第10話 東京はノリが悪いんですか?


絶海ぜっかいさん、もう帰ろっか……」

「今さら逃げ出す方が恥ずかしいぞ?」

「だって東京駅ぐらいの人がいるのよ? ……え、待って。絶海さん、あの人たちなに⁉」

「ン? なにか来てるのか? ……すまない、あれは私の宝だな」

「……絶海さんの宝、キレキレのヲタ芸じゃないの……元ヤクザなのよね?」

「テツもいる……わざわざブラジルから帰ってきたのか……」

 浜町公園に設置されたステージ裏の雑草の上で胡座を組んでため息をつく絶海さんは紺色のスーツ。私は絶海さんが買ってくれた派手な紫色のワンピースだ。絶海さんのスーツは裏地が紫で、踊るとその色が見えるのが格好いい。私のワンピースも踊ると裾が翻るのだけど、私は胸がないから似合っていないような気がしてきた。

「ねえ、絶海さん……私、似合ってる?」

「ああ、似合っているよ」

「アニタみたいになれてる?」

「アニタより可愛いよ。……なにが不安なんだ、朱莉あかり。私の方が不安だと思わないか? 四十過ぎてこんなところで歌って踊るなんてさ」

 そんなこと言うくせに、絶海さんはちっとも不安なんてないって顔で笑う。私は胡座を組んでいる絶海さんの背中に膝をついてその首に腕を回す。

「だって、私、転ぶかもしれない」

「そしたら私が起こす」

「皆、私のことを笑うかも……」

「笑ってもらえるならいいじゃないか」

「下手くそって罵られるかも……」

「練習たくさんしただろ?」

「……絶海さん、怒ってない?」

 実に不思議そうに絶海さんは私を見上げた。その顔は全く怒っている様子がなかった。

「だってこんなの嫌だったよね……? アイドルなんてなりたくなかったよね?」

 絶海さんが私の腕を引く。うながされるまま絶海さんの前にしゃがむと、彼は私の頬を両手で包み、コツン、と額を合わせてくれた。

「『俺』が嫌だったことは『お前』を手放したことだけだ。だから今はなにも嫌じゃない。怒ることなんてひとつだってねえよ」

 その手はかさついて、大きい。目を閉じて息を吐く。

「朱莉がここにいてくれるなら『私』は無敵なんだ」

 目を開くと、絶海さんは私を見ていた。

「……本当?」

「ああ。本当だ。……だから、安心しなさい」

「……ウン……」

 私たちは立ち上がった。絶海さんは前髪をかきあげると、息を吐いた。

「私たちは顔面偏差値もいいし声もいいんだ。なんとかなるさ」

「……わかった、私の顔面と声で黙らせるわ……」

「フ、……ククッ」

「ちょっと笑わないでよ! 言い出したの絶海さんでしょ!」

 私が叫んだとき、『次はおじさんとJKコンビ! AZ.エーゼッドドット!』とアナウンスが流れた。私も絶海さんも初耳のチーム名に「「ヒロ」さん……」と声を合わせた。さすがにテキトーが過ぎる。しかしもう発表されてしまったし、きらめくヲタ芸に歓迎されては、私たちは舞台に上がるしかなかった。

「……マァいい、……行くぞ」

「うん、行こう!」




 ウエスト・サイド物語の楽曲を選んだのにはいくつかの理由がある。

 一つ目はそもそも既存のアイドルを調べたら男女混合アイドルユニットがあまりなかったこと。二つ目はそもそも私たちは二人してアイドルに詳しくなかったこと。三つ目は私たちは洋画が好きだったこと。そうして一番の理由は私が『ベルナルドが好き』と言ったからだ。『ならやろう』と絶海さんは笑ってくれた。そうして今も、このステージの上でも彼は私だけを見てにこにこ笑ってくれる。

「……ほら、朱莉。うまくいったろ?」

「ありがとう、絶海さん。あなたのおかげ」

 とびつけば絶海さんは私を抱き上げてその場でくるくる回ってくれた。

 くるんと下ろしてもらってから二人でお辞儀をすると「アンコール!」という、まさかの声があがった。しかもその声はどんどん大きくなっていく。逃げようにも司会の人が『なんかやれ』という顔をしていた。困って見上げた先で絶海さんは無の顔をしていた。

「……なにも用意ないよ、絶海さん」

「ないな……」

 ふと絶海さんが空を見上げる。追って、私の頭にも小さな雨粒が当たった。霧雨のような雨が降ってきたようだ。私が絶海さんの手を取ると、絶海さんがこちらを見てくれた。

「『雨に歌えば』?」

「歌えるのか、朱莉?」

「私は歌えないわ。でも手は握っていてあげる」

「……きみは、……本当に可愛いな」

 そうして――ステージは大成功に終わった。

 ヒロさんが撮影してくれた映像が盛大にバズり私は想定どおり内輪ネタをすべてかっさらうことができた。めでたしめでたし、……と話は終わらない。

 ――その夜から絶海さんが起きなくなってしまったのだ。

「朱莉ちゃんが気にすることじゃないんすよ。これでも前よりましですから」

「……絶海さん、嫌だったんだよね、やっぱり」

「そりゃ好き好んでアイドルなんてやってないでしょう」

 ヒロさんは笑った。

「でも若は二歳の朱莉ちゃんに『だいすき』って言われたとき、はにかんだんですよ。そりゃもう本当に嬉しそうに『俺もだ』って。……若にあんだけ苦労かけられるのも朱莉ちゃんだけだし、若をあんだけ喜ばせられるのも朱莉ちゃんだけですよ」

 私と絶海さんのステージ動画は当初の予定よりもずっとバズり、私は文化祭のカップル決定戦を潰し、私のソロステージにすることができた。

 ――そう、今度は一人でやる。怖いけど、それでも一人でやろうと決めた。

 ふと、絶海さんがうっすらと目を開いた。

「……朱莉、……」

「絶海さん、起きられる? ご飯食べて、お洋服かえて、あと……」

「……一人で無理するなよ……」

 なんのことかと聞きたかったけれど、その前に絶海さんの目は閉じていた。スウスウと眠っている。ぎゅうと手を握っても起きてくれない。

「……無理してるのは絶海さんじゃないの……」

 アイドルやるなんて言ったのは怒られたかったからなのかもしれない。でも彼は怒らないのだ。少なくとも私にだけは絶対に怒ってくれない。

「……ごめんなさい」

 絶海さんの頬をつつく。その日はもう、起きてくれなかった。




 放課後の空き教室で練習していると、コンコン、と扉がノックされた。振りむけば優弥ゆうやさんだった。

「なにか手伝おうか?」

「ウウン、私一人で出来る」

 文化祭で私に与えられた時間は三十分。歌うのは三曲だ。大したことじゃない。

「元は俺のせいでしょ?」

「選んだのは私」

「……手伝わせてくんないの?」

「優弥さんは、……どうしてあんないじわるしたの?」

 優弥さんは少し黙ってから「あなたが俺から逃げるから。そうでもしないと話せないじゃないか」と言った。それはたしかにそうだと思い「ごめんなさい」と謝った。

「……浜町のステージ見てたよ。すごく格好よかった」

「そう? ……ありがとう」

「あんなのバズるに決まってる。叔父と姪で、顔もよくて、声もよくて、あんな格好いいんだもん……ひでえの。そんなの俺じゃ勝てないよ」

「……人に色々言われるのが嫌だったから付き合ったんでしょ?」

 私がそう言えば彼は眉を下げて「違うよ。そんなの口実だ」と嘘をついた。

「ねえ、朱莉さん」

「なあに、優弥さん」

「文化祭終わったらちゃんと告白したい。聞いてくれる?」

 優弥さんは真っ赤な顔をしていて、それを見ると胸がドキドキと騒ぐ。

「……駄目よ」

「どうして?」

「高校の間は誰かと付き合ったりしない。恋なんかしたら私のことを心配してくれている人たちを裏切っちゃいそうだから……」

 優弥さんは眉を下げて笑う。

「なら、待たせて。俺はちゃんとするよ」

 そんなのもうちゃんとした告白じゃないか。ずるいなあと思いながら「ウン」と答えた。耳が赤くなっている自覚はあった。




 文化祭当日。

 中庭の片隅に作られた簡易的なステージの裏には簡易的なテントが張られている。そのテントは次の演目の人間の控え室となっている。私は一人テントのなかで深呼吸をした。

「……怖くない。大丈夫。失敗したって失敗しただけよ。私は……大丈夫」

 舞台衣裳はこの間のワンピース。それから絶海さんのジャケットを借りた。大きくて袖も丈もなにもかも余るけどお守りだ。

「顔面と声はいいんだから……大丈夫。倒れたなら立ち上がればいい……」

「次、桜川さん、いけますー?」

 司会の人に声をかけられた。深呼吸をしてからテントを出ると舞台に進んだ。

 爪先から頭の先までドキドキしている。マイクを握った手から汗をかく。きゃあきゃあと騒がしいのは観客なのか、私の胸なのか。背中がじんわりと汗をかく。

「一年六組桜川朱莉です。今日は三曲歌います。よろしくお願いします」

 自分の声が震えていることがわかり、心臓がうるさく騒ぎだす。こわい。裏返ったらどうしよう。外したらどうしよう。間違えたらどうしよう。こわい。こわい。

 震える手でジャケットの袖を握りしめると、絶海さんのお香の匂いがした。

 深呼吸をしてから、私はマイクを握り直す。

「……これは、私たちの物語、……」

 す、と腹の奥まで息を吸う。そうして思いきり歌い出した瞬間に、――大丈夫、成功する、――とわかった。やけに世界がゆっくり見えて、やけに世界が綺麗に見える。舞台には私だけ。足元で手拍子する観客もやけに遠く感じる。今、私、多分、世界で一番だ。妙に心が高まり、それに体が追い付いている。――歌い切ったとき、ぱたぱたと汗が落ちる。ヒュウと喉の奥が鳴った。観客は皆静かに私を見上げていた。

「……ありがとうございました」

 私が頭を下げた瞬間、爆発したみたいに拍手が襲いかかってきた。足から力が抜けそうになるのを必死にこらえて「ありがとうございました」ともう一度挨拶をしてステージをおりてテントに戻った。

「アンコールされてるけど、やれる?」

「無理です……」

「あはは、お疲れ」

 司会の人が次のバンドを紹介している間に汗をふき、テントからそっと出る。汗だくだ。急いで女子更衣室に向かおうとしたら、トン、と背中を叩かれた。

「朱莉さん、お疲れ」

 振り返ると優弥さんだった。

 彼は肩で息をして、少し汗をかいていた。それだけで彼が私のステージを観てくれていて、そうして終わったら走ってきてくれたことがわかった。

「……私、ちゃんと歌えてた?」

「素敵だったよ。また高嶺の花だ。どんどん遠くなって、俺には手折れない人になってしまいそう」

「そんなことないわ!」

 つい大きい声を出してしまった。

 こんなのはもう好きだといったようなものだ。でも彼はからかうことはなく黙って私の腕を軽く引いて、私のことを抱き締めた。

「……汗くさいからよして」

「抱き締められるのはいいの?」

「……恥ずかしい」

「恥ずかしいだけ? イヤじゃない?」

「恥ずかしいこと聞かないで……」

 優弥さんからはマスカットみたいな匂いがした。彼の使っているワックスの匂いだ。彼は「キスしちゃ駄目なんだよね?」と笑う。そんなふざけたことを言うくせに顔は真っ赤で、私もつられて赤くなった気がした。

「駄目よ」

「……どうしても?」

「駄目ったら。もう一回言わせたら嫌いになるからね」

「……ハ、そういうところいいな。……ごめんね、意地悪たくさんして……」

「……いいのよ」

 背伸びをして優弥さんの頬にキスをした。

「男の子のそういうところは可愛いと思うわ」

 私が笑うと優弥さんはなんとも言えない顔をして「ズルイ」と言った。こっちの台詞だと思いながら彼の腕から抜け出し、舌を出す。

「でもスケベな人は嫌い」

「ごめんってば……、でもズルいのは朱莉さんの方だ」

「ついてこないで。私、これから着替えるんだから」

「じゃあ更衣室の前まで。まだ話したいんだよ」

 ステージの脇を通って校舎に向かおうとしたとき、校門の方から悲鳴が聞こえてきた。それは誰か有名な人が来たというような悲鳴ではなく、危ないことが起きているような響きだった。なんだろうと思っていると、不意にその音の正体が中庭に現れた。

 一台の車だった。

 その車は人も物もなにもかもを気にもしないでフルスピードで校庭にはいってきた。その車は、まっすぐステージの方、つまりこっちに向かってきている。

「朱莉さん!」

 優弥さんが私の腕を引いて、ステージの裏に回った。彼は私をテント押し込むと「隠れてて! 出てきちゃ駄目だよ!」と言って、自分は外に出た。外から彼の「警察と救急をお願いします。学校の中庭まで暴走車がつっこんできたんです。学校は……」と電話をかける声がする。奥から悲鳴が聞こえる。耳をつんざくようなブレーキ音と、なにかぶつかるような音、ハウリングするなにかの音。

「……ど、うしよ、……」

 あれは危ないということしかわからない。震える手でなんとかジャケットにはいっていた携帯を取り出して、電話をかける。ワンコール、ツーコール、……。

「起きてよ、絶海さん、起きて……」

 ガアンとひどく近くでなにかがぶつかる音がした。私は咄嗟にジャケットのポケットにスマホをしまった。その、次の瞬間、テントに誰かの腕が入ってきた。

「見つけた」

 あ、と思ったときに捕まれていた。

 私の腕をつかんだその人は、どこか絶海さんに似ている顔をしていた。彼は私の頭に袋を被せると、私を担ぎあげ、抵抗する間もないほどあっという間に私をどこかに投げ入れた。

 いやどこかなんて明白だ。だってこんなにエンジン音がうるさい。

「親子でドライブしようぜ、朱莉」

 なすすべなく私は拉致されていた。

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