031 カレー臭が招いた危機
「ちょっ、早!
ユートはどんだけ規格外なんだよ。
玄関が開いたことを知らせる鐘が鳴ったのはついさっきなのに、塔の最上階にあるこの部屋まででこんなに早くたどり着くなんて……あいつ本当に人間なのか?」
ヴァルフラムさんはそう言いながら、目を輝かせて立ち上がった。
そんな彼をレイフォンさんが呆れ顔で
「ヴァルフラム、面白がっている場合ではありませんよ。
あなたは『かれー』の鍋と『らいす』が入っていた容器、それに姫が使っていた食器を、戸棚の中へ隠してください。
お師匠さまは『透明マント』を出して、姫に。
私は姫の旅行鞄を戸棚に隠し、その上で不可視の術をかけます。
エリオットは扉の近くへ移動して、ユートが部屋の中に入ってこようとしたら、不自然にならないように気をつけながらその場に押し留め、時間稼ぎをしてください」
レイフォンさんの指示に従って全員が動き出す。
わたしはおじいちゃんから手渡されたマントを着ながら尋ねた。
「…あの、扉には鍵がかかっているんでしょう?
おじいちゃんの術で、部屋の外には音が聞こえないんですよね?
だったら、居留守を使っていれば…この部屋の中にわたしたちが居ることが解らずに、そのうち諦めて帰るんじゃないでしょうか?」
おじちゃんは一瞬目を丸くして、苦い笑いを浮かべた。
「ユートには不思議な特殊能力があってのぅ…開けたい、入りたいと願えば、あらゆる鍵や結界を無効化することができるのじゃ」
「…え?」
「いや、わしらもそれを聞いたときは驚いたし、ただの冗談だと思って聞き流しておったんじゃ。
先日、女王がその話を聞いて面白がり、あれこれ試した挙句、本当のことじゃとわかった。
実際、いろいろな扉と王宮の宝物庫や宝箱の鍵も難なく開けたし、結界もあっさりと無効化。
古代遺跡の封印された扉もユートが手を当てただけで開き……なんというか、感心するというより、呆れるばかりの力でしたな。
ユートの特殊能力の源が『盗賊の神 イシュト』の加護なのかどうか、イシュト神の神殿へ行かなければ確かめることができませぬ。
とりあえず、ユートには衆目のある場では使わぬよう言い含め、関係者には口外を禁じております。
余人に知られたらあらぬ嫌疑をかけられることにもなりますしのぅ…」
「…。」
こっちの世界には、泥棒の神様がいるんだ…。
どうして兄がそんな神様の加護を受けてるの?
チートだから?
チートだからって、なんでも許されるわけじゃないよ?
うちのお兄ちゃんに変な能力を与えないで下さいっ。
わたしが心の中で泥棒の神様へ盛大に文句を言っていると、再び扉をノックする音が聞こえた。
「姫、部屋の奥にあるわしの机の下に隠れていてくだされ。
この『透明マント』は装着した者の姿を隠し、気配も消すことができる魔道具なんじゃが、隠したい相手があのユートでは、これを着ていれば安心じゃとは言い難い。
姫は声を出さず、できるだけ息を潜めて……あとはわしらにお任せを」
「はい、わかりました」
わたしは返事をしながら、走って部屋の奥へ移動した。
わたしが机の下に滑り込むのと、部屋の扉が開けられたのは、ほとんど同時だった。
ドアノブがカチャリと鳴る音が部屋の中に響く。
まるで全身が耳になってしまったのかと思うほど、ちいさな音までハッキリと聞こえた。
「――なんだ、やっぱり居たのか」
「す、すみません。
外の音が聞こえないように結界で遮断していたので、ユートが来ていることに気がつかなくて…」
「いや、謝らないでくれ。
こちらが勝手に入ってきたんだから」
兄はエリオットに微笑みかけたあと、怪訝そうな表情を浮かべた。
「…ひょっとして、食事中だったのか?」
「え?
ああ、そうなんです。
お師さまとレイ先輩、それにヴァルフラムさんも呼んで、四人で夕食を食べていたんです」
エリオットはそう言いながら、少しだけ扉を開ける角度を広げ、兄に部屋の中の様子を見せる。
「中はまだ片付けていないので、もしお話があるなら別の部屋で…」
兄は外へと誘導しようとするエリオットの言葉を手で制し、部屋の中へと足を踏み入れた。
そして小さく鼻を鳴らして空気を吸う。
「―――この部屋の中から、カレーの匂いがする」
「「「「「……っ!」」」」」
部屋の中にカレーの香りが漂っていることを忘れてた!
ああ、なんでカレーなんて持ってきちゃったんだろう。
わたしのバカバカバカっ。
動揺するエリオットの表情を、兄はじぃっと見つめている。
兄が彼を問い詰める前に、おじいちゃんが
「ほぅ…ユートの世界では、このような香りのする料理のことを『かれぇ』と言うのじゃな」
「はい。
俺の国では、カレーは子供でも簡単に作れる家庭料理です」
「わしが王宮に出入りしている商人に、異国の珍らかな料理を食べさせて欲しいと頼み、作って持って来てもらったのじゃよ。
材料が滅多に手に入らない貴重なものらしくてのぅ…四人分しかなかったから、女王陛下にも内緒にして、皆でこっそりとこの部屋で食べていたのじゃ」
おじいちゃんは軽やかに笑いながら、兄に「陛下には内緒にしておいておくれ」と頼んでいる。
わたしはその自然な演技に驚きつつ、心の中で熱い応援を送った。
おじいちゃんって、実は演技も上手かったんだね。
おじいちゃんがんばれー。
「――そうだったんですか?
そうか…残念だな、俺も食べてみたかった」
「すまんのぅ、ユート。
レイフォンとヴァルフラムは既に夕食を食べていたのに、自分たちにも食わせろと大人気なく言い張って…」
「ユート、自分が二人前食べると大人気なく言い張っていたのは、お師匠さまですからね?」
レイフォンさんが即座に横から口を出した。
「お前がわしを脅したのは事実じゃろうが」
「お師匠さまが二人前食べると言ったことも事実ですよね」
「…。」
兄は師弟漫才を全く気にせずに、眉根を寄せて何かを考え込んでいる。
「…あ、あの、ユート?
どうかしたのですか?」
エリオットが遠慮がちに問いかけると、兄は表情を緩めて答えた。
「いや、カレーの匂いだけじゃなくて…何か懐かしい香りがするような気がして」
「「「「「……っ?!」」」」」
え、何ソレ?
なんの匂いのことを言ってるの?
微妙な緊張感が生まれた空気の中、おじいちゃんが言った。
「――わしの加齢臭の匂いかのぅ?」
「…ああ、それは確かにありますよね」
サラリと相槌を打ったレイフォンさんを、おじいちゃんは声を荒らげて責める。
「今のは冗談じゃ!
『かれぇ』と『加齢』をかけあわせた、高等な言葉遊びをしただけなのに、お前という奴はっ」
「そうだったんですか?
でも、事実ですし」
「真顔で嘘をつくな、嘘をっ」
「お師匠さまも、もうお年ですからね」
「わしはまだまだ現役じゃ!」
兄は白熱する師弟漫才を見ようともせずに、くんくんと鼻を鳴らしている。
「この香り……どこからだろう?」
わたしはおじいちゃんの机の下で、ぎゅっと身体を縮めた。
見つかりませんように。
どうかこのまま、兄が出て行ってくれますように。
祈るような気持ちで兄の動きを見ていると、兄はエリオットの背後でピタリと足を止めた。
「エリオット、動くな」
「…は、はいっ」
兄はエリオットに動かないように命じて、左手で彼の腰を固定した。
そして彼の身体を抱え込むようにしながら、自分の顔を彼の頭に近づけてゆく。
わたしは危機的状況にあることをうっかり忘れそうな場景を見て、口をぽかんと開けた。
え、なんだろう、このBL臭い体勢は。
後ろから耳元へ愛を囁いて口説き落とす……とか、ないよね?
そのまましばらく時が過ぎ、やがて兄のつぶやく声がはっきりと聞こえた。
「―――エリオットの髪の毛から、優奈の匂いがする」
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