花苗

 私の体はいつも以上に俊敏に動いて、追いかけてくる上代くんから逃げている。

「待て!」

 彼は背中の翼を広げて空を飛び、私の頭上へと迫ったが、それに気づいた私の体は素早くかわして、民家の屋根に登った。

「くっ」

 取り逃し、体勢を立て直す彼、一方で私の体は腕から流れている虹色の血を舐めるほどの余裕を見せている。

「お前、やっぱ弱いや。あそこにでも休んでろ」

 そう言って私は髪の毛の触手を伸ばして、彼を捕らえた。

「やめろ。離せ」

「おお、おお、おお、いい威勢だこと。じゃあ、投げつけちゃおうっと」

 すると、私は触手を振り上げてから彼を離した。その勢いで上代くんは宙へと投げ出され、直後、街路樹の枝に胸から突き刺さった。枝が、彼の胸を貫通する。

「ぐはっ!」

 上代くんは、虹色の血を口から吐いてそれから気を失った。そんな、彼は死んでしまったのだろうか。半分の視界では、状況がうまく判断できない。


「大人しく、そこで寝てろ」

 私を乗っ取った、クラーケンはこう吐き捨ててから家々の屋根上を歩き始めた。こいつは私をどこへ連れて行くつもり。そんなことを思っているとクラーケンは私に対しての独り言を言った。

「お前の頬から人の唾の感触がする。そいつを食えば、お前の体は完全に俺の手中に収まる。だから俺は匂いをたどってそいつの家まで向かっている」

 まさか。そんな、そんなのやめて。花苗を、私の大事な人を食べないで。

「そう言われても困るよお嬢ちゃん。俺はようやく現実に出てこれたからね。人を食いたくて仕方ないんだよ」

 こいつの言っていることは到底理解できないものだった。許せなかった。

「まあ、いいさ。どうせお前の人格も娘を食えば消えて無くなる」


 私の視界に、花苗の家が見えてきた。開けっ放しの窓から眠っている花苗の姿が見える。

「ここか」

 そういうなり、私の体は勢いよく、彼女の寝室に飛び込んだ。その衝撃音で花苗は目覚めた。

「み、湊。その格好と髪の毛どうしたの?」

「お前の大事な人はこの俺がいただいた。俺は今からお前を食う」

 クラーケンは私の声で堂々と言い切る。それを聞いて彼女は危険を察したのか表情が険しいものになった。

「湊に何をしたの?」

「こいつの体を使わせてもらっている。もうこいつの意識はもうそんなに残っていない」

 それを聞いた彼女の顔はさらに険しいものになった。

「返して、私の湊を返して」

「それは、できませーん。じゃあ、食わせてもらうよ」

 そういうと、私は髪の毛の触手で、口を塞ぎ、手足を拘束して、ベットの上に強引に寝かした。彼女のうめき声が聞こえる。一方で私は自分の手で彼女の服を剥ぎ取り始める。

「服ごと食うと食感が悪くなる」

 そう小声で言いながら私は彼女の服を剥ぎ取り終えた。

「さあ、ディナーの時間だ」

 やめて、やめて。そう心の中で叫んでも声には出ない。動いて欲しい傷だらけの腕も思い通りに動いてくれず、彼女を襲う自分の体を見て私はただ絶望の中に立っていた。


 私は絶望の中で意識が消えて行くのだろうか。そんなことを考えていると視界がどんどんぼやけて来た。ああ、本当に死ぬのか。もう少し上手に生きてみたかった。今日だって本当は、上代くんのことを庇いたかったし、男子とうまく喋りたかったし、花苗と、花苗と、本当は、あの勢いでキスをしたかった。

 それはもう叶わないのかな。心が絶望に染まる。でも、なぜだかぼやけていた視界が戻り始めた。すると目の前には苦しんでる花苗の姿があった。

 ああ、許せない。こんなことをする化け物が、私は堪らなく許せなくなって来た。私の、私の大事な花苗に何をするんだ。そう思った途端に急に力が漲ってきて、私は自分の動きを封じた。

「な、なにをするお前。う、動けない!」

 私の右目に涙が溢れる。彼女に手を出すな。私は全力の思いをこの化け物にぶつけ始めた。

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