第3章
凶器を買いにいくデート
七月二十三日、金曜日。とても暑い。
作戦決行を二日後に控え、今日は秋葉原へ凶器を買いに行く日だ。
約束の時間である午後一時、コンビニのように小さい駅に着くと、桐子が既にいて僕のことを待っていた。今日の服装は半袖のシャツと、ジーパンみたいな生地のスカートだ。桐子と会うことにはもう慣れたけど、女子と電車に乗ってどこかに出掛けるのは初めてだから少し緊張する。
桐子も僕に気が付き、控えめに頬を緩めた。
「こんにちは」
「お待たせ」
「大丈夫、行こっか」
そんな短い挨拶だけ交わしたあと、桐子は券売機の方へ歩き出した。彼女も緊張したりするのだろうか。僕にはそれが上手く想像できない。
券売機で秋葉原駅までの切符を買い、ホームのベンチに座って電車を待った。
「東京、楽しみだね」
桐子は静かな声でそう言った。秋葉原じゃなくて、やっぱり東京自体に憧れているのだろうか。陽炎が見えそうになるくらい暑い空の下で、彼女の声だけが風鈴のように澄んでいる。
「うん、そうだね」
と、僕は普通に同意した。気の利いたことは言えなかった。
やがて総武本線の電車が到着し、僕たちは空いている座席に座った。車内は涼しくて、生き返るような心地だ。
「千葉駅で乗り換えるから」
予めそう伝えると、桐子はうん、と小さく頷いた。
それから僕と桐子は黙って電車に揺られた。一緒に出掛けることになったのはいいものの、何を話せばいいのか分からない。図書館だと自然に会話ができるのに。
いつもは何の話をしていただろうかと考えてみた。殺人計画の話は、今は近くに他の乗客がいるからできない。それ以外は大体勉強を教えたり、テストの話をしていた。
僕と桐子には、殺人と勉強のことしか共通の話題がないのだろうか。そう思うと、少しだけ寂しくなった。ほんの少しだけ。
ほとんど会話がないまま、電車は千葉駅に到着した。僕たちは電車を降り、総武本線から総武線の電車に乗り換えた。この路線がなぜこんなにややこしい呼び方をされているのかについては、僕は知らない。
秋葉原まではあと五十分くらいかかる。その間何もしないまま黙っているのも辛い。僕は桐子にMDプレイヤーを貸してあげることを思いつき、バッグに入れっぱなしにしていたMD用の布製ポーチを取り出した。
「桐子。着くまでまだ時間かかるから、これで音楽でも聴いてなよ」
そのポーチからイヤホンとコントローラーを出し、イヤホンの方を桐子に手渡した。僕は特にやることがなくなるけど、二人でぼーっとしているよりは桐子の退屈だけでもなくす方が若干マシだ。
僕はMDプレイヤーを持っているわりには音楽にそれほどこだわりはない。ランキング上位のCDを片っ端からレンタルしているだけ。歌姫にロックバンド、アイドルグループ、教育テレビから流行った歌まで何でも聴く。
桐子はどんな曲が好きなんだろう。そう思ったところで、彼女はイヤホンの片側をそっと僕の耳に入れた。
「一緒に聴こうよ」
そう言って、もう片方を自分の耳にセットする。僕としては、人前でこういうことをするのは結構気恥ずかしい。
「ぼ、僕はいいよ」
「別にいいじゃん。だって私たちは」
「それはもう分かったから」
桐子がもっと恥ずかしいことを言おうとしたので、ギリギリのところで阻止した。
「じゃあ曲流してよ」
桐子はちょっと楽しそうに急かした。僕は諦めて、一つずつのイヤホンで一緒に聴いてあげることにした。
しぶしぶ再生ボタンを押し、イントロが流れ始める。その美しい旋律を聴いて、僕はしまったと思った。
一曲目からコテコテのラブソングに当たってしまった。二人でこんな曲を聴くなんてバカップルみたいじゃないか。
電車の中は涼しいのに冷や汗が垂れそうになる。だけども桐子の方は目を閉じて、流行りにラブソングに小さな耳をすませていた。
「いい歌だね」
「そう?」
「うん。私が今まで聴いてきた歌よりも、ずっといい歌」
今まで聴いてきた歌、という言い方に引っ掛かりを覚えた。これだってテレビやお店とかでよく流れている曲なのに。
だけどもそれ以上は何も訊かず、このありふれた恋の歌を聴くことに意識を集中させた。
数十分後、総武線を走っている電車が秋葉原駅に到着した。駅はとても広く出口が複数あったので、とりあえず「電気街口」という出口を目指した。改札を抜けて外に出ると、桐子は目を輝かせた。
「おぉ……」
そこは僕たちの住んでいる町とは別世界だった。高いビルが見渡す限りに建てられていて、街中には大勢の人が行き交っている。
「秋葉原は初めて来たけど、やっぱり凄いな……」
僕も思わずビルを見上げた。田舎者丸出しだ。
それから僕たちは駅から出て右方向に歩き出した。さすが電気街というだけあって、電化製品のお店がたくさんある。でもこの辺りは大型の店舗ばかりで、ジャンク屋という雰囲気ではない。
少し歩くと、車線がいくつもある大通りに出た。
「ほら、あそこ」
桐子は大通りの向こう側を指差した。その先には全国チェーンのディスカウントストアがあった。
「あそこで包丁とか買えるんじゃない?」
「そうだね、行ってみようか」
僕は桐子に同意した。目的地の一つがすぐに見つかってラッキーだ。
東京はディスカウントストアすらも七階まであり、商品も多種多様だ。僕たちは案内掲示板を見て、キッチン用品や雑貨品が売っているフロアへ上がった。
包丁にも色々とラインナップがあり、桐子はそのうちの一つを手に取った。
「これ可愛くない?」
その包丁には、刃の部分にハムスターのイラストがデザインされていた。そんなもので人を刺し殺す気なのだろうか。
「押収される場合もあるんだから、あんまり変なの買わないでよ……」
「じゃあどれにすればいいのさ」
「うーん」
僕は見た目が普通で刃の部分が一番長そうな包丁を選び、桐子に渡した。
「これでいいよ」
「千五百円かあ」
桐子は値札を見て息を漏らした。
「他のものは僕が買うから」
「他のものって?」
「手袋とかマスクとかゴミ袋とか。要は証拠を残さないために必要なもの」
「なるほど。ねぇ、包丁だけ買うのって変じゃないかな? 皮剥き器でも買おうかな」
「……剥くのは人間の皮じゃないよね?」
「いくらなんでも、そんなことしないよ」
そう言って、頬をちょっと膨らませた。
結局桐子は包丁だけ買い、僕は他の細々としたものを買った。第一の目的はこれで無事達成だ。
ディスカウントストアを出たあとは、高架下の道を、駅と逆の方向に歩いてみた。高架下には無線機の店や電子部品の店、ゲームセンターなんかもあったけど、スタンガンが売っているような店はなかった。
特に収穫がないまま進み続けると、大きな交差点に出た。
「ねぇ、あれ見て」
交差点の向こうに、高架線が横一直線に伸びているのが見えた。レンガ製で、レトロな雰囲気を醸し出している。
「ちょっと行ってみようよ」
桐子がウキウキしながら言った。
「うん、いいよ」
交差点の横断歩道を渡って近づいてみると、川が高架線に沿うように流れていて、高架線の手前に小さな橋が架けられていた。
僕たちはその橋の歩道に立ち、景色を眺めた。
微かに煌めく川の水面。赤茶色の古びたレンガの高架線。どこまでも澄み渡る夏の青空と白い雲。
特別に綺麗な場所とは言えないけれど、あちこちに高層ビルが建てられた街中でやや異質な風景を見渡すのも悪くないと思った。
「さすが東京だなぁ……」
桐子は小さな子供みたいに呟いた。おさげの髪が風に梳かれている。こんふうに二人で景色に見惚れるのは、ちょっとデートっぽいかもしれない。
僕たちが今立っている橋の道路は、高架線の下をくぐるように続いている。僕は高架線の向こう側を見て言った。
「あっちにはお店とかなさそうだね」
「うん、戻ろうか」
不思議な風景と空気感を堪能した僕たちは大きな交差点まで戻り、今度はもと来た道とは別の方向へ進んでみた。
大通りの歩道をしばらく歩いたところで桐子が言った。
「このままだと、駅からどんどん離れちゃうよ」
「そう? じゃあ右に行ってみよう」
迷子にはなりたくないので、一旦駅のある方角へ軌道修正することにした。大通りから外れ、ビルや店舗の合間にある道に入る。すると、ようやくジャンク屋らしき店があるのを見つけることができた。
「あれが桐子の言っていたジャンク品じゃない?」
「やっと見つかったね」
青い看板。ビルの一階部分だけが店になっていて、露店のように外にも商品がたくさん並べられている。プラスチック製の大きい箱やワゴンの中は、よく分からない基盤や部品でいっぱいだ。
「すごいね。何の部品だろう」
桐子が商品を適当に漁りながら言った。
「パソコンじゃないかな。自作用の」
「えっ、パソコンって自分で作れるの!?」
「そうらしいよ。僕も詳しくはないけど」
「さすが東京……」
桐子の中では、何があっても「東京だから」という理由で納得できるようだ。
それから店の商品をざっとチェックしてみたけど、スタンガンはなかった。というより、パソコンとそれに関する部品しか置いていないようだ。
用は済んだので、外に出てまたぶらぶらと歩き出した。十字路のところで左右を見渡してみると、その道にはジャンク屋がいくつもあるということが分かった。
僕たちはさっそく、手当たり次第にスタンガンを探し始めた。が、なかなか見つからなかった。どの店でも置いてあるのはパソコンや無線機の部品、MDプレイヤーなどの普通の電気製品だ。他には半分雑貨屋のような店もあったけど、とにかくスタンガンはなかった。
「やっぱりないね」
何軒目かも分からない店の前に出て、桐子がため息混じりに言った。
「うん。それに、店が多過ぎてキリがないな」
「もう駅の方に行こっか」
桐子も諦めたようだ。疲れが顔に出ている。まあダメ元だったし、こんなものだろう。ジャンク品のスタンガンなんて売っているはずがないのだ。
僕と桐子は並んで歩き出した。桐子は歩きながらも周囲の店をキョロキョロと見ている。僕はスタンガンのことは一旦忘れて、代替案を考えようとしていた。
スタンガンがないなら、背後からの先制攻撃を確実に決める必要がある。はたして上手くいくだろうか……。
そう思った矢先のことだった。
桐子がいきなり肘で僕の腕を小突いた。何だろうと思って彼女の方を向くと、小声で、だけどもはっきりとした口調でこう言った。
「あったよ、スタンガン」
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