023  カレー鍋を抱えて異世界へ



わたしは相談を終えると、急いで荷造りを始めた。


『通話』が繋がっている間は、「おじいちゃんの研究室」と「わたしの家」の時間の流れは同じだけど、研究室の外はどうなっているのかわからない…なんて話を聞かされたら、ぐずぐずしていられなかった。


研究室の外に出たら数日経ってました…とか、すごく怖い。


肉食系女子が集まっている混沌カオス状態なのに、癒し系のエリオットとおじいちゃんの助言がない状態で、兄の忍耐力がどこまで保つか心配だった。


わたしのためにも、兄のためにも、早くしなくちゃ。


決意が不安で塗り潰される前に、知らない世界へ行く恐怖で足がすくむ前に、急いで荷造りを終わらせよう。




洋服は異世界あちらで用意してもらえることになったから、下着類と細々とした日用品を優先して旅行鞄に詰めてゆく。

いつこちらの世界に戻ってこれるか解らないと思うと、つい、いろんなものが必要だと思ってしまう。


教科書や参考書、ノートを持っていくかどうか迷ったけど、置いてゆくことにした。


異なる世界へ渡る術が厳しく規制されているなら、こちらの文化を持ち込むこともあちらの法に抵触するかもしれない。

それにあちらで勉強する暇があるかどうかわからないし、悪用されるようなことが起きたら困るからやめた。


手早く荷造りを終えたあと、わたしは机の抽斗ひきだしの中からレターセットをとり出した。


最初はお父さんとお母さんに詳しい経緯つきの説明を書こうと思っていたけど、もし二人がおばあちゃんが異世界の人間だと知らなかった場合、余計に混乱させるような気がしたから、必要最小限の情報だけ伝える手紙にした。




< お父さん、お母さん


突然ですが、お兄ちゃんと一緒に「おばあちゃんの故郷」へ行ってきます。

できるだけ早く帰ってくるから、心配しないでね。


追伸 TVをつけても、TV番組は映らないかもしれません。


                                  優奈 >



うん、文面はこれで良し。

厳密に言えばわたしは兄と一緒に行動する訳じゃないけど、兄をサポートしに行くんだから別にいいよね?


――かまわぬ、かまわぬ、よきにはからへ。


脳内劇場で、お殿様(?)から許可をもらったわたしは、手紙を封筒に入れて封をした。



右手に旅行鞄、左手に手紙を持って、階下へと降りてゆく。

わたしの足音が聞こえていたのか、居間へ続くふすまを開けた瞬間、エリオットの声がかかった。


「ユーナ、荷造りは終わりましたか?」


「うん、お待たせ。

…あともうちょっとだけ待ってね」


わたしは旅行鞄を下ろし、ちゃぶ台の上に両親へ宛てた手紙を置くと、風呂敷を持って台所へ移動した。


まず、炊飯器の中のご飯を大きなタッパーに全部移し、お釜を洗ってから水切りトレーの上に置く。


次にガスの元栓を締めて、三角トレーにあった生ゴミを庭の片隅に埋めた。

昨日ゴミの日だったから、生ゴミが少なくて良かった。


旅行から帰ってきた両親がドアを開けたら家の中から腐臭がして、留守番をしていたはずの子供二人が消えていた……なんて、サスペンスドラマみたいで笑えない。


わたしは最後に風呂敷の上にご飯を入れたタッパーを置き、そのタッパーの上にカレーを作ったお鍋をそのまま置いて、風呂敷でしっかりと包んだ。


大きな風呂敷包みを抱えて戻ってきたわたしを見て、エリオットとおじいちゃんは目を輝かせる。


「姫、もしかしてその中には、食べ物が…?」


「…あ、はい。

そうですけど、なんでわかったんですか?」


「姫がエリオットに持たせてくれた『肉じゃが』も、同じような布に包まれていたじゃろう?」


二人の期待が込められた瞳を見て、わたしは苦笑した。


「こちらでは小学生…子供でも作れる簡単な料理ですから、あまり期待しないでくださいね。

わたしの準備は完了しましたけど、そちらの準備はどうですか?

今、ふと気がついたんですけど、そちらの世界ではまだ満月の日じゃないのでは…?」


エリオットが異世界あちらの満月の晩にこちらの世界へ来たのなら、次の満月までまだ早いんじゃないかというわたしの疑問はあっさりと覆された。


「こちらには自転周期が異なる月が三つあり、そのうちの一つが満ちているので大丈夫です。

今夜も『通話』が繋がらなかったら、僕がもう一度そちらに行こうと思ってました」


「…そうなんだ」


エリオットの答えに、わたしは呆然としながら相槌を打った。


月が三つもあるなんて、本当にこちらとは違う世界なんだ。

今更ながらにそんなことを考えていたわたしを、おじいちゃんが急かす。


「姫、お急ぎくだされ。

姫の変装の準備が整わぬうちにユートがこの研究室を訪ねてきたら、我々の計画がすべて水の泡に…」


「あ、ごめんなさい」


わたしは左手に旅行鞄、右手に風呂敷包みを抱えた。


「エリオット、わたしは台所に移動すればいいんだよね?」


「はい、僕とお師さまがこれからそちらに魔力を送って『帰還の魔法陣』を起動させます。

魔法陣が光を帯びて浮かび上がったのが見えたら、その中に入ってください」


「おっけー、了解」


わたしはいったん荷物を降ろし、一時間後に電源が切れるようにTVのタイマーをセットする。


再び荷物を持って居間から台所へ移動すると、さっきと同じ魔法陣が台所の床に浮かび上がっていた。


少しだけ大きな声をあげて、エリオットに確認を取った。


「エリオットー、もういいかな?」


「はい、もういいですよー」


今の『隠れんぼ』をやっているみたいな台詞…と思ったら、急に可笑しくなって笑みがこぼれる。



わたしは魔法陣の中へ軽やかに足を踏み入れた。






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