030  異世界では『歩く危険物』になるようです



口に出してしまった言葉は、もう戻せない。


聞き流して欲しいと切実に願っていたけれど、エリオットとヴァルフラムさんから異口同音に問われた。


「「生死の境?」」


自分で自分の過去の話をするのは構わないけど、兄の話を抜きにしては語れない話だから、正直に答えるか、答えずに誤魔化すか…迷った。


どうしよう。

どうすればいい?


誰にも話さないようにしなさいと禁じられているわけじゃない。

でも、あの出来事は…兄がわたしに対して病的なまでに過保護になり、同世代の女の子を忌避きひするようになった原因だから。


わたしの身に起きたことだけど、兄のほうが大きな影響を受けた。

怪我をしたのはわたしだけど、兄の心の傷のほうがずっと深い。


迷うわたしの視界の端に、おじいちゃんの姿が映った。

銀色の丸眼鏡の奥に輝くすみれ色の瞳と目があった瞬間、わたしの緊張がふっと緩む。


固く縛られていた糸が急に解かれたような感覚に目を瞠ると、淡い緑色の光がキラキラと私の身体の周りを舞っているのが見えた。


このキラキラ…色は違うけど、わたしの世界でも見えていた光と同じだ。

手を伸ばしてその光触ろうとしたわたしを、おじいちゃんが止める。


「――姫、触ってはなりませぬぞ」


「コレ、触っちゃダメなんですか?

色は違うけど…エリオットがわたしの世界に来た時、彼の頭上にも同じものが見えていました。

これは一体なんですか?」


「姫に見えているその光は、精霊でしょうなぁ。

わしの目には癒しの力を持つ精霊の姿が見えておりますゆえ、まず間違いないかと」


「精霊?

精霊は魔導士に呼ばれない限り、人の傍には寄ってこないと教わったが…」


ヴァルフラムさんの不審そうな声に、レイフォンさんが答えた。


「あなたの言う通り、精霊が普通の人間に近寄ることはありません。

ましてや、自分たちの意志で自発的に癒すことも…ね。

姫は彼らにとって、それだけ特別な存在ということです」


「…癒しの力、ですか?

確かに緊張が解けて、心が軽くなったような気がしますけど」


いまいち実感が沸かないわたしの返答に、レイフォンさんはくすりと笑った。


「精霊たちは、姫が回答に困り、心を痛めているご様子を、黙って見ていられなかったのでしょう。

…ということで、ヴァルフラム、エリオット、先ほどの姫への質問は無かったことにしていいですね?

了承しなければ、貴方たちの身の安全は保障できませんよ?」


「――お前、それ脅迫だろ?」


ヴァルフラムさんの言葉をレイフォンさんは軽く笑い飛ばす。


「私は脅迫なんてしていません、親切に忠告してあげているんです。

精霊たちが自分の意志で姫を護ろうとするのを、止められる者はいません。

人間こちらが気をつける必要があるのですよ」


彼はそう言いながら、わたしの正面に立って深々と頭を下げた。


「先ほどは大変失礼を致しました。

『黒の加護』を得ている姫君をお迎えする準備も、そのための話し合いもしていなかったことが原因なのですが、貴女の目の前で言い争うべきではなかった」


「わしも同じことを詫びねばならぬ。

過去を悔いる想いから冷静さを失い、弟子の進言を受け入れることもできず…姫にはお見苦しいところをお見せしてしまいましたのぅ。

ヴァルフラムにいさめられるまで気がつかぬとは……いやはや面目ない。

どうかお許しくだされ」


わたしは困惑しながら二人に声をかけた。


「そんな丁寧に謝っていただくほどのことでは……ええと、逆に困るので、止めてください」


語尾を強めにして伝えると、狙い通り二人はすぐに頭を上げてくれた。


よし、ここですぐに別の話にすり替えよう。

この場面で不自然じゃない話題というと…。


「『黒の加護』というのは、精霊さんが関係しているんですか?

レイフォンさんのお話から、彼らが自分たちの意志で人と関わるのは、珍しいことなんだとわかりましたけど…」


わたしの質問に答える前に、レイフォンさんはおじいちゃんの顔をチラリと窺った。

彼はおじいちゃんが無言で頷くのを確認してから、丁寧に説明してくれた。



レイフォンさんの話によると、魔法を教え広めた『はじまりの魔法使い』は、この世界の精霊や神々と初めて言葉を交わした人間で、彼らにことのほか愛されていたらしい。


彼がこの世界から消えた後、精霊たちは彼と同じ色の人間…黒髪黒目の『双黒』を持つ者に、特別な加護を与えるようになったと云う。

(黒髪黒目の人間全てに与えられるわけではなく、精霊たちの選定基準は未だに不明)


精霊たちは加護を授けた者とその周囲の人々に、多くの幸運と自然の恵みをもたらした。

その恩恵にあずかろうとする下心がある者、邪心を抱いて近づく者には、容赦のない災厄を与えて追い払ったのだと云う。


いつの頃からか、精霊たちから特別に愛されて護られることを『黒の加護』と呼ぶようになり、その加護を受けている者と接する際に、注意しなければならないことも広く知られるようになった…という話だった。

(わたしのことを『姫』と呼んで丁寧に接することも、精霊から敵視されないための自衛策のひとつらしい)



「加護を受けた者の願いに応じて精霊たちが動く…ということなら、まだ良かったのですが」


レイフォンさんがため息交じりに苦笑しながら、わたしが注意すべきことを教えてくれた。



その一、他人の瞳をじっと見つめないように注意する。

(『黒の加護』を得ている人は、本人が意識していなくても、目から強い魔力を発していて、相手を『魅了』してしまうらしい。

魅入られてしまった人を正気に戻す一番簡単な方法は、強い衝撃を与えること。

私が育った世界では大気中の魔素マナの量が非常に少ないため、あちらで発動することはなかっただろう…という話を聞いて一安心)


その二、誰に対しても強い感情を抱かないように注意する。

(わたしの周囲には常に精霊さんたちがはべっていて、わたしの思考や感情を読み取っているらしい。

好感情ならまだ良いけれど、わたしが悪感情を抱くと、精霊たちがその人物を排除、もしくは抹殺しようと動き出す恐れがあるとのこと)


その三、わたしが精霊たちの加護を得ていることを、他人に知られないように注意する。

(精霊の姿は魔導士にしか見えないけれど、『黒の加護』を持つ者を手に入れ、精霊たちを自由に操ろうと目論む人たちに狙われたり、誘拐される恐れもあるらしい)


その四、精霊たちとは平等に接するように注意する。

(特定の精霊に話しかけたり、触ったり、名前をつけてあげたりすると、他の精霊たちが嫉妬して暴走する危険があるとのこと)



わたしは彼の説明を聞き終わると、ほぅっとちいさな吐息を漏らした。


「――わたし…こちらの世界では『歩く危険物』になる可能性があるんですね。

十分に気をつけるようにします」


精霊たちから幸運や恩恵だけを得られるならいいけど、わたしが負の感情を抱いたことが原因で災厄が引き起こされたり、誰かがサクッと抹殺されちゃったりなんかしたら… (遠い目)


「姫にご理解いただけて、私も一安心しました」


レイフォンさんはそう言って、爽やかな笑顔を浮かべた。

その横からおじいちゃんが口を出す。


「姫、あまり深刻に考えずとも良いのじゃよ?

暴走する危険があるのは、たいした力を持たぬ下級精霊のみ。

それなりに力のある上級精霊は人語を解し、人並みかそれ以上の知恵と判断力がありますからのぅ。

あとで姫が困ったり、悲しんだりするようなことは致しませぬ」


「…そう、なんですか?」


「そうそう。

レイフォンは物事の良い面ではなく、悪い面にばかり着目するようなところがあるのじゃよ。

おまけに研究一筋の学者馬鹿じゃし。

昔のわしの悪いところにばかり似てしまって……ほんに困ったものじゃ」


おじいちゃんの言葉に、レイフォンさんが即座に言い返す。


「お師匠さまが楽観的すぎるんですよ。

それに、私は魔導士としてはまだまだ半人前です。

研究に打ち込んで何が悪いんですか」


「やれやれ…自覚すらないとは困った奴じゃ。

今のままじゃと昔のわしのように、本当に大切な人を口説き落とせぬまま、寂しい人生を送ることになるかもしれんのぅ」


「そのようなことをご心配いただかなくても、私は『大人のつきあい』だけで満足してくれる、後腐れのない女性にしか興味ありませんから」


エリオットはまた言い合いを始めた二人を見ながら笑って言った。


「レイ先輩とお師さまって、本当によく似てますよね。

言い出したら退かないところとか、頑固なところもそっくりです」


「「…。」」


おお、すごい天然ツッコミ攻撃が入った!

エリオットの言葉に二人とも沈黙しています。


師弟漫才が険悪化する前に止まって良かったなぁ。


わたしはエリオットの隣に歩み寄り、「よくできました」の気持ちをこめて彼の頭を撫でた。

うーん、やっぱりふわふわで触り心地がいい…。


「――ユーナ…そんな満面の笑顔になるほど、僕の髪の毛が気に入ったのですか?」


気がつけば、エリオットの呆れ顔がすごく近くにあった。

至近距離で見ると、エリオットの瞳は純粋な青ではなくて、青みを帯びたすみれ色であることが解る。


「エリオットの目は、菫青石アイオライトみたいな綺麗な色だね。

わたし、エリオットのふわふわで柔らかい髪の毛と、菫青石アイオライトの瞳、どっちも好きだよ」


わたしが素直な気持ちを正直に答えると、エリオットの顔が真っ赤になった。


「…?」


彼の顔色の変化について尋ねようと口を開いたとき、大きな鐘の音が聞こえた。


カラァーン、カラァーン、カラァーン…。

教会の鐘のような音が鳴り響いた瞬間、みんなの穏やかな表情が一変した。



「――お師さま、今夜の結界は…?」


「いつもと同じじゃ。

消音、不可視と、あらゆる魔法干渉を防ぐ守護結界を敷いておいた。

わしが許可した者以外は、この塔の玄関にすら近寄れないよう、人払いの術もかけてある」


「それでは、姫の悪い予感が当たってしまった…ということですね」


「うわ、そりゃ最悪だな。

…で、どうやって切り抜けるんだ?」



わたしは呆然とみんなの会話を聞いていた。

言葉はちゃんと聞こえているけど、頭がソレを理解することを拒んでいる。



トントントントン。

ドアをノックする音が、四回聞こえた。




「――グレアム師、エリオット、こちらに居ますか?」


ドアの外から聞こえてきたのは、うちの兄……優人の声だった。






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