緑茶饅頭と五百二人の下僕(ヒーロー)達 ~好感度? いいえ戦闘力です~

角見有無

緑茶饅頭と五百二人の下僕(ヒーロー)達 ~好感度? いいえ戦闘力です~

 青年の手が緑茶饅頭の頭頂部に伸びる。それをさっと払いのけ、緑茶饅頭は颯爽と踵を返した。青年は肩をすくめながらも愉しそうに目を細める。それは新しい玩具を見つけた者のそれだ。

 何だか仲良くしたくない名前のキャラだなぁ。背中に感じるねっとりとした視線を受けた緑茶饅頭は、自分の名前を棚に上げて心の中で小さくそう呟く。


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 キティク・ド・エスメガーネ を手に入れた!

 現在の下僕:百四十三人】


「わかってるって」


 目の前に現れたメッセージウインドウを、緑茶饅頭は億劫そうに手で払いのけた。


*


 ステータスに表示されるパラメータ。その数字の羅列こそが世界のすべてだ。

 ステータスさえあれば白黒はっきり物事の優劣がつけられる。人の感情さえも読み取れる。体力も知能も、何もかもが手に取るようにわかってしまう。

 彼女は喉から手が出るほどそれが欲しかった。それがあったらとてもわかりやすく、生きやすくなるから。だからそれが手に入る、ゲームの世界に没頭した。

 ゲームをやっている間だけは時間を忘れ、現実を忘れる事ができた。そんな彼女の青春は、ゲームに捧げられたといっても過言ではないだろう――――そして今、彼女は人生そのものがゲームになってしまっていた。


 事の始まりは、昨日高校帰りに寄った中古屋で買ってきたゲームをしようとしていた時だった。土曜の午前十時、遊びつくしたいゲームをはじめるには最適の時間だ。

 緑茶と饅頭をお供に起動した、安い中古の乙女ゲーム。ぱらぱらと説明書を眺めながらロードが終わるのを待っていると、ようやく画面が暗転して導入が始まる。現れたのはデフォルメされた兎だ。兎が【この世界には危険が迫ってるんだぜー】とか【お前はこの世界を救うために召喚されたんだぜー】だとか言っているが面倒なので飛ばし読みした。


【ところでお前は誰なんだぜー? ※名前は随時変更可能です】


 ようやく説明パートが終わったのか、ヒロインの名前を入力する画面に映る。漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字と色々変換できるらしい。

 さて、彼女はプレイするゲームによってキャラネームを変える性質たちだった。RPGなら本名をもじるし、シミュレーションゲームなら本名とかけ離れた、それでも名前として通用するものにする。ソーシャルゲームやオンラインゲームだったらネタに走った名前だ。けれどこれは絶対だというわけでもなく、その時の気分によってどういった法則でつけるか決める場合が最も多い。

 この時、彼女は真面目に名前を考えるのが面倒だった。一度使った名前は他のゲームではなるべく使いたくないという心理が働いたのに、中々新しい名前が思い浮かばなかったせいだ。

 しかし、彼女にとって救いだったのは【※名前は随時変更可能です】の文字だった。今適当に考えても、あとで付け直す事ができる。だから彼女は深く考えずに、その時たまたま手元にあったものの名前をつけた――――『緑茶饅頭』と。


【緑茶饅頭 でよろしいですか?】

【→はい】

【へえ。お前、緑茶饅頭っていうのかー。いい名前だぜ!】

(あっ)


 やばい。気づいたのはちょうどこの瞬間だった。これはヒロインの名前を連呼するタイプのゲームだったのだ。君とかお前とか、そういった代名詞はもちろん使われるだろうし、ボイス有のシーンではそれで代用されるはずだが、テキストとしてはヒロインの名前が表記される。それは非常にまずい。何がまずいかと言えば、主に腹筋的な意味で。


(……さっさと新しい名前考えて、はじまったらすぐに変えよう)


 決意を新たにしながら、Aボタン連打でイベントシーンを流し読みしようとしたその瞬間。階下から自分の名前を呼ぶ声が聴こえた。母の声だ。

 返事をして一旦ゲームを置き、部屋を出て階段を下りようと一歩足を踏み出して――――無様に踏み外して勢いよく階段を転げ落ちた。


 意識が戻った時、そこは見慣れた自宅の一階ではなかった。白い石でできた、ここは一体どこの神殿ですかとRPG脳が訴えたくなるような空間だ。目の前には、幼児が画用紙に書いた、あるいは小学生が利き手ではないほうの腕で書いた落書きのような兎に見えなくもないぬいぐるみがいる。


「よお! おいらはお助け妖精ハニキヌ・キセーヌだぜ!」

「うわなんか喋った!?」


 ずざざっと後ずさりすると、兎のように見えなくもないぬいぐるみは不満げに唇を尖らせる。

「そりゃ喋るぜ! なんてったっておいらはお助け妖精サポートキャラだからな!」

「は? え、は?」

「あーもう、おいらの事はいいんだよ! そんな事より緑茶饅頭、右の掌をガン見してみろ!」

「???」


 混乱状態に陥っていたせいか、自分でも気づかないうちに自称お助け妖精の声に従っていた。異変はすぐに訪れる。掌の上に不可思議なものが現れたのだ。言うならばそう、ステータス画面のような。

 ステータス画面のように見える謎のホログラムの左上部には、三つのタブのようなものがあった。別のタブを開けると、別のステータス画面が現れる。内容自体は同じだが、パラメータに若干の違いがあった。どうやら別人のステータスを表したものらしい。


「いいか、緑茶饅頭。お前はついさっき死んじまった。でもお前がおいらのお願いを聞いてくれるなら、お前を生き返らせる事ができるんだぜ」

「……はい?」


 耳を疑うが、現にこうしてステータス画面が表示されている。自称お助け妖精は福笑いのような顔を精一杯キリッとさせて言葉を続けた。


「お前さ、なんかのゲームをやろうとしてただろ? ここはそのゲームによく似た、けど微妙に違う世界だぜ」


 そう言われると、眼前の自称お助け妖精があのゲームの導入部分に出てきたデフォルメ兎に見えてきた。目をつぶって記憶だけを頼りにあの兎を描こうとしたら、こんな風になるのかもしれない。


「お前には、この世界を救ってもらいたいんだぜ!」

「救うって言ってもどうやって? 私、戦えないけど」


 思わず聞き返す。自称お助け妖精は真面目らしき顔で頷き、「もちろんお前に直接戦えなんて無茶な事は言わないぜ」と言った。


「お前は仲間を集めて、そいつらに指示を出すだけでいいんだぜ。そいつらがお前を守ってくれるし、お前のかわりに戦ってくれるぜ」


 そういえば、あのゲームはそんなゲームだった気がする。攻略対象達と力を合わせて戦う恋愛アドベンチャーだ。自称お助け妖精の話を聞く限り、『力を合わせて』というのは若干の語弊があるようだが。


「その仲間っていうのは、攻略対象の事でいいの?」

「その通り。お前はなんかこう女神の力を宿した勇者で、魔王アークギャックを倒せるのもお前だけなんだぜ。戦闘は攻略対象達に丸投げでおっけーだぜ」


 魔王を倒すか、お前が魔王をメロメロにすれば世界は救われて見事ゲームクリアだ。自称お助け妖精はそう言って笑う。福笑いのような顔が余計に崩れた。


「なに? 魔王は隠しキャラか何か?」

「おう。攻略対象全員げぼ……仲間にすれば魔王ルートに入るぜ」

「つまり、平和的にラスボスを沈めたかったらフルコンプ必須か……」


 そう呟いた瞬間、ゲーマー魂に火がついた――――ような気がした。


「で、攻略対象は何人?」

「五百人」

「……は?」

「あ、違うな。正確には五百人以上だぜ」

「……」


 ついたはずの火は一気に鎮火した。やはり気のせいだったらしい。やりこみ系は時間と気力の勝負だ。


「あ、仲間っつっても知りあったら速攻で同行してくるぜ。フラグとイベントさえしっかり回収してりゃ、気づいた時にゃ大所帯だぜ。だから、ちゃんと出会いイベントを起こせるかがポイントになるぜ」

「そうなの? それならまだマシか……」


 さすがに五百人は攻略できない。無理だ。確かにパッケージには【攻略可能キャラ多数!】などとあったが、まさかソシャゲでもないのに百人以上いるなど想像できるわけがない。攻略と同行が別物でよかった。


「おう。だが、注意する事が一つあるんだぜ。……実は、好感度がレベルに直結してるんだぜ。好感度が上がればステータスが上昇するし、当然好感度が高いキャラほど強い。ちなみに好感度は一からスタートで九十九が限界だぜ。下がる事はねぇし、ほいほい上がってくから安心するんだぜ。まあ、上げといて損はねぇぜ?」

「なるほど。つまり姫プレイ推奨チョロいおとこをあごでつかえ、と?」

「理解が早くて助かるぜ。いいか、緑茶饅頭。五百人のヒーローを下僕にして、この世界を救ってほしいんだぜ!」


 ゲームはゲーム、リアルはリアル。クリアするためならどんな手段も厭わない。さっさと割り切って、そう心に固く誓った。


「ところで、どこで名前変えればいいの? さすがに緑茶饅頭はちょっと……」

「名前変更? 不可に決まってるぜ?」

「えっ」

「これからよろしくな、緑茶饅頭! おいらも旅に同行するから、困った事があったら何でも聞いて欲しいんだぜ!」

「ちょ――ッ!?」


 くらむような眩しい光。それに驚いて目をつぶった瞬間、床がぐらりと傾いた。


*


「今度は何ぃ……?」

「ここは召喚の間だぜ。ここでお前を召喚したって設定の奴らと話して、そこからチュートリアル戦闘が始まるぜ」


 疑問に答えたのは自称お助け妖精ハニキヌ・キセーヌだった。おいらの姿はお前以外には見えないから注意しろよ、と前置きし、ハニキヌは補足の説明を加えてくれる。


「あ、さっきお前に見せたステータスは、チュートリアルで戦ってくれる下僕達のものだぜ。そいつらはいわゆる初期メンバーで、他の下僕に比べると初期の好感度も高めだぜ」


 ついに攻略対象の通称が下僕になった。歯に衣着せぬの名は伊達ではないらしい。


「よくぞ参った、女神の力を宿せし勇者よ」


 声のするほうを見上げると、幸の薄そうな女性がいた。この国の女王だという。

 女王は何かを喋っていたが、どうやら内容は先ほどハニキヌに聞かされた事とそう大差ないようだったので心置きなく聞き流した。


「むっ!? 敵襲だと!? そんな馬鹿な!」

「え?」


 が、どうやらそれがまずかったらしい。唐突なイベント発生だ。恐らくこれがチュートリアル戦闘だろうからそう気負う事はないものの、思わず身構えてしまう。

 部屋の片隅には、手作りぬいぐるみの成れの果てのような物体がいくつも蠢いていた。先ほどまではいなかったものだ。どうやらこれが敵らしい。女王は顔をこわばらせ、救いを求めるように緑茶饅頭を見る。


「勇者! どうか今こそその力を発揮してたもれ!」

「あ、はい。お任せください」


 そんな事言われてもなぁ。だが、なんとかしないと始まらない。

 渋々答えた瞬間、じゃんじゃんじゃじゃーんと何やら文化祭のステージで聞こえてくるロックモドキのような激しい音楽が聞こえてきた。これが戦闘用BGMなのだろう。


「ッ!? な、何だこの力は! まさか、これが勇者様の加護の力!」

「女王陛下、勇者殿! どうかそこを動かぬよう!」

「すごいぞ! この力さえあれば、魔王も敵ではない!」

「え、何これどういう事?」


 戸惑う緑茶饅頭をよそに、三人の男達がぬいぐるみの失敗作をタコ殴りにする。中々シュールな光景だった。


「あそこの三人組が初期の下僕なんだぜ」


 ハニキヌの説明によると、褐色肌の壮年の男がカッシ伯爵で、片眼鏡の青年が宰相補佐官ミステ、背の小さい少年が女王の三番目の息子であるゲンキーデ第三王子らしい。お前ら戦っていいのか、うっかり死んだらどうするんだ、というツッコミはそっと呑み込んだ。きっと彼らが死んでも代わりがいるのだろう。そういう事にしておかないと、これから下僕として酷使できそうにない。

 緑茶饅頭の仕事は特になかった。三人がボコボコにしたぬいぐるみは、切なげな鳴き声を残して跡形もなく消えていく。どうやらこれでチュートリアルは終わりらしい。

 目の前にリザルト画面らしきものが現れた。獲得好感度チップ、Vというのはこの世界の通貨の単位だろうか。特に何もしてなくても手に入る戦利品は格別だなぁ、と緑茶饅頭はしみじみ頷いた。


「好感度チップを一定枚数渡す事で自動的に好感度が上がるお手軽仕様だぜ。好感度チップは貯めておいて、まだ見ぬ推し下僕につぎ込むのもよし、速攻で戦力強化にあてるのもよしだぜ。好感度が高けりゃ高いほど、好感度を上げるのに必要なチップは増える。裏を返せば好感度が低いうちはホイホイ上がってくって事だぜ。今回はとりあえずチュートリアルの延長って事で、誰かに渡したらどうだ?」

「わかった。じゃあ三人に均等に」


 ハニキヌの指示に従った緑茶饅頭は、どこかに子供銀行と刻まれていてもおかしくないほどピカピカの金貨モドキを三人に平等にいきわたるように渡す。好感度上昇の規定値に達したのか、三人の頬が薄ら赤く染まったような気がした。


(ほんとにチョロいなー……)


 下僕達のあまりの惚れやすさに若干引いている緑茶饅頭をよそに、イベントは進行していく。もちろん緑茶饅頭の頭は会話のすべてがすり抜けていた。


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 カッシ・ヨークー・ハッダ 

 ミステ・リーアス

 ゲンキーデ・ヤンチヤ・ハディマリノクニ を手に入れた!

 現在の下僕:三人】


「あ、公式でも下僕表記なんだ」

 そんな呟き声は、ハニキヌ以外の耳には届かなかった。


*


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 エムノ・ドヘンタ を手に入れた!

 現在の下僕:七人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 ハラグ・ローショター を手に入れた!

 現在の下僕:十一人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 フレン・ドリー を手に入れた!

 現在の下僕:二十七人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 フーリョウ を手に入れた!

 現在の下僕:三十三人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 タヨーレイル・オットナー を手に入れた!

 現在の下僕:五十二人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 サワガシ・ネーケッツ を手に入れた!

 現在の下僕:百七十五人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 ツンディ・レー を手に入れた!

 現在の下僕:二百九十三人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 メグァネ・ハークイ を手に入れた!

 現在の下僕:三百二十九人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 マディメ・ド・エスメガーネ を手に入れた!

 現在の下僕:四百十四人】


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 ヤン・デ・レーク・ルッテルー を手に入れた!

 現在の下僕:五百人】


「よっしゃフルコンプぅ!」


 魔王の城の手前の街で、ついに五百人目の下僕を手に入れた。これで魔王攻略のためのフラグは立ったはずだ。

 忠実な下僕と化した男達を侍らせて、緑茶饅頭は高らかに笑う。


「さっさと世界救って、元の世界に帰ってやる!」


*


「くっ……」

「おいおい! なんだよ、この程度かァ?」


 だが、結果は意気込みに追いついてくれなかった。魔王アークギャックの高笑いを聞きながら、床に転がった緑茶饅頭は悔しさのあまり唇を強く噛み締める。

 完璧であるはずだった。五百人の下僕のうち、好感度レベル九十を越えているのは三百十二人。うち二百七十七人は好感度レベル九十九に達している。脳死でいても圧制できる数の暴力だった。

 魔王を堕とすフラグも、十分すぎるほどに立っているはずだ。それなのに、魔王との戦闘がはじまり――――緑茶饅頭は無様に敗れた。何故だ。どうして負けなければいけない。戦わなくても済むように、逆ハービッチキャラをロールプレイし続けてきたのに。


「くそっ! いったん撤退するぜ、緑茶饅頭!」


 ハニキヌが叫ぶ。すると、何故かアークギャックは愉しそうに目を細めた。整ってはいるけれど血の気の通わない蒼白い顔を悪意に歪め、アークギャックはハニキヌを嘲笑う。


「ぎゃはッ! ハニキヌゥ、お前もモーロクしちまったなァ! 随分使えねェ小娘を選んだじゃねェか!」

「黙れ黙れっ! お前が緑茶饅頭をバカにすんじゃねぇ!」


 小さな身体を懸命に動かし、ハニキヌは緑茶饅頭を起き上がらせる。悔しいが、このままではアークギャックに敵わない。緑茶饅頭は歯噛みしながら、魔王に背を向けた。


*


「……ハニキヌ、あんたあいつの知り合いなの? あいつ、あんたの姿が見えてたし、普通に喋ってたよね?」


 逗留していた宿屋の一室でハニキヌによる怪我の手当てを受けながら、緑茶饅頭は静かな声で尋ねる。あいつ――――ねじれた角と黒い羽を持つ悪魔、アークギャックの高笑いは今も耳にこびりついていた。


「……おいら、本当はお助け妖精なんかじゃないんだ。アークギャックと同じ、悪魔なんだぜ」

「うん知ってた。生き返らせる代わりに願いを叶えろなんて、妖精っていうより悪魔っぽいし。後がなくて拒否できないのに、無理やり話を進めるとことかさ」


 緑茶饅頭の言葉にハニキヌは微苦笑を浮かべた。今この部屋には一人と一匹しかいない。他の下僕はみな別室だ。他人には姿の視えないハニキヌと喋っていても、緑茶饅頭が奇異な目で見られる事はなかった。


「……実は、魔王アークギャックはおいらの双子の弟なんだぜ」

「弟?」

「ああ。むかーし、兄弟喧嘩をこじらせちまったんだぜ。世界を滅ぼそうとするあいつを止めようとしたけど、おいらの力じゃあいつに勝てなくて……。相打ちに持ってくのが精一杯だったんだ」


 確か、話半分に聞いていたイベントの中の一つにそんな話があった気がする。魔王の出自にまつわる、お伽話めいた昔話だ。

 しかし緑茶饅頭は、そんな話を誰かに聞かされたという事実しか覚えていなかった。もしもあの時、ちゃんと話を聞いておけば何かは変わっていたのだろうか。


「おいらは持てる魔力を全部使ってあいつを封印した。その結果、力を失ったおいらはこんなちんちくりんになっちまったんだぜ。……あいつはおいらより強かったから、封印されてても悪魔の姿を保っていられたみたいだけどな」


 ハニキヌは悲しく笑う。まるでこれが最後だとでも言いたげなその顔が、何故か無性に気に障った。


「やっぱり身内の不始末は、おいらが片付けるべきだったんだぜ。今までありがとな。お前と旅できて楽しかったぜ、緑茶饅頭。おいらだけであいつと決着をつけてくるから、」

「ちょっと待てぇ! 私が世界を救わないと、あんたの願いを叶えた事にならない――私、生き返れないじゃん! アークギャックの兄って言うなら、ほんとはあんたも攻略対象なんじゃないの!?」


 今まで、戦闘モードでハニキヌを戦闘員に選ぶ事はできなかった。それはハニキヌがサポートキャラだからだと思っていた。だが、実際は違う――――隠れ下僕は通常下僕のように、出会えば即堕ちしてくれるわけではない。ハニキヌもまた、本当の意味で下僕なかまになっていなかったのだ。

 ハニキヌを含めた、すべての下僕を手中に収める事。それこそが魔王を堕とす唯一の方法だ。正攻法で魔王に敵わないのなら、魔王を堕として世界を救えばいい。


「さっさと攻略させろハニキヌ! 堕ちろ! 私の下僕になれ! それであんたが特攻する理由もなくなる! だから教えろ、あんたのフラグの立て方を!」

「緑茶饅頭……」


 言っている事は色々とひどいが、ハニキヌの目にはうっすら涙の膜ができていた。緑茶饅頭の胸にも何故か熱いものが灯る。


「で、でも、教えたってどうせできな、」

「言いたい事があるなら、言わなきゃいけない事があるならさっさと言え! 思ってる事をずけずけ言ってこそのハニキヌでしょ!」

「……言っても怒らないか?」

「誰が怒るか! いいから言えって!」


 ハニキヌのくせに歯切れが悪い。既にキレ気味の返事をすると、やがてハニキヌは頬を赤く染めてもじもじと俯く。


「キスしてくれたら……堕ちるんだ、ぜ?」

「どこの乙女だ! カエルの王子様かお前は!」

「怒らないって言ったじゃんかー!」


 緑茶饅頭のキレ気味の声におののき、ハニキヌは悲痛な叫びをあげる。しかし緑茶饅頭はそれに構わず、ハニキヌを鷲掴みにした。


「――ッ!?」

「これで満足か落書き兎!」


 ファーストキスはレモンの味だとよくいうが、緑茶饅頭の場合は特に味はしなかった。


「色気の欠片もないんだぜ!」


 我に返ったハニキヌがぎゃーぎゃー騒ぎ出す。こんなのにファーストキスを捧げたのかと思うと軽く鬱になるが、命のほうが大事だからと必死で自分を慰める。

 そう、こんな子供の落書きみたいな不細工なぬいぐるみにキスするぐらいなんて事はないのだ。生身の男が相手ならもっと躊躇する。ハニキヌが兎モドキでよかったと、緑茶饅頭はしみじみ思った。


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 ハニキヌ・キセーヌ を手に入れた!

 現在の下僕:五百一人】


 ――――何はともあれ、再戦の準備は整った。決意を新たに、緑茶饅頭は魔王の城へと向かう。



「覚悟しな、魔王アークギャック。私が相手になってやる」

「ははッ、おもしれェ奴だ――どうだ緑茶饅頭、オレの女にならねェか?」


 魔王もしょせんは下僕候補。フラグさえ立てればチョロかった。


ぴろりん♪

【緑茶饅頭 は

 アークギャック を手に入れた!

 現在の下僕:五百二人】


*


「これで世界は平和になったぜー!」


 はしゃぎまわるハニキヌを苦笑しながら見下ろし、緑茶饅頭は達成感を噛み締める。これでゲームクリアだ。


「でも結局、あんたのほんとの姿ってのは見られなかったね。好感度マックスにすれば見られるの?」

「んー……どうだろうな? 多分、そうしたなら元の姿には戻れると思うけど」

「やっぱり? でも、どうせもう見られないからなぁ。それだけが心残りっていうか」

「何言ってんだよ、緑茶饅頭」

「?」


 ハニキヌはぴたりと動きを止め、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「見たかったら、おいらを堕としてくれればいいんだぜ? ――待ってるからな、緑茶饅頭」

「うわっ――!?」


 白くまばゆい光に驚き、緑茶饅頭は思わず腕で目元を覆う。これとよく似た光を、以前どこかで見た事がある気がした。


* * * * *


「いったぁ……」


 目を開けると、そこは見慣れた我が家の一階だった。どうやら無事に生き返る事ができたらしい。いや、あるいは自分はただ気を失っていただけで、あの奇妙な出来事はすべて夢だったのだろうか。


「ちょっと、大丈夫!?」


 慌てた様子の母親が駆けてくる。こくこくと頷いて無事である事を示し、痛みに顔をしかめながらも立ち上がった。

 母の用事を終えて部屋に戻る。しばらく放置されていたせいか、ゲーム機の画面は暗くなっていた。ボタンを押すとすぐに中断したところが映し出される。

 改めて確認するが、お助け妖精を名乗るデフォルメされた可愛らしい兎の名前はハニキヌ・キセーヌではなかった。それから次々と登場する攻略対象の名前も見てみたが、どれもみな説明書通りの普通の名前だ。


「……なんだったんだろ、あれ」


 思わず首をかしげるが、名前が普通ならそれに越した事はない。きっと悪い夢を見ていたのだろう。


 ――――その後、なんとかゲームを再開した……のはいいものの、どうやらこのゲームには重大なバグがあったらしい。なんと、ヒロインの名前が変えられないのだ。どれだけ違う名前を入力しても、結局『緑茶饅頭』に戻ってしまう。

 しかもそのバグに気づいたのは、長い長いチュートリアルを終えてからの事だった。新規データを作って普通の名前でプレイするのは面倒だし、何より負けた気がする。

 結局、『緑茶饅頭』のままプレイを続ける事にした。……だが。


【緑茶饅頭ー! 褒めろ褒めろ、元の姿を取り戻してやったぜ! これでおいら達ケッコンできるよな!? な!?】

【愛してるよ、緑茶饅頭】

【これでずっと一緒ですね、緑茶饅頭さん!】

【まったく。本当に緑茶饅頭さんは僕がいないと駄目なんですね。ふふっ、今以上に僕無しじゃ生きられない身体にしてあげますよ】

【オレと堕ちるところまで堕ちようぜェ。なァ、緑茶饅頭?】

【お前といると退屈しないな。いいか、緑茶饅頭。決して私の傍を離れるなよ?】

【緑茶饅頭嬢、貴方こそが私の女神です。どうかこれからも私を、私だけを照らしてください】

【……緑茶饅頭の事は、俺がずっと守る。だから、俺だけを見て欲しい】

【言えばいいんだろ、言えば! ああそうだよ、俺は世界で一番緑茶饅頭の事が好きなんだよ、この世界の誰よりもお前を愛してんだよ!】

【ふん。お前は一人にすると危なっかしいからな。俺が首輪をつけて飼ってやる。覚悟しておけ、緑茶饅頭】

【くくっ……。緑茶饅頭、君は実に興味深いよぉ。君を手放すなんて愚かな真似はしないさ。君はもう僕のものだよ。そう、永遠にね……】


「やってやれるかぁ!」


 隠し下僕も含めてすべての攻略対象を下僕にし、十三人の好感度をマックスにしたところでゲームを放り投げた。これ以上は不可能だ。主に腹筋的な意味で。ストーリーをクリアするまで耐えきれただけ褒めて欲しい。若干腹筋が鍛えられた気がしないでもないが、その代わりに何か大事なものを失ってしまった気がした。


 ――――けれど、このまま手放すのももったいない。


 だから、新規にセーブデータを作り直した。もちろん今度はちゃんとした名前で、なおかつ緑茶饅頭としてのデータを上書きしないように慎重に。

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