KO-CHO-U
aza/あざ(筒示明日香)
KO-CHO-U
「思うのよ。今、ここが、この世界が、……────実は夢なんじゃないかって」
そんな前下りで始まったのは、少し不思議な哲学だった。
「『胡蝶』って話、知ってる? あ、私の名前じゃないよ?
“人間で在るのが夢なのか、蝶で在るのが夢なのかわからない”
って、そんな感じの話」
「……聞いたことは有るけど」
そもそも、こんな普通の居酒屋チェーン店で、こんな話をすること自体が有り得なかった。
僕が彼女を誘ったのは、僕を好きだと言う彼女が僕以外の他の男に愛を告げられながら、尚且つ誘われていたからに他ならない。
僕だって彼女が気になっていたし。
素直に僕を好きだと言っては認めてくれ、それを押し付けたりしないままに僕に笑顔を向ける彼女は、顔の善し悪し(勿論僕からすれば好いに決まっているけど)|拘(かか)わらず可愛く思えた。
そんな彼女の予定を攫うべく、僕は彼女と約束を取り付けた訳だけど。(元より、彼女が僕以外の男の優待に乗るはずが無くても)
まさかこんな話になるとは。
「私ね、時々莫迦げてると思うけど、考えちゃうの。この、今こうしてるのは“夢なんじゃないか”って」
「そんなコト……」
「うん。『有る訳無い』って言いたいよね? でも思うの。ここは《夢》で、私は[現実]ではヒトリ寂しく眠り続けているんじゃないかって」
……勘弁してくれ。
彼女の話がじゃない。彼女の言うのが本当だったら、僕はどうなるんだ?
《夢の中》の“住人”。
ふざけろ。
じゃあ、彼女が言うここが夢なら僕に対する彼女の『想い』も嘘?
それは……嫌だな。
「ね、」
何だか焦ってしまう。コレが俗に言う『焦燥』?
「じゃあさ。もしそうだとしても……───夢だとしても。
目が醒めたならまた、僕を捜してくれる?」
彼女が僕を見付けてくれたから、僕も彼女に気が付いた。それで今の(居心地の好い)関係だから。失いたくないから。
だからかな? 僕はそんなコトを口走った。
最初、彼女は僕の顔を見詰めながらきょとんと、目を見開いていた。次第に見返す目はそのままに笑顔をくれた。
僕が一等好きな、笑みを。
「うん。約束する。でも、」
僕が欲しかった、答えと少し違った台詞と共に。
「───パターン終了。システム、スリープモードに移行します」
機械のような人間の声と共に、僕は重たい鉛のような目蓋をゆっくりスライドした。
開いてまず見えたのは明るいライトを付けてある、白い天井。最早海に下ろされた錨のように、掛けるものの無い医療用のような形のベッドに縫い付けられていた体を緩慢に起こす。
途端巻き付いていたコードが邪魔臭くて、ぶちぶちと外していく。
起き上がって、一番に見えたのは知り合いの男だった。
「お早う。って、言っても夕方だけどな。どーだった? [バーチャリティシステム]の様子は」
「……お早う。問題は無さそうだよ。みんな正常に稼動しているみたい。“東京”も、相変わらず」
男は、僕の返答に苦笑しながら付け足した。
「正常に稼動し過ぎるのも問題だがな。……ほれ、今回の『システム帰還拒絶者リスト』」
渡された書類にはづらづら名前と、その本人と思しき写真が載っている。
「こんなに帰ってきてないの?」
「中には古い日付のも在る。アレだ。ようやく認知された人たちが載ってるって訳だな」
僕のぱらぱらめくる手が、会話といっしょに止まった。
「? どうしたんだ?」
「この|娘(こ)、会ったんだ」
「どれ?」
今まで僕から離れて機械の調子を見ていた男も、僕の様子のおかしさに近付いてきて書類を覗き込む。
「この、|娘(こ)……」
僕の指差す表面の印刷文字。形取っているそこに在ったのは。
「じゃあさ。もしそうだとしても……───夢だとしても。
目が醒めたならまた、僕を捜してくれる?」
「うん。約束する。でも、」
笑っている彼女が浮かぶ。そして沈むように消えては、また浮かんだ。
僕の指先はただ人差し指を立てて紙の上に触れているに過ぎないのに、ふるふると微かに振動していた。
直視、してもいたくないのに。目を、逸らすことが出来もしない。
《バーチャリティシステム》とは、世界で開発されたもう一つの僕らの生活空間だ。
先の星の酷使で、人間は小さな室内での営みを余儀なくされた。食事も栄養素を溶かした液体から摂取する形になったし、バリエーション有る趣味を持てる程の余裕的な空間も無い。勿論そんな世界で、楽しいはずが無い。
ゆえに、このシステムは作られた。
一昔前の地球の世界が、そっくりと描かれている。脳を直接刺激して感覚も本物そのもの。まるで生活をしているのと変わらない訳だ(ちなみにシステムでの記憶は現実(コチラ)でも在るが、現実(コチラ)での記憶はシステムでは無い)
大規模な『現実逃避』だった。
そして全世界に普及してしまったこのシステムの大きな問題。
システムを利用した人間の内殆どが、帰ってこなくなった。
システムに比べたら確かに[現実]など直視に堪えられるものじゃない。
気持ちは、各国各研究所内のシステム管理室に所属されている管理人たちだって痛い程わかっている。
しかし国や政府としてはこれこそ問題なのだ(とうに国や政府などの概念は廃れているくせに)
このままでは、皆が皆破滅へのカウントダウンを始め兼ねないからだろう。慌てているのだ(破滅へのカウントダウンが始まったのはとっくの昔だとは気付かずに)
僕ら《管理人》はシステムの管理の傍らその研究も任されていた。
だから管轄地域の《帰還拒絶者》と言われる帰らない者たちのリストはここに流れてくる。
僕は東京地区を担当。一応ここは日本の土地だからだそうだ。
翌日、僕はあるセクターへと向かった。
《帰還拒絶者》の収容されている施設へ。
手には、昨日貰ったリストの、個人データを抽出、拡大したモノを握って。
施設の廊下を歩いて、とある一室の前に立ち止まる。
室内へと静かに歩み入ると、ベッドが一つ中央に。
管が、昨日自分に巻き付いていたのとは比べものにならない程絡み付いている。
その様は、まるで蔦に囚われて雁字搦めにされたようにも見えた。
「……。ごめん。待てなくて来ちゃった。でも良いよね? あっちでは僕が見付けてもらったんだもの。やっぱり[|現実(こっち)]でくらい、僕が捜すよ」
管の向こうに、ベッドに括られた患者の名前プレートが覗ける。
────“|小蝶(こちょう)”。
胡蝶。
彼女の名前。
書類に刻まれた名前。
「───うん。約束する。でも、夢の中なら、私起きたくない。あなたに会えなくなるしね」
じわりと浮かんでは、弾けるように消える、きみの笑顔と、言葉と。
叶うならもう、目醒めたくない。
僕も、そう実感した。
【Fin.】
KO-CHO-U aza/あざ(筒示明日香) @idcg
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