人間とは
自分と同じような人間が他にもいたのか――。
まるで脳天に隕石が降ってきたかのような衝撃を受けた。
それだけならまだいい。だが、黒月の言っていることはさっきからめちゃくちゃだ。
僕はたまらずに叫んだ。
「こ、殺すためにわざわざ子供を作るなんておかしいだろ! 禁断症状を抑えたいなら、別にそのへんの通行人でもいいじゃないか! 効率が悪すぎる!」
僕の言っていることも大概酷いが、今の僕に言葉を選んでいる余裕はない。
「あー、まあそうくるよな。そこはただのこだわりだからな。理解されるだなんて思ってねえよ」
黒月は頭をポリポリと搔いた。
「俺の美学なんだけどよ。お前の表現を借りるならば、自分で摂取する魂は自分で作りたいんだ。俺自身の運命だからな。自分と無関係の奴を壊そうとは思わない。こういう言葉あったよな。なんつったっけ」
「もしかして、自給自足のことか……?」
「そう、それそれ! さすが学生だな!」
黒月は薄く笑いながら、両手の人差し指で僕を指差した。そのふざけた態度に、はらわたが煮えくり返る。こんなんじゃ、みどりがあまりにも救われない。
僕の脳裏に、最後に会った日のみどりの笑顔が蘇る。
「あの子は、お前が帰って来るのを待っていたんだぞ! 花を摘んで、お前にあげようとしてたんだぞ!」
「……別にいらんが」
黒月は心の底から興味なさそうな顔で言った。
「あ、そうか。お前があのとき一緒にいたガキか」
久しぶりに親戚の子供に会ったかのような笑顔を浮かべ、クックックと声を漏らす。
とうとう、僕の怒りが爆発した。
「お前は自分の子供を、人間を何だと思ってるんだ!」
「えぇ? 今その話するぅ?」
今度はいかにも面倒臭そうな口調だ。
「そんなこと、大昔から哲学者やら科学者やら宗教家やら医者やら作家やら政治家やら、みーんなで議論してきたんだよ。もう結論なんて出ねぇよ」
やれやれというふうに両の手のひらを上に向ける。
「ま、俺の意見を言わせてもらうならば、人間なんてのはただのモノだ」
「……なんだと?」
「映画や小説でもよくネタにされてるだろ? 感情は電気信号ってやつ。神様から見りゃ、物体がエネルギーで動いてるのと何ら変わらん」
「神経と信号の話なら、一学期の授業で習ったよ……」
「更に言えば、お前が今見ている、認識している世界なんてのは、お前の脳が受け取ったただの情報だ。五感による情報。それらが全て間違っていたとしたら、本当の世界がどうなっているかなんてお前には分からん。このへんも議論し尽くされたことだがな」
五感の問題は期末テストでも出た。が、話が思わぬ方向へ進もうとしている。
「な、何の話をしている……?」
「本当の世界は一次元かもしれないし、二次元かもしれない。アニメのようにペラペラかもしれないし、文字だけで表されているのかもしれない。でも結局、お前はお前の五感で受け取った情報しか知ることができないんだ。それがこの世界であり、他人というものだ」
「意味が分からない、話を逸らすなよ」
「うーん、中学生にも分かるように話してやるか」
そう言って、ポリポリと頭を掻く。
「例えば桐子の頭がパックリ割れるのと、大岩が雷で割れるの、この二つの現象に大きな違いなんてあるか?」
またろくでもないことを……。
桐子はさっきからずっと黙っている。自分の父親が想像以上に恐ろしい奴だったから、恐怖で喋れなくなっているんだろう。
僕は桐子を庇うように声を上げた。
「全然違うだろ! 桐子にも五感があるんだぞ!」
「なぜそう言い切れる?」
「は?」
「お前から見て、桐子に五感があるとなぜ言い切れる? 岩には五感がないとなぜ言い切れる? 感覚を共有したとでも言うのか? お前の五感が認識している桐子はただの物体で、五感なんてないかもしれんぞ。心があるように見せかけているだけかもしれんぞ。それはお前には確かめようもないはずだ」
思わず桐子を見た。桐子も僕に目で訴えた。そんなことはない、自分にも心がある、信じて、殺さないで。そう嘆願しているように見える。
僕たちが言い返せなくなったので、黒月は話を続けた。
「だから俺たちは、自分の五感を満足させることだけを考えてればいいんだよ。第一、俺に殺されるために作られた存在なんて、人間といえるのか?」
なんなんだよ、こいつは……。なんで自分の子供の前で、そんな残酷なことをペラペラと言えるんだ……? こいつこそ人間じゃないだろ……。
理不尽な悪意を突きつけられ、僕も絶望しそうになった。いや、これは悪意ですらない。たぶん黒月は純粋にそう思っているんだ。自分が悪だなんて感じていない。だから余計にタチが悪い。
しかし、黒月は尚も語り続ける。
「子供を作るということは、人間を作るということだ。そして、人間作りとはただのモノ作り。俺にとっては、禁断症状を抑える媒体を作っているだけのことだ。他人というものがただの物質、あるいは脳が認識している情報の集合体だとしたら、別に壊しても問題ないとは思わんかね? ましてや、俺の子供は俺が作ったモノ。どうしようと俺の自由だ」
「……産んで育てたのは、お前じゃなくて母親だろ!」
「俺がそうさせたんだ。そうなるようにプログラミングした。だから俺が作ったも同然だ」
プログラミング――。
そういえば、この男は桐子にもプログラミングしてあると言っていた。真意は不明だが。
「プログラミングとは何のことだ?」
「……分かりやすく言えば、話術、心理学、洗脳、そんなところか。が、俺はプログラミングという表現がしっくりきている。さっきも言った通り、人間の心なんてものはただの情報と信号だからな」
黒月はそこで、ふうっと一呼吸置いた。僕たちは黙って話の続きを待った。
「もちろん口先だけでは人間を完全にコントロールすることはできない。で、俺の場合はコードの代わりにトラウマを使う。心に深く突き刺さったトラウマは、頭や理性だけではどうにもできないからな。そのトラウマを軸にすれば、俺の思い通りに動く心を構築することができる」
トラウマだと? 黒月の女たちは黒月に何かされたから、言いなりになっているということか?
そして、桐子にもプログラミングをしたと言った。こいつは桐子に一体何をしたんだ――。
「勘違いするなよ。これは誰にでもできることじゃねえ。高度なテクニックが必要だ。俺だからできるんだ。ま、やり過ぎて相手が壊れちまうこともたまにあるけどな」
そんなことは、もうどうでもいい。
「あー、喋り疲れたから終わりにしていいか?」
僕も、もう疲れた。
「そうだな……」
「要するに俺が言いたかったのはだな。人間はただの物体、人生は電気信号の蓄積、全てはただの物理現象。はい、この話終わり!」
終わるのは、お前の方だ。口を閉ざしたままそう思った。
いくばくかの沈黙。
自分が何をするべきなのかはもう分かっている。だが、黒月には最後に訊かなければならないことがある。
「一つ教えてくれ。僕とお前に起こる禁断症状。これは一体何なんだ? 治せるのか?」
「ただの精神病だ。治った例は今のところない。症例は世界的にもかなり少ないが、どうやら死に魅せられた者が発症するらしい」
死に魅せられただと? 僕はみどりが死ぬ場面を目撃したとき、負の感情以外の刺激も受けていたのだろうか。
「僕は……死に魅せられてなど、いない……」
「でもお前今、こいつなら殺してもいいって思ってただろ?」
ああ、その通りだよ。
「それが全ての答えだ。実際お前らは俺を殺すためにここまで来た」
全くもってその通りだ。
黒い風が吹いてきて、墓地から林へ通り抜けていった。瞼を閉じて体中でそれを感じようとする。
黒月は僕たちがどうするのか伺っているようだったが、また話し始めた。
「殺していい人間というのは、確かに存在する。ただその基準が人によって違うだけだ。だから、人を殺しちゃダメだなんてくだらねぇことは言ってくれるな」
今更善人ぶるつもりはないよ。僕とお前は同類だから。同じ異常者だから。
覚悟を決め、目を開いた。黒月をまっすぐに見据え、はっきりとした声で言った。
「僕から見れば、お前だってただの物体だ。だから壊してもいいんだろう?」
「そういうことだ。ちゃんと分かってるじゃねえか。講義した甲斐があったぜ」
黒月が嫌らしくニヤリと笑う。
心が落ち着きを取り戻した。頭の中は冴えていて、物事を合理的に判断することができる。
だから、今は胸を張ってこう言える。
「じゃあ、そうさせてもらうよ。僕にはもう、お前を殺す正当な理由があるから」
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