この夏は、一生忘れられない夏になる

「ねえねえ、霧島君……」

 相沢がそわそわしながら小声で声をかけてきたのは、翌日の月曜日のことだ。給食を食べ終わり、机を向かい合わせる形から元の状態に戻したあと、すぐさま隣の席の僕に話しかけてきた。

「何?」

「できればでいいから教えてほしいんだけど……」

 相沢は妙にもじもじとしながら、両手を持て余すように組んでいる。一体どうしたんだろう。見当もつかないけど、僕はできるだけ優しい口調で返事をした。

「うん。僕に教えられることなら」

「……霧島君と京極さんって付き合ってたりするの?」

「えっ」

 あまりにも唐突に言われたので、声が裏返ってしまった。相沢は期待に目を輝かせている。

「どうして、そんなことを……」

「二人でいるところを見かけたって人が結構いて、絶対ただの友達じゃないよねって噂になってるから」

 なぜか相沢の方が照れ笑いを浮かべながら言った。

 まあ、あれだけ二人で行動していたら、こうなるのは時間の問題だった。というより、僕たちはこれを狙って恋人のふりをしていたわけだし。でも実際に見知ったクラスメイトからその話をされるとめちゃくちゃ恥ずかしい。

 僕はぎりぎり聞こえるくらいの声で答えた。

「その通りだよ……」

「えぇっ、やっぱり」

 一瞬大声が出そうになり口を押さえる相沢。

「あまり言いふらさないでくれよ……」

 言いふらされて困ることは特にないのだけれど、心情的に。

「そんなつもりは全然ないの。ただ、霧島君と京極さんが幸せなら私も嬉しいってだけ」

 相沢は本当に嬉しそうな顔をしている。人の恋愛事情を冷やかすこともなく妬むこともなく、純粋に喜んでいる。なんて良い奴なんだろうと思った。まるで聖女のようだ。できることなら、爪の垢を煎じてに飲ませてやりたい。

 相沢はもう満足したのか、それ以上深入りはしなかった。二言三言交わしたあと、自分のグループの席へ行った。

 僕と桐子も公認カップルか――。

 相沢の背中を見送りながら、感慨にふけってみる。

 作戦としては順調だ。これで、黒月が死ぬ日に二人で外出していても怪しさが少しは減るかもしれない。

 そう自分に言い聞かせ、納得することにした。


 七月十四日の水曜日。今日は三日ぶりに桐子に会う日だ。先週は毎日のように会っていたから、会うのが三日ぶりになるのは久しぶりだ。確か、公園で蟻を潰してから桐子と殺人の計画を始めるまでの間もそのくらい日にちが空いたと思う。それ以来のことだ。

 体育の授業は隣のクラスと合同で受けるけれど、その間僕たちが会ったり言葉を交わしたりすることはなかった。実際に付き合っている男女だってクラスが違っていたらそんなものだろう。周りからあまり変な目で見られたくはないはずだ。

 晩御飯を食べたあと図書館へ向かい、七時半頃にはいつものテーブル席がある場所に到着した。

 桐子は先に着いていて、テーブルの上に教科書とノートを広げていた。期末テストが終わったばかりなのにちゃんと勉強しているのは感心だ。

「やあ」

 声をかけると、桐子が顔を上げて微かに笑った。この前墓地の脇で話したときはちょっと怖かったけど、今日はそういう感じはしなかった。

「こんばんは」

「何の勉強?」

 いつも通り、桐子の隣に座る。

「ああ。勉強っていうか、夏休みの宿題」

「もうやってるんだ。偉いね」

「早めに終わらせておこうと思って。夏休みは忙しくなるから」

 そうだった。黒月を本当に殺したら桐子の家は慌ただしくなるし、警察から色々話を聞かれるだろう。黒月が死ぬ日に桐子と一緒にいる僕のところにも来るかもしれない。

「ちゃんと先のことまで考えているんだね」

「うん……わけだし」

 それを聞いて、桐子はやっぱり賢い人なんだなと思った。

「凄いな、桐子は」

「別に大したことは言ってないよ」

「あっ。そういえば、僕たちが付き合っているっていう噂が広まっているらしいよ」

 僕はふと相沢との話を思い出して言った。

「へぇ、いいんじゃない? そういう予定だったし」

「桐子はクラスで何か言われた?」

「私は何も言われてないよ」

「そうなんだ」

 それが、普段話す人からも言われてないという意味なのか、そもそも話をする相手がいないのか、僕には分からない。

 予想以上に桐子の反応が薄かったけど、僕としても別に桐子が顔を赤らめて慌てふためくところが見たかったわけじゃない。というか、想像したらちょっと気持ち悪い。

「それより、今日は何について話すの?」

 桐子も今の話を広げるつもりはないようだ。

「そうだな……」

 僕は口に手を当てて考えた。

「殺害の時間と場所はもう決まった。あとは凶器を手に入れるだけだ」

「家の包丁だとバレちゃうけど……スーパーとかで包丁買えばいいだけじゃない?」

「いや……念のため、この辺じゃなくてどこか遠くで買った方がいいんじゃないかな。知り合いに見られるかもしれないし、この辺は警察だって聞き込み調査するだろうし」

「あっ、なるほど」

 桐子は両の手のひらをポンと合わせた。

「それで、どこで買うの?」

「どこでもいいけど、念には念を入れて、電車で一時間くらい離れたところにしようか」

「心配性だなぁ。一時間か。そこまで行ったら、東京まで行けちゃうね」

 僕たちの町は千葉県の北側の郊外だが、東京へは行こうと思えば行ける距離にある。

「うん。それと、買いに行くのは黒月が来る日の直前にしよう」

「どうして?」

「長い間凶器を隠し持っておくとバレる確率が上がるから。前日だと予定外のことが起こったときに対応できないから、二日前に行こうか」

 僕は頭の中であらゆる事態を想像しながらスケジュールを組み立てた。桐子は、うんうんというふうに頷いた。

「いいよ、それで。夏休み入って、二十三日だね」

 無邪気に顔をほころばせている。

「二人で遠出するのは初めてだね。どっか私と一緒に行きたいところはある?」

 妙に他意を感じる言い回しなのが気になるけれど、意識しないようにし、首を横に振った。

「僕は別にどこでもいいよ」

「私もまだ思いつかない。せっかくの機会だし、今度会うときまでにゆっくり考えておくよ」

「分かった」

 遊園地に行きたいとか、水族館に行きたいとか言い出さなければいいんだけど。

「他に決めることはある?」

「うーん、今は特に思いつかないな」

「じゃあ今日の作戦会議はこんなところだね」

「うん」

「そしたら宿題教えてよ」

「また始まった」

「へへ」

 僕が呆れたような声を漏らすと、桐子はポリポリと頭を搔いた。

 そのあとは勉強がてら、お互いの期末テストの結果を報告し合った。桐子は僕ほどの点数じゃないにしても、どの教科も大体七十点以上で悪くない結果だった。勉強を教えた甲斐があって、僕もちょっと嬉しくなった。


 二日後の夜、僕と桐子はまた図書館で待ち合わせをした。今度は僕の方が先に着いたので、桐子に倣って夏休みの宿題の一つである計算問題を進めた。

 ほどなくして桐子もやって来て僕の隣の席に座ると、開口一番にこう言った。

「秋葉原に行こう」

「秋葉原?」

 一体何の話だと思った。

 困惑する僕とは対照的に、桐子の顔はにこやかなものだ。

「そう。東京の秋葉原」

「ああ、あの電気街の」

 行ったことはないけれど、名前くらいは知っている。でも、桐子が何の話をしているのかまだ見えてこない。

「なんで秋葉原に?」

「忘れたの? 凶器を買いに行くって話だよ」

「ああ、その話か」

 何の話をしているのかようやく分かった。が、桐子の答えは結局僕の質問に対する答えになっていない。

「それで、なんで秋葉原に?」

「忘れたの? スタンガンがあった方がいいって言ってたじゃん」

「ああ、その話か」

 まだ諦めていなかったのか。確かのスタンガンがあった方が絶対に有利だとは思うけれど。

 だがしかし、桐子の答えは相変わらず僕の質問に対する答えになっていない。

「……で、なんで秋葉原に?」

「昨日調べたんだけど、秋葉原にはジャンク品とかいう中古の電気製品がたくさん売ってるんだって。ジャンク品なら私たちでも買えるかもしれないと思って」

 どこでそんな知識を仕入れてきたのか知らないけど、言いたいことがやっと理解できた。始めからそう言えばいいのに、きっと僕をおちょくっているのだろう。

 桐子はなぜか勝ち誇った顔をしているけどとりあえず無視し、彼女の案について考えてみた。

「つまり、未成年の僕たちは普通のお店では売ってもらえないけど、ジャンク品ならなんか緩そうだから買えるかもしれないってこと?」

「そういうこと」

「どうだろう。そう都合よくスタンガンのジャンク品なんかあるとは思えないし、あっても売ってもらえないかもしれないし」

「買えなかったら買えなかったで別にいいよ。どっちにしろ包丁とかは遠くで買うんでしょ?」

 確かにそうだ。僕としては遠ければ別にどこだっていい。東京だろうが埼玉だろうが茨城だろうが。

「そうだね。秋葉原でもいいよ。東京ならディスカウントストアだってあるだろうし、包丁はそこで買えばいい」

「やった。私東京に行くの初めてなんだ」

 桐子は嬉しそうに微笑んだ。もしかして、適当な理由を付けてただ東京に行きたいだけなのではないだろうか。そう思ったけど、それを訊くのは勘弁してあげることにした。たまたまスタンガンが手に入ったらラッキー、ぐらいに考えておこう。


 それからしばらくは、何事もない平穏な日々が続いた。クラスメイトたちは夏休みを前に浮足立ち、僕と桐子はこれまでと変わらずに夜の図書館で一緒に宿題をやった。

 あっという間に一学期の終業式まで終わり、学校の生徒たちは鳥籠から放たれた小鳥のようにそれぞれの教室から散っていった。

「霧島君、夏休みは京極さんとどこか遊びに行くの?」

 帰り際に相沢が声をかけてきた。

「うん、まあね」

「いいなあ。二学期が始まったら、楽しい思い出話聞かせてね」

「わかった。じゃあ、また二学期に」

「またねー」

 相沢はにこやかな笑顔を浮かべて去っていった。

 彼女と再会するとき、僕たちは一体どんなふうになっているのだろう。黒月を殺したあと、どんな顔をして教室へ入っていくのだろう。楽しい思い出を話してやることはできない。でもきっと、この夏は一生忘れられない夏になる。

 黒板、時間割表、掃除用具入れ、クラスメイトの数だけ並べられた木の机。僕はそんな風景に少し後ろ髪を引かれながら、日常の象徴ともいえる教室から去った。

 中学二年の夏休みが始まる。もしかしたら、僕の人生において最も重大な意味を持つことになるかもしれない夏が。

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