第4章
黒い月の浮かぶ夜に
黒月が桐子の家に来る日の前日、自宅に誰もいないタイミングを見計らってスタンガンのスイッチを入れてみた。パチパチッというマシンガンの銃声を軽くしたような音とともに、二つの電極の間が弾けるように白く光る。それは僕に線香花火を連想させた。といってもこの光は威嚇用で、相手に電流を流すのはもう一対ある電極の方だ。と、この前図書館で読んだ本に書いてあった。もう使うことはないと思うけど、五千円も払ったのだから、ちゃんと動くのか確かめたくなったのだ。
何回かスイッチを入れたり切ったりしてみたが、その度にスタンガンは律儀なチョウチンアンコウのように突起の部分を点滅させた。どう見ても違法な店で買ったから不良品ではないか疑問だったけど、問題はなさそうだ。
動くということは分かったので、スタンガンをバッグに仕舞った。持っているだけでもまずいから、適当なタイミングで捨てなければならない。
翌日、とうとう作戦決行予定日となった。
一昨日に千葉駅で別れて以来、桐子とは一度も話をしていない。さすがに気になって、昼頃に桐子の家に電話をしてみた。だが、長めにコールしても誰も出ず、諦めて受話器を置いた。
それから、不安を抱えながら一日を過ごした。ベッドに座り桐子のことを考えつづけた。結局、黒月を殺そうとしている本当の理由もまだ教えてもらっていない。
父親、か――。
自分で言うのも変だけど、僕は優しい両親のもとに生まれることができて良かったと思う。喧嘩したことくらいはあるけれど、父親を憎んだことなど一度もない。
それから、みどりの幻覚が消えて広くなった部屋を意味もなく眺めた。みどりの家庭はどうだったんだろう、なんてぼんやり考えてみた。
が、僕はハッと息を吞んだ。
そういえば、葬式の日に母親はいたけど、父親を見た覚えがない。ひょっとしたら父親がいないのだろうか。
いや、みどりはお父さんが帰って来たらお花をあげると言っていた。
もしかして、「帰って来る」の意味が違うのか? 毎日仕事から帰って来るっていう意味じゃなくて、長い間不在にしていたが帰って来るっていうことなのか?
父親がいない家庭の子だとしたら。それが桐子と一致しているということに、不穏さを感じられずにはいられなかった。ただの偶然かもしれない。母子家庭なんて日本にいくらでもある。葬式のとき、僕がたまたま見かけなかっただけかもしれない。でも、何か嫌な予感がしてならないのだ。
晩御飯を食べたあと、結局桐子を捜しに行くことに決めた。作戦通りなら今頃林の中で待ち伏せしているはずだ。彼女を見つけたところで何を話せばいいのかは分からない。けど、できれば彼女の犯行を阻止したい。
黒月を殺すつもりはないが、最悪の事態に備え、殺人に使う予定だったものは持っていくことにした。桐子が返り討ちに遭っていて戦わざるを得ない状況に遭遇するかもしれない。スタンガン、マスク、手袋、ゴミ袋。全部秋葉原で買ったものだ。
自分の部屋に隠していたそれらをバッグに詰め込み、リビングに顔を出す。
「今日も彼女と会って来るから」
「ああそう。遅くならないようにね」
「うん、大丈夫」
うちの門限は十時だ。それまでに帰って来ないとお母さんに怒られるし、怪しまれる。
家の外へ出ると、例の林を目指して歩き出した。
黒月の殺害場所として一緒に下見をした場所。奇襲ができるか実験をした。いきなり後ろから抱きつかれた。桐子は楽しそうに笑っていた。
あのときの笑顔とか温もりとか、そういう彼女の良いところを思い浮かべると無意識のうちに足が速くなっていった。一刻も早く彼女に会いたい。白くて綺麗な手が汚れてしまう前に止めてあげたい。黒く歪んでいる影の世界から、陽のあたる場所へ連れ出したい。
僕は焦り始めた。いつの間にか走っていた。誰もいない夜の町を、息を切らしながら駆け抜ける。
やがて墓地の横を通り過ぎ、林の前まで辿り着いた。
一旦林の奥に目を凝らし、人影が見当たらないのを確かめると、再び走りはじめた。
「桐子っ」
彼女の名前を呼ぶ。頼むから出てきてくれ。イタズラでもいいから、僕のことを捕まえてくれ。
街灯の前まで来ると、周囲の草むらに桐子が隠れていないか探してみた。でもいない。また走り出す。次の街灯まで走る。草むらを探す。桐子はいない。また走り出す。
そんなことを繰り返しているうちに出口まで来てしまった。それほど広い林ではない。この先にはすぐ近くに駅があるだけ。通り魔的殺人ができるとは思えない。
ダメ元で駅が見えるところまで行ってみたが、そこまでの道のりで桐子と会うことはなかった。包丁で刺されて倒れている男というのもいなかった。
どういうことだろう。林の方へ戻りながら頭を巡らせた。
可能性はいくつか考えられる。何らかの理由で桐子が殺すのをやめた。黒月が別のルートで帰った。そもそも黒月は今日桐子の家に来なかった。良い方向に考えればこんなところだ。理由はどうあれ、殺人は実行されなかった。僕にとっても望ましい結末。
僕はまた林まで戻って来た。薄暗い道に足を踏み入れ、思考を再開する。
悪い方向に考えたらどうだろう。殺人は実行された。ならばどこで? 僕がまだチェックしていない場所ということになる。
そう思うと、また足元から焦燥感がこみ上げてきた。
まだチェックしていない場所ってどこだよ!? 桐子の家か?
気が付けば僕は駆け出していた。
今回の作戦は草むらから奇襲をかけることが前提だった。場所が変われば状況も全く違ってくる。桐子も反撃されるかもしれない。
頼む、無事でいてくれ――。
林を抜け、墓地の角にあたる地点に着いた。走り疲れた僕は一旦立ち止まり、ぜえぜえと肩で息をした。体育でマラソンをしていたときは一体何の役に立つんだと思っていたけれど、こんなに早く思い知ることになるとは。
なんとか呼吸を整えたところで、右手側にある袋小路が目に入った。桐子と下見に来たときは、黒月が通らないということで確認しなかった場所だ。
もしかしたら、黒月をこっちにおびき寄せたのではないだろうか。どうやってそうしたのかは想像もつかないけれど、駅までの道のどこにもいなかったのだから、確かめてみる価値はある。
僕は袋小路の方へ走り出した。すると、薄闇の奥に墓地の入り口らしき場所がだんだんと見えてきた。
次の瞬間、僕の鼓動が高鳴った。
入り口前の街灯の下に人がいる。桐子なのだろうか。
だが、近づいてみるとそれが桐子ではないことが分かった。この人は男だ。
男の方も僕のことを見た。
端正な顔立ちで、大人であることは確かだが年齢は読めない。二十代にも見えるし、若々しい四十代にも見える。暗めの茶髪が首の辺りまで伸びていて、毛先は外に跳ねている。身長はたぶん僕と同じくらい、百六十センチメートルほど。
そう、身長が同じ……。黒月は桐子と同じくらいの身長だと聞いた。その桐子の身長も僕と同じくらい。
身体的特徴が一致している。こいつが黒月なのか……?
どうしようか迷っていると、黒月の足元のアスファルトに何かがあるのが見えた。街灯に照らされている部分の外側だから、すぐには気付かなかった。
目を凝らして見てみる。すると女の子が一人、瞳を閉じて横たわっていた。黒髪のおさげで、白いマスクを付けている。手袋を付けていて、すぐ近くに包丁が落ちている。
血の気が引いた。
間違いない。倒れているのは僕がずっと探していた人、桐子だ――。
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