スタンガン

「え?」

 僕は思わず立ち止まった。すると、桐子は僕の耳元に顔を近づけた。

「さっき通り過ぎた店、外に並べてるガラクタの中にスタンガンがあった」

「本当に? 見間違いじゃない?」

 正面を向いたまま、目線だけを動かして桐子を見る。後方にあるその店は見ないように意識した。

「たぶん合ってる。図書館の本で見たやつとほとんど同じだった。黒いひさしの店」

 そんなバカな。まさか本当に売っているなんて。

「どうする? 買う?」

 桐子はじっと僕の目を見た。僕は少し考えてから、口を開いた。

「……僕が買うよ。桐子は女子だから、ここでそんなもの買ったら印象に残りやすい」

「分かった」

 コクリと素直に頷く桐子。僕の言うことは大抵受け入れてくれるから助かる。

「そこの十字路を曲がった先で待ってて」

「了解。気を付けて」

 そう言って、前に向かってまっすぐに歩き出し、僕が指示した通り十字路のところで右に曲がっていった。

 桐子の姿が見えなくなったのを確かめると、僕はようやく後ろを振り返った。

 通りに並ぶジャンク屋の中に、黒い布製のひさしが付いている店が一軒ある。あれが桐子の言っていた店だろう。

 緊張で鼓動が早くなるのを感じる。だが、勇気を振り絞ってその店の前まで行ってみた。

 三階建ての小汚いビルの一階部分がジャンク屋になっていて、他の店と同じく、外にも商品が置いてある。並べ方はあまり綺麗とは言えない。壁側には網目状のラックが設置されていて、小型の電化製品がいくつも引っ掛けられている。

 それらを一つ一つ眺めていくと、端っこにスタンガンが一台しれっと売られているのを見つけることができた。確かに本で見たものと同じような形だ。値札には五千円と手書きで書かれている。

 それにしても、桐子はよく歩きながらこんなものを見つけられたものだ。もしかしたらマサイ族の血が流れていてめちゃくちゃ視力がいいのかもしれない。

 とりあえずすぐにはスタンガンを買わず、他の商品も少し見てみることした。スタンガン以外にも使えるものがあるかもしれない。

 アスファルトの地面の上にはプラスチック製のボックスが並べられていて、中にはよく分からない電気製品や部品が無造作に入れられている。そのうちの一つに気になるボックスがあったので、しゃがんで見てみた。

 パソコンソフトや音楽CDがたくさん入っているが、手に取ってよく観察してみると、CDのラベルや説明書や歌詞カードの作りがどこか安っぽい。ひょっとしたら海賊版なのかもしれない。

 他には、プラスチックケースではなくビニールの袋に入っているだけのCDもあった。CDのラベルのデザインもなく、真っ白なラベルにペンで手書きの文字が書かれている。その内容を見て、僕は目を見開いた。

 そのCDには「更衣室映像」と書かれていた。危険な匂いを感じ取り、他の白いCDも確認してみたが、「盗撮」だの「ナンパ」だの「女子高生」だの、エロビデオに登場しそうな言葉ばかりが書かれていた。

 もしかしてこれはCDじゃなくてDVDっていうやつなのだろうか。僕の家にプレイヤーはないけれど、最近徐々に売れているって聞いたことがある。エロビデオのDVDということか。

 いかがわしい商品の数々を目の当たりにして、この店が何なのかようやく理解できた。

 ここはきっとヤバい店なんだ。ヤクザと繋がっているような。だから、海賊版CDや盗撮DVDや中古のスタンガンが平気で売られているんだ。

 桐子を連れて来なくて心底良かったと思った。だけどホッとしている場合じゃない。僕は今から判断しなくてはならない。この危ない店でスタンガンを買うのかどうかを。

 鼓動が高鳴り、額に脂汗が滲んだ。中学生が怪しい店でスタンガンを買うなんて、生半可な度胸でできることではない。

 それに、今まではただ会話の上で殺人の計画をしていただけで、人としてやってはいけないことはまだ何もしていなかった。でもここから先は本格的に危ない橋を渡ることになる。

 立ち上がって、一度深呼吸をする。それから、冷静に頭を働かせようとした。

 スタンガンは、買うだけなら別に違法じゃない。それは図書館の本にも書いてあった。未成年でも法律には触れない、買うだけなら。

 だから、あとは勇気だ。僕たちはこれから殺人をしようとしているんだぞ。これくらいのことは軽々と乗り越えなくちゃダメだ。

 意を決し、スタンガンを手に取った。スタンガンだけ買うというのも不審なので、乾電池も一緒に買うことにした。

 スタンガンと乾電池を持って、ようやく店内に足を踏み入れる。心臓は相変わらずバクバクしている。

 大丈夫、大丈夫だ。何かあったら走って逃げればいい――。

 店の中は文房具屋のようにこじんまりとしていて、棚にはノートパソコンやMDプレイヤーが並べられている。僕は堂々とした足取りでまっすぐに店の奥まで歩き、会計カウンターの上にスタンガンと乾電池を置いた。

 店員は四十代くらいのおっさんだ。短髪で肌の色が薄く、少し痩せている。妙に大きな目で商品の値札を確認し、にこやかな表情で口を開いた。

「五千五百円です」

 子供がスタンガンを買おうとしているのに何とも思っていないようだ。それとも、僕は自分で思っているよりも老けているのだろうか。まあ、何事もなく買えるのならそれでいい。

 財布にはちょうど五千円札と五百円玉があったので、手が震えないように集中しながらトレーに置いた。

「レシートはいらないです」

 そう言ってスタンガンと乾電池をバッグに入れ、出口へ向かった。一刻も早くここから立ち去りたい。店員の「ありがとうございやしたー」という間の抜けた声が背後から聞こえ、何かの警告のように僕の耳にこびりついた。

 外に出たあとは、歩くスピードを早めた。桐子と落ち合うために十字路を右に曲がる。すると、その先のビルの前に桐子がちゃんといた。彼女の顔を見て、僕は安堵の息を吐く。桐子もホッとした表情で駆け寄ってきた。

「どうだった?」 

「買えたよ」

「へぇ、良かった。いくらだった?」

「お金はあとででいいよ。とりあえず帰ろう。万が一、今警察に声をかけられたら厄介なことになるかもしれない」

「……分かった」

 僕たちは裏通りを抜け、大通りの歩道を歩き、秋葉原駅まで戻った。総武線の電車に乗って座席に座ったところで、僕はようやく一安心することができた。

 順調だ。まさかスタンガンまで手に入るとは思わなかった。この調子でいけば本当に作戦を完遂できるかもしれない。桐子に黒月を殺させて、魂を摂取し、禁断症状を治める。きっと何もかもが上手くいく。僕なら……いや、僕だからこそできるんだ。僕だからこそ、このゲームをクリアすることができる。

 無意識のうちにほくそ笑む。が、すぐに自覚してしまい、この気持ちに気が付いてしまった。

 僕は今まさか、のだろうか。これから殺人に加担しようとしているというのに――。

 愕然とした。いつから自分はこんな人間になってしまったのだ。仕方なくではなく、楽しく殺人に協力するような屑に。

 なんだか気分が悪くなってきた。すると、隣にいる桐子が僕の様子に気付き、顔を覗き込んできた。

「なんか顔色悪いけど、大丈夫? 公園で蟻でも潰してく?」

「そんな、ちょっとお茶していく? みたいなノリで言わないでよ……。暑さでちょっとクラっとしただけだから大丈夫」

「そう? ちゃんと水分補給した方がいいよ」

 桐子はバッグから清涼飲料水のペットボトルを取り出し、手渡してくれた。飲みかけだから少し迷ったけど、一口だけ飲んだ。冷たい液体が喉から体へ流れていき、ちょっとは気分が良くなった。

「ありがとう」

「うん。ねぇ、また一緒に音楽でも聴こうよ」

「……そうだね」

 ペットボトルを返し、MDのイヤホンを片方、手渡した。お互いの指先が一瞬触れ合う。

 それから乗り換え駅に着くまでの間、僕たちは恋人のふりをしながら音楽に心をゆだねていた。自分たちが二日後に殺人をしようとしていることなんか、網棚に上げてしまって。

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