普通のデート

 電車に乗り込み座席に座ると、桐子は相沢と同じクラスだったときのことを話してくれた。桐子がクラスメイトと打ち解けていなかったということは相沢から聞いていたが、桐子も自分に話しかけてくれていた相沢に本当は感謝していたという話は初めて聞いた。しかも、そのことが僕に話しかけるきっかけにもなったのだと言った。

 秋葉原へ行ったときと同じように、乗り換えのために千葉駅で一旦電車から降りた。前回はここで人身事故が起こってヘヴンズ・アゲインが発動し、僕たちは喧嘩別れをしてしまった。桐子もそのことを思い出したのか、気まずそうに困り笑顔を浮かべた。

「あのときから禁断症状は起こらなくなったの?」

「うん。頭痛もなくなったし、みどりの幻覚も消えた」

「そっか、良かったね」

「良かったのかな」

「もちろん人が死んだことは良くないけど、幻覚が見えなくなったのは良かったよ」

 桐子が本当の恋人だったら、そう思うのもおかしくはない。自分の彼氏が初恋の人の幻覚を見続けるなんて、たまったもんじゃないだろう。でも桐子は僕の彼女ではない。どうしてそんなふうに思うのか、よく分からない。僕の視界に何が映っていようが、桐子には関係のないことのはずなのに。

 電車を乗り換えたあとも僕たちはお喋りを続けた。黒月が死んでから会っていなかった期間、お互い何をしていたのか。車内はそれなりに混んでいたから、僕たちが殺人をしたということは周りに分からないように話をした。

 桐子の母親は黒月が死んでも泣いたり悲しんだりすることもなく、どちらかといえば放心することが多くなったらしい。相変わらず不可解な家族だが、生活に大きな支障はきたしていないそうだ。

「仲良くなれたわけじゃないけど、これからは私のことも少しは見てくれるようになる……かもしれない」

 桐子は遠い目で窓の外を見て、ちょっと寂しそうに言った。僕は空気を変えようと思い、僕のクラスにいるときの相沢の話をしてあげることにした。僕と桐子の共通の話題は殺人と勉強の話しかないとかつては思っていたけれど、相沢がいたじゃないか。

「デート中なのに、他の女の話?」

 桐子は僕をからかいつつも、楽しそうに話を聞いてくれた。

 そのあとも僕たちの会話が途切れることはなかった。秋葉原に行ったときは何を話せばいいのか分からなくなってしまったけど、今日は自然に喋ることができている。MDプレイヤーは一応持ってきているが、使うことはないだろう。今の僕たちには、誰かの歌で空白を埋める必要はなくなったのだから。


 午前十一時半頃、海浜公園の最寄り駅に着いた。相変わらず空は灰色だけど、雨は振っていない。夏休みなだけあって、駅前から海浜公園に続く道には様々な年代のグループが行き交っている。家族連れやカップルもいれば、友達同士ではしゃいでいる子たちもいる。僕たちも典型的なカップルの一組として、目的地に向かって歩き出した。

 大きな石畳の橋を渡るとちょっとした広場のようなスペースがあり、屋台がいくつか並んでいた。桐子がその中からタコ焼きを食べたいと言い出した。

「私、スタンガンのお金出してなかったから、これは私が買ってあげる」

 五千円のスタンガンと数百円のタコ焼きじゃどう考えても釣り合わないけど、スタンガンの値段のことは黙っていてあげることにした。

 八個入りのタコ焼きを一つ買い、僕たちはベンチに座った。食べる数は必然的に一人四個ずつだ。桐子はそのうちの一つを「はい、あーん」と言って僕に食べさせようとしたが、丁重にお断りさせて頂いた。

「次は水族館に行こう」

 桐子は海浜公園の施設の一つである水族館の方向を指差して言った。よく考えたら水族館の前でタコ焼きを売るのはいかがなものかと思ったけど、そんなことを気にするのは僕だけなのかもしれない。

 少し歩くとすぐ水族館に着いた。列に並んでチケットを買い、人の流れに混じりゆっくりと歩いていく。

 館内は、薄暗い照明とライトアップされた水槽によって別世界のような雰囲気が演出されていた。生き物が生息する海域によってエリアが分かれていて、客はそれぞれの水槽を眺めては進み、眺めては進みを繰り返している。

 桐子も色とりどりの魚や海の生物に夢中になっているように見えた。

「人類がみんなイソギンチャクになったら、世界は平和になるかもしれないのに」

 相沢の犬にも興味を持っていたし、結構動物好きなのかもしれない。

 僕の方はというと、それほどテンションは上がらなかった。というより、見ていくうちにだんだん気分が悪くなってきた。

 サメ、マグロ、貝、タツノオトシゴ、マンボウ、エンゼルフィッシュ、エビ、カニ、ヒトデ、ナマコ、ペンギン、ウミガメ、イカ、それから、幸運にもタコ焼きにされなかったタコ……。水族館には色々な種類の動物が展示されていて、人間がそれを鑑賞している。それが僕の目には、動物が動物を鑑賞しているように見えてしまうのだ。

 動物に意識というものがあるのかどうかは知らないけど、少なくとも人間の言葉を用いて思考をしていないのは確かだ。だから、人間は動物の心というものを上手く想像することができない。それと似たような感じで、僕は他人の心を想像することができなくなっていた。他人がただの映像、あるいは心のない物体に見える現象。今日はなるべく意識しないようにしていたのに、今それをひしひしと感じている。桐子の人類イソギンチャク化発言のせいかもしれない。

 相沢の姿を思い出してみる。彼女はコーギーとかいう足の短い犬をリードで引っ張っていた。僕は犬に自分と同じような心があるとは思えない。それと同じように、相沢にも心がないように思えてくる。だから動物が動物を紐で引っ張っているようにも見える。

 心なき者たちが、水槽に閉じ込められた心なき者たちを見て楽しそうなふりをしている。そんな光景を延々と見せつけられ、気持ちが悪くなった。

 展示を一通り見終わり出口付近まで来たところで、京極桐子という物体が僕の顔をじっと見た。

「なんか気分悪そうだけど、大丈夫?」

「大丈夫、ちょっと人酔いしただけだから」

「これだから田舎者は」

「……自分も同じでしょ」

「あそこでお昼ご飯にしよ。まだタコ焼きしか食べてなかったし」

 桐子の人差し指の先を見てみると、水族館の出口の手前に館内レストランがあった。僕たちはそこで少し遅めの昼食をとることにした。

 桐子はミートソーススパゲッティ、僕はマグロカツカレーを注文した。ちなみにタコ焼きは館内レストランでも売られていた。

 同じ生き物でも水槽で展示されることもあれば、レストランで人間に食べられてしまうこともある。たまたまカツにされてしまったマグロ、たまたま焼かれてしまったタコ、たまたま公園で潰されてしまった蟻、たまたま殺されてしまった人間……。理不尽な暴力に晒されてしまえば結局全ては無になってしまうのだ。だから心があろうとなかろうと、五感があろうとなかろうと、最終的にはどっちでもよくなるんじゃないのか。そんなことを考えながら、マグロの死骸を食べ尽くした。

「あなたって、本当にまずそうに食べるのね」

 またもや桐子が僕の顔をまじまじと見て言った。

「えっ、別にそんなことないよ」

 僕の脳に送られてきている味覚の情報が正しいものであれば、これは美味しい食べ物だとは思う。

「逆に面白いからいいけど」

 桐子は豚の肉片が混ぜられたスパゲッティを、本当に美味しそうに食べていた。

 食事を終えて水族館の出口へ行ったところで、僕たちは足を止めた。外ではもう雨が降っていたからだ。

 バッグから黒い折り畳み傘を出して開く。すると、桐子は自分の傘を出さずに僕に近づいてきた。

「ねぇ。傘忘れちゃったから、入れて」

 妙だなと思った。駅前で待ち合わせたとき、傘を持って来たかどうか尋ねたら「大丈夫」と言っていた。確認もせずにはっきり答えられるだろうか。本当はちゃんと折り畳み傘を持っているのかもしれない。でも僕にとってはどちらでもいいことだ。桐子のバッグの中をあらためる気もない。

「うん、いいよ」

「ありがとう」

 桐子は隣から折り畳み傘の下に入り、至近距離で囁くように言った。

「それじゃあ……」

 彼女の腕の一部が触覚を通して感じられる。彼女の目と耳と鼻と口が、僕の視界に大きく映し出されている。

「そろそろ、海へ行こうか」

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