために何かをして、美愛は学校に来なくなった。



「最近、穂羽ちゃんは平凡な学校生活を送れてたはず。」


「___。」


「穂羽ちゃんは周りの目を気にすることなく過ごせたはず。」


「___。」


「なんでか知ってるの?」


「___。」



穂羽は無言で首を振る。本気で、わからない。



「___穂羽ちゃんの代わりに、美愛ちゃんが犠牲になったの。」


「__え?」


「穂羽ちゃんに目がいかないように、自分に目を引き付けたの。そうすれば、穂羽ちゃんのことなんか気にも止めなくなるんじゃないかって。だからあの子は、わざといじめられるように...。」



穂羽は驚いて、声が出なくなった。柚希の言っていることを整理すると、美愛は、クラスメイトの目が穂羽ではなく自分に向くよう、自分から『いじめられた』のだ。

初め、何も変わらなかった日。その日に美愛は自分がいじめられるために、いじめられるようなことをした。何をしたのかはわからない。しかし、それをしたのは確かだ。


穂羽のために。



「だから、美愛ちゃんは...虐めに耐えられたくなってきてたんだよ。で、でもね。なのにね!貴女のために!ずっと...。ずっと...!」


「そ、んな事、してなんて言ってないのに...!」



穂羽は恐怖して、言った。2つのことに、恐怖した。1つは、自分の言ったことで美愛にこんなことをさせてしまった罪悪感。

それから2つ目は、こんなことのために、自分を犠牲にしてまで穂羽から目を離させた美愛の執着心。

駄目だ、駄目だ。そんなの、駄目だ。他人のために、そんな風に。自分を投げ捨ててまで。

自分の気持ちで生きなくてはならない。

他人のためではなく、自分のために。



「そんなことしてって頼んでなくても、貴女が頼んだことがそんなことに繋がった。

それは、間違いないでしょ。」


「...あ。」


「それに、いま、どうなったか知ってるの?」



いじめを1度してしまうと、もうやめられない。それがその人の『当然』になってしまうからだ。

いじめの対象がいなくなったら、いじめやすそうなひとへ。

いじめを誰かに止められたら、そのとめたひとへ。

いじめは、移ってゆく。



「美愛ちゃんの代わりに、私がいじめられてるの。」



なんで、なんでかな。

なんで穂羽じゃないのかな。

穂羽が悪いのに。

穂羽が自分勝手だったのに。

なんで関係の無い柚希が、いじめを受けているのかな。


「ごめんなさい」

と一言、謝れたらどれだけ良かったのだろう。

でもそんな素直に、謝れる人なんてそうそういないのだ。



「...なら、お話してみる。柚希ちゃんと穂羽といじめっ子達で、話し合いしてみようよ。そうすれば...。」


「穂羽ちゃんはいいよね。」


「え?」


「なんでもお話で解決すると思ってるんだから。」


「___。」


「いじめって、何か知ってるの?」


「___。」


「どれだけ辛いか知ってるの? 」


「___。」


「どれだけ悲しいか知ってるの?」


「___。」


「なんで、そんなに真面目なの?」


「そ、んな...。」


「なんでそんなに平和なの?」


「こ、と...。」


「なんで?なんで?」



怒りが、込められていた。悲しみが、込められていた。妬みが、込められていた。憎しみが、込められていた。



「__現実を見なさいよ。」



頭の中が、真っ白になった。感情と感情が交わって、ぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃに。訳が分からない。穂羽は何を思ってるのかな。穂羽は何を考えてるのかな。穂羽ってなんなのかな。辛い苦しい悲しい怖い寂しい寂しい寂しい寂しい______。



◇◆◇◆◇



穂羽の心は壊れた。元々の精神障害に、精神的負担が重なり、放心状態になった。考えることはできない状態で、学校にも行けなくなった。フラッシュバックを起こしては呻き声をあげた。なんでこんなに苦しかったのかは分からない。それすら分からないくらい、おかしかった。

自分のせいで、2人もの友達に悲しい思いをさせた。それなのに、自分だけいいように逃げて。

悲しみに浸っていた。

恐怖で塗りつぶされていた。

寂しさで恐怖していた。

罪悪感で押しつぶされそうだった。


もう、何も分からなかった。




◇◆◇◆◇



よく覚えていなかった。記憶がぼやけていた。穂羽が知っているのは、両親が居なくなった事実だけ。なんで居なくなったのかは知らない。どこに言ったのかも知らない。


なのに穂羽は勝手に、自分のせいで居なくなったのだと思っている。


ひたすらに縛られ続けた。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい___!




◆◇◆◇◆



炎に呑まれた時、思った。


___ああ、やっと終われるんだ。


逃げられる。この悲しみから。ずっとずっとずっと、悲しみを自分の中に押し込んできた。

そんな人生を、終えられるんだ。



ハプ・スルーリーになった時、思った。


___次こそは、もう。


同じ失敗なんてしない。絶対に。

世界が平和なら、争いもない。

ルールとは、争いのないためにある。

マナーとは、たのしく過ごすためにある。

法律とは、平和な世界のためにある。

なら。

それを守れば。

同じ後悔なんてしない。

馬鹿馬鹿しいよ、そんなの守るの。

でも、あんな思い、したくないから。

笹野穂羽なんて捨てよう。

ハプスルーリーとして、生まれ変わってやる。

これは、ハプ・スルーリーの、平和な物語ストーリー




>◇◆◇◆◇<




「シアル様にも、リナにも。本当の素顔なんて隠せない。」



リナを探して、ペリィは話す。



「そして、僕の仮面も。脆いもの。」



リナを探して、ペリィはつぶやく。



「本当の仮面を被っているのは。」



リナを探して、ペリィは唱える。



「___ハプ・スルーリーだから。」

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