第38話 月は無慈悲な夜の女王?②

俺とエーリカは、宿坊から少し離れた遥拝殿まで歩いた。途中で鹿が出て来たり、頭上をムササビが飛んで行ったり等はあったものの、魔物の気配は一切無く、僅かに虫の音が聞こえるだけで、静寂が夜の境内を支配していた。


遥拝殿は、この満峰神社で唯一下界というか、地上を見渡せる場所だ。二ヶ月に及んだ避難所生活の中で、心を通わせるに至った男女達の密かなデートスポットになっていたそうだ。


その遥拝殿から眺める夜景には人工の光は殆ど見えず、月明かりの夜空と地上の闇とのコントラストになっている。


そうした夜景を見ていると、不意にエーリカから声をかけられた。


「ねえ、リュータ。」

「うん、何?」


この時、俺はエーリカと二人きりになりたかっただけだったが、エーリカには何かしら俺に話さなければならない事かあるらしい。もしかしたら、俺が一人きりになるタイミングを見計らっていたのかもしれない。


「リュータはさ、私達のリーダーになっているじゃない?」

「まあ、そうだね。」

「でも、だからって自分が全部背負う事はないんだからね。」


エーリカにはそう見えたという事か。


「何でそう思った?」


「何でって、そんなのリュータを見ていればわかるわ。今だってこれからの事を考えて悩んでいたんじゃない?」


お見込みの通り。俺はエーリカの問いには答えず、痒くも無い頭を右手で掻いて誤魔化そうとしたが、エーリカは取り合わなかった。


「今までの魔物との戦いだってそうよ。いつも先頭切って行くけど、リーダーの役割はそうじゃないでしょ?」


これもまた正論。何も言えねぇ。


「忘れちゃった?私達が始めて出会った時、私とユーリカがゴブリンウォーリアを魔法で倒して、リュータとタケシを助けたのよ?私だってユーリカだって戦えるのよ?」


もちろん憶えている。忘れる訳が無い。


「だから、もっと私達を、私を頼ってよ!私はリュータのお荷物なんかじゃない。一緒に戦う仲間なんだよ?一人で何もかも背負わないで。そんな事続けてたら、あなたが壊れちゃう。」


エーリカは、遂には涙声になってしまっていた。随分と彼女には心配をかけてしまっていた。もうしわけない。謝らなければ。


「ごめんな。」

「ううん、私もちょっと感情的になっちゃって、ごめんなさい。」


エーリカから指摘されて、改めて思う。これは両親によってかけられた呪いのようなものだと。


「俺は人に頼るのが嫌で、苦手で、何でも自分一人でやってしまう。悪い癖だ。」

「どうして?何か理由があるんじゃないの?」


そう問われて一瞬戸惑ったが、エーリカには話しておきたい、聞いてもらいたいと、そう思った。


「俺は子供の頃から両親に無視されて育ったんだ。理由はさっぱりわからない。もしかしたら、雪枝は知っているかもしれないけど。」


俺は遥拝殿から真っ暗な地上を見ながら話しを続けた。エーリカの表情はわからない。


「弟と妹が生まれてからは更に差別されて、酷くなった。家に俺の居場所なんて無かったし、親も俺のためには何もしない、話もしない。だから俺は何時も誰にも頼らなかった、頼るのが嫌だった。誰にも頼らないように常に強く在ろうとしていた。」


俺はそこまで言って、一度大きく息を吐いた。少し考えをまとめたかった。


「俺も意地になっていたんだと思う。お前達がそのつもりなら、俺もお前達には頼らない、と。そして、俺はタケと師匠以外、多くの人達に壁を作って立ち入らせなかった。」


俺は振り返ってエーリカを見据える。


「だが、今は守るべき人達がいる。そして、そのリーダーになった。だから、尚更何もかも自分がやらなきゃと焦ってしまったのかもしれない。でも、皆のためと思っていても、そんな独りよがりな姿見たら、皆不安に思うよな。」

「そうだよ。一人で背負うなんてだめだよ。" 皆で話せばアブダラーシャの実となる " って言うよ?」


う〜ん、それはニュアンス的に、日本で言うところの" 三人寄れば文殊の知恵 " だろうか。


「それにさ、リュータにはさ、わ、私がついてるんだから。」


そう言うと、照れたように下を向いてしまったエーリカ。


エーリカが俺と一緒にいてくれる。それってなんて素晴らしい事なんだろう。


「それからさ、」

「うん?」

「リュータ、私を、私達を守ってくれて有難う。」


それはおそらく、先日稲葉女史達に拉致されそうになった時のことだろう。


「そのせいでリュータ達が自分の国と争う事になってしまって、本当に、何て言ったらいいのか、私達のせいでごめんなさい。」


エーリカはそう言うと深々と頭を下げた。だが、それは違う。断じて違う。


「それはエーリカが謝る事じゃないだろ?彼奴らが間違っている。俺こそ、自分の国の人間がエーリカ達にあんな真似して情け無いし、恥ずかしいし、申し訳ない。それに、俺はエーリカやみんなを守るためなら誰とだって戦う。俺はエーリカのためなら、世界中を敵にまわしたって構わない。」


銀色の月光を浴びて淡く全身が輝いているエーリカ。潤んだ瞳で俺を見上げ、俺の次の言葉を待っているエーリカ。あぁ、もうダメだ。エーリカを好きな心を抑える事が出来ない。


「エーリカ、君の事が好きだ。この世界の誰よりも。俺がどの世界の何からも君の事を守ってみせる。だから、どうか、ずっとずっと、俺と一緒にいてくれないか?」


エーリカの目を見ながら、俺は遂に、彼女に自分の気持ちを告白した、してしまった。エーリカがこの後に発する言葉が、返事が恐い。


それから、どれくらいの時間が流れたのか。数秒なのか、もっとなのか。もう口の中がカラカラだ。


やがて、エーリカがその口を開いた。


「わ、」

「わ?」


「私は、別の世界から来た、リュータとは違う別の種族だよ?それでもいいの?」


異世界とか、別の種族とか、ヒトとかエルフとか、そんな事は、


「そんな事は俺には関係ない。俺はただ、君を、エーリカを愛してるんだ。」


俺は言い切った。言い切ったね!すると、エーリカは泣きそうな表情になり、


「リュータ、私もリュータが好き。私がリュータの事、絶対守るから!リュータ、愛してる。」


エーリカはそう言って俺の胸に飛び込んで来た。


俺はエーリカを強く抱きしめる。とてもいい香りがする。柔らかな髪、思わず頬擦りしてしまう。

この世にこんなに愛しい女性がいるなんて、自分自身より大切な女性がいるなんて、以前だったら考えられなかった。


エーリカも俺の背中に手をまわして強く抱きしめている。そして、俺を見上げたエーリカと目が合い、エーリカがそっと、その瞳を閉じた。俺は歯が当たらないようにと願いながら、エーリカの唇にそっと自分の唇を重ねた。



月光が照らす中、俺は恋人となったエーリカと寄り添い、宿坊への道を歩く。今の俺達に会話は特に無いが、穏やかで幸せな静寂に包まれている。俺の右腕を取るエーリカの左腕から、彼女の温もりが伝わってくるのだ。さりげなくエーリカを見ると、目が合って微笑んだ。


こうして俺とエーリカは恋人同士になった訳だが、俺達を取り巻く状況は一時間前から何ら変わる事は無い。魔物は次から次へと現れ、俺は満峰神社の女神様からの頼まれ事(加護を授かっているので、契約と言ってもいいだろう)を果たさねばならないし、人手不足も深刻だ。それに、俺達を狙ったあの連中が、再び何か仕掛けてこないとも限らず、異世界の魔王の動向がこちらの情勢に影響するだけに、気になるところだ。


しかし、ついさっき、エーリカが俺の思いを受け入れてくれた事により、極めて個人的な理由で恐縮なのだが、俺を取り巻く世界は一瞬にして明るく、希望に満ちた世界へと変貌したのだ。


状況は変わらず?問題山積?それが、何だって言うんだ。魔王?やってやるぜ。エーリカを、エーリカと生きていくこの世界を、仲間達が生きていくこの世界を守るためなら何だって出来る。


俺は孤独じゃない。友達がいて、仲間達がいて、今や恋人がいて、家族もいるのだから。


「ねえ、リュータ。」


静寂を破って、俺を呼ぶエーリカ。


「うん?」

「この世界の月も、とってもきれいね。」


そう言われて、銀色の満月を仰ぐ。もちろん、月はその位置を多少移動しただけで、先程一人で仰ぎ見たものと変わらない。だが、その光はもう決して「無慈悲な夜の女王」ではなく、良かったね、彼女大事にしなきゃダメだよ?と優しく微笑みかける孤空の女神そのものだ。


「本当、きれいな月だな。」

「うん。」



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